378 金山彦を祀る神社 “佐賀県神埼市神埼町城山の八天神社”
20160801
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川清久
これも7月のトレッキングで廻った一社です。
火結神(軻遇突智神)を祀る神社にはなかなか出くわさないと思いますが、山岳修験(豊前の求菩提山)をルーツとする八天社、八天神社が佐賀県から長崎県にかけて散見されます。
特に、佐賀県、長崎県の県境などの峠や山頂に八天神社の小さな祠が置かれ、嬉野市(佐賀県)や諫早市(長崎県)にかなり大きな八天神社が鎮座しています。
一応、この直接的なルーツは豊前の求菩提山の八天狗と考えていますが、ある時期、彦山山岳修験と衝突し、西に展開したのが八天神社群と考えています。
金山彦(軻遇突智神)を祀る神社に行くと、この突き出した八本の角を炎(火の尾)に見立てた神額が目に飛び込んでくるのですが、今回は土器山の「土」に「、」が付されていたのが印象的でした。
恐らく、本来は単に土師器ではなく、王器山八天神社としていたものを明治期の神社庁(神祇官)から咎められ、本来の名残を残して「、」を付したのではないかと考えています。
この一帯が、初期九州王朝の本拠地(甲羅)であった事を知る者だからこそ理解できるのですが、“初期九州王朝を支えたのが金山彦であった”との百嶋先生の話がより現実味を帯びて理解出来始めた一瞬でもありました。