353 真庭、湯原から蒜山高原へ中国山地の奥深く ⑮ 鳥取県妻木晩田遺跡の陰の長田神社
20160516
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
蒜山高原に入って以降も、鳥取県、島根県の初見の神社を廻っているのですが、特徴的で特筆するような印象に残る神社に出会いません。
そこで、久々に天真名井、妻木晩田(ムキバンダ)遺跡とどう考えても古代の重要ポイントとしか思えない領域の神社を数社廻る事にしました。
青谷上寺地(アオヤカミジチ)遺跡、妻木晩田(ムキバンダ)遺跡と言えば、考古学ファンの中では知
らぬ人のない重要かつ有名な遺跡ですが、その妻木晩田遺跡の裏手の奥まった集落に長田神社を見掛け、古代から住み着いている人々ではないかとの思いから、早速、この神社に参拝することにしました。
勿論、妻木晩田遺跡から天真名井に掛けて最も力のありそうな神社は、上、下津守神社なのですが、このような地域の中心的な神社は、概して後世の影響が覆い被さっており、原型は周辺の古社を探る方が早い場合があるのです(勿論、外れも…)。
淀江廃寺でも知られるこの一帯は、大山の地下伏流水が滔々と吹き出す天真名井の恩恵を受け続けた古
代の穀倉であることは言うまでもない事です。
長田神社はその恩恵を受けない半ば迫害を受けた先住者の集落ではないかと考えたからですが、まずはご覧いただきましょう。
一般的に、長田地名、長田神社は古代史探訪では良く見掛けることから、「長田」とはどのような意味
かを気にはしていました。
神戸市にも鳥取県の中心部にも長田神社がありますし、その多くが大国主命の長男とされる(百嶋神社考古学では異なりますが…)事代主命を祀る物とするのが多いことから、その系統で良いのでしょうが、まず、その延長上で考える必要があるでしょう。
事代主命 ことしろぬしのみこと
別名
八重言代主神:やえことしろぬしのかみ
都味歯(積羽)八重事代主神:つみはやえことしろぬしのかみ
天之八重言代主神:あめのやえことしろぬしのかみ
天之事代主神:あめのことしろぬしのかみ
於虚事代:そらにことしろ
玉籤入彦厳之事代神:たまくしいりひこいつのことしろぬしのかみ
辞代主:ことしろぬし……
『古事記』に、大国主命と神屋楯比売命との婚姻によって生れた神。
『先代旧事本紀』では、大己貴神と高津姫神との婚姻によって生れた神。
出雲国譲りの際に、事代主命は、鳥遊・取魚をしに出雲国美保ヶ崎へ行っていたため、 天鳥船神によって
呼びもどされ、建御雷神に問われ、 「この国は天津神のお子様に差し上げましょう」と言って、 すぐに乗ってきた船を踏み傾け、天の逆手を打って船を覆して青柴垣に変え、 その中に隠れた。
出雲国譲りの際に、大国主神に代わって国譲りの言葉を述べたため、託宣の神。
出雲国譲りの際に、大国主神に代わって国譲りの言葉を述べたため、皇室の守護神。
神功皇后の三韓征伐で、この神の神徳があった。 『出雲國造神賀詞』では宇奈提に祀り、皇孫命の近き守
り神とされた。
『古語拾遺』によると、神武天皇が即位の時、天照大御神と高皇産霊尊の勅に従って、 神籬を建てて祀っ
た八神の中に一柱。後に宮中神祇官の八神殿において御巫に齋き祀られている。
『延喜式神名帳』宮中神の条に、「御巫祭神八座」とあって、 「神産日神・高御産日神・玉積産日神・
生産日神・足産日神・大宮売神・御食津神・事代主神」の神名を掲げている。
ただし一説に、この事代主神は出雲とは無関係で、純粋な言葉の神とする。
出雲国譲りの際に、釣りをしていた神として、恵比須神と同神と考えられている。
三島神社に祀られる伊豆諸島の造立神・三島大神は、事代主神であるとする説が広く信じられている。
敬愛するHP「玄松子」より
さて、長田神社です。
長田神社 二の鳥居には貴船社と…
森の中の古社ですが、それなりに立派な神社でした。
参拝殿、神殿
今回、この長田神社を見て、多少、思い当たる事があったのですが、それは貴船神社の問題です。
貴船は熊本県の菊池市の中心部にも例外的に一社あるのですが、大半は筑豊地方を中心に、筑前、筑後、
豊前、豊後に展開しており、筑豊だけでも70社はあるとされています。
この内40社近くを廻ったのですが、祭神にばらつきが多く、この神が一体誰なのか未だに特定できないでいるところです。
ただ、この古い方の長田神社の二の鳥居が貴船社だったことは、今後の参考になった所です。
考えている事はありますが、まだ、公開する段階ではないでしょう。このように結論に至らないまでも多くの神社を廻り、多くのファクターを抑える事によって、当たり外れの外れの部分を減らすことが出来るのです。最後に、百嶋神社考古学では「事代主」は列島に三千年前から入っていた古々代ヘブライ系の人々で、恵比須大黒の恵比須に象徴される人々であるとしています。
左が古々代ヘブライ=恵比須の神紋、右は高格式新ヘブライの一つのシンボルで神紋の一例。
百嶋最終神代系譜(一部)
見難いかも知れませんが、ここでは大国主と事代主が親子ではない事を確認して下さい。
ただ、事代主も、天御中主、大幡主、大国主…と「主」が付くヘブライ系の人々であったことは「主」という尊称で判別でき、恐らく大幡主、大国主の下で活動していた下級の臣下だったものと考えています。
だからこそ国譲りに際しては、たちどころにイエスとし、自己保身を図ることができたのでした。
会社が売却されても、存続できれば、つまり、食えさえすれば従業員の大半は従いますね!
百嶋由一郎神代系譜を詳しく読み解きたい方は、09062983254までご連絡ください。