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extra009 宇佐神宮とは何か? ⑨ “安心院の三女神社は二女神社だったのか?”

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extra009 宇佐神宮とは何か? ⑨ “安心院の三女神社は二女神社だったのか?

「ひぼろぎ逍遥」「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)奥の院 共通掲載

20150408

久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久

無題.png
宇佐市安心院に三女神社があります。
既に、097 宇佐神宮とは何か? ⑦ “宇佐神宮の向こう側”で書きましたが、宇佐神宮が現在の亀山の地に鎮座する前、その原型は安心院にあったのではないかとしました。
一方、現在の宇佐神宮の公式見解では、二の御殿(中央殿)には宗像三女神が祀られるとされています。
もし、宇佐神宮の原型が安心院にあったとすれば、その中央殿の宗像三女神も安心院に祀られていたはずなのです。
そして、事実、宇佐市安心院に三女神社が鎮座しているのです。
そもそも安心院(アジム)という地名自体が、海洋民の安曇族から付された地名である可能性が高く、盆地の入口(出口)の院内からさらに中央部に入った、現在の安心院旅行村の直ぐ下、安心院盆地が見渡せる小高地に同社が鎮座しているのです。
まず、宇佐神宮を考える場合、同じく安心院に鎮座している妻垣神社と併せ、外すことのできない神社です。
無題.png

この神社を初見したのは四年前でしたが、驚くべき事実に気付きました。

それも、普通に聞き及んでいる話と異なる奇妙な事が二つもあったのです。

一つは、この参道に置かれた数本の鳥居に掛る額束(神額)です。


無題.png

これは一枚目の写真の鳥居の神額を拡大したものですが、どう見ても二女神社と書かれているのです。

しかも、三女神社を修正して二女神社と書かれている様でもあり異様です(うっすらと下に三と書かれていたように見えますね)。

その次の鳥居も奇妙です。

無題.png
こちらは逆に、「二女神」「二大神」若しくは「二人神」(フタリガミ)と書かれていたものを無理やり「三女神」と改竄(かいざん)したようにさえ見えるのです。
二 年前、太宰府地名研究会主催で宇佐神宮を中心とする「宇佐神宮トレッキング」を三十人規模で行いましたが、この事実を皆さんにお知らせしたところ、「ひも ろぎ逍遥」管理人の彩杉女史は間髪いれず、“三女神のうち大国主のお妃となった二人とそうでないお一人ではないか?“と気付かれました。
そう考えていただけに、さすがは彩杉るな!と思ったのですが、恐らく、その事が関係しているのではないかと考えています。
恐らく、この事の背景には宗像大社の本質に絡む古代の秘密が関係しており、それが現在まで引き摺られているのだろうと思います。
皆さんも、もし、宇佐神宮から安心院盆地まで足を伸ばされる機会があれば、自分の目で確認して頂きたいと思います。
実は、この三女神社にはこの鳥居から下に降りる参道や社殿に、さらに五、六本の鳥居があります。

無題.pngその建築年次、順番、奉納者、寄進者、材質を系統だって調べれば、その背景が少しは見えて来るのではないかと思っています。

どなたか地元の研究者でもおられて教えて頂ければ助かるのですが、これも今後の課題です。

このトレッキングには彩杉るな女史と並ぶ太宰府地名研究会のエース級才女伊藤まさ子女史が同行されていました。

彼女のブログ「地図を楽しむtizudesiru.exblog.jpにも書かれていますので、こちらからご紹介しましょう。


安心院の二女神社?三女神社?

同じ神社に二つの名前があっても、不思議ではありません。土地の人の呼び名や、正式名称があるでしょうから。

でも、この神社は不思議です。まず、神社の案内板には、「三女神社」とありますが。横の鳥居は、二女神社。三女神と云えば、宗像三女神でしょう。なんで二女神なんでしょう。

不思議に楽しくなってしばらく行くと、次の鳥居。それは、三女神社でした。二女から三女になったのです。さらに進むと、三女神社が見えてきました。

無題.png


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