376 延喜大皇社をご存知ですか “佐賀県佐賀市大和町大字久池井”
20160801
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川清久
これは10世紀以降に起源を持つ神社であることから、通常、当方のブログでは取り扱いませんが、七月のトレッキング(太宰府地名研N氏企画)で最後に踏んだ神社がかなりなものであったことから取り上げる事にしたものです。
まず、延喜大皇社とは耳慣れない神社ですが、幹線道路から少し入った裏通りの住宅街の一角にこの神社はあります。
始めは「延喜天皇社」と誤って読み驚きました。
それは早とちりでしたが、とんでもない神社が佐賀の片田舎にあったものです。
詳しくは同社縁起を読んで貰うとして、要は菅原道真の配流に伴い、宮廷に送り込まれた道真の娘と宇田天皇の第二皇子が九州に下向し、世が世ならば天皇にも成りかねなかった皇子が仏門に入り隠棲した事を今に伝える神社がこの延喜大皇社という事になるのです。
恐らく神社庁管理の神社ではないでしょうが、このような由緒ある神社が何故この一角に存在しているかを考えるべきなのです。
思い起こせば、故)百嶋由一郎氏は“佐賀の金立~久保泉にかけての領域こそ初期の九州王朝の最重要根拠地であり、この一帯こそ甲羅と呼ばれた場所なのです”といった話をされていたのです。
そのような氏族が元々住み着いていた場所であったからこそ、道真の一族もこの地を選んで下向したのであり、「佐賀県神社誌」等を丹念に調べればそのことがあぶりだされるはずです。
ただ、残念なことに同誌は地域別の編纂がされていないため作業がかなり困難なのです。
しかし、このような幹線道路から外れた神社を良く探し出したものだと思います。
当方も数回通過してはいたのですが、道真に執着するN氏故の功績と言えるようです。