20161204
太宰府地名研究会(神社考古学研究班)古川清久
続)三枝氏とは何者なのか?
ぶどう寺に、何故、ぶどう薬師が祀られているのかという問題に衝突し、以後、考え続けていたのですが、ようやく少しの突破口が見えてきました。
ぶどう寺を神社の側面だけから考えていたのですが、仏教の側面から考え直して見ようと思ったのです。きっかけは“蘇民将来、巨旦将来”伝承でした。
そもそも、牛頭天王(スサノオ)とは列島に於ける神仏習合の神であり、釈迦の生誕地(祇園精舎)の守護神とされるものですが、蘇民将来説話の武塔天神と同一の薬師如来の垂迹とされるのです。
薬師如来がスサノオの形を変えたものともすれば、ぶどう寺大善寺を寄進した三枝氏が、“天照とスサノウとの子産み競い”に伴い生まれた天照の五人の男神の一神である天津彦根の後裔としての側面だけで考えず、スサノウの系統としても考えるべきではないかと思考方向を転換したのでした。
ただ、学会通説などでは全く何も見えて来ません。それは、当然にも真実をひた隠しにすることを目的にしたものが「記」「紀」だからです。
まず、百嶋由一郎神代系譜(鳥子系図)によれば、三枝氏が祖先神とする天津彦根命とは阿蘇内牧の阿蘇神社の奥に祀られている金凝彦=神沼河耳命(藤原により格上げされた第二代贈綏靖天皇)であり、実はスサノウにより滅ぼされた巨旦将来でもあるのですが、その子が草部吉見=武甕槌=表面上は春日大神=鹿島大神(藤原により格上げされた第五代贈孝昭天皇)となるのです。
問題は天津彦根命の妃神である神俣姫です。
この妃神とはイザナギ、イザナミの子であるスサノウの姉にあたり、草部吉見が市杵島姫をお妃とすることからも、この天津彦根命の後裔である三枝氏が、阿蘇系のみならず、スサノウの系統を濃厚に引いている事が見えてくるのです。
勿論、天津彦根命の後裔には阿蘇の健磐龍の系統もあるのですが、三枝氏がその流れとは考えられないため、草部吉見=武甕槌=表面上は春日大神=鹿島大神の後裔と考えて良いのではないかと思うのです。
百嶋由一郎神代系譜(鳥子系図)
では、スサノウの姉の神俣姫とは如何なる神なのでしょうか?
驚くことに水銀採取、従って、金銀精錬に関わる人々と繋がるのです。
そうです、この三枝氏にとって祖母神ともなる神俣姫とは丹生津姫の事なのです。
言うまでもなく金の精錬には浮遊選鉱のために水銀が必要となります。
その水銀の生産に関わる丹生津姫が三枝氏の先祖神となると、古代に於いても天津彦根命の後裔が甲州の金銀生産に関わっていた可能性が否定できないのです。
言うまでもなく、武田信玄の甲州金山が古代に遡るものである事は疑いようがありません。
さらに言えば、ぶどう寺の寄進を考えると、三枝氏が武田信玄の一族の登場以前に遡る古族、大族である事も間違いないようです。
事実、武田金山衆の於曾氏も三枝氏の後裔との説があり、祖母神としての神俣姫(丹生津姫)の水銀採取の技術がその財力の基盤となり、武田氏滅亡後も徳川氏に用いられた理由がそこにあったのではないかと考えたいのです。
そのように考える時、三枝氏がスサノウの本地垂迹とされる薬師如来をぶどう薬師のぶどう寺として建立した思いが見えてきたのです。
そもそも、「ぶどう」はぶどう糖で知られるように、高カロリーの秘薬とも言えるものだったはずです。
残る問題は、国宝薬師如来堂最上部に残された三階松の二つの家紋に囲まれた門光(高良大社の奥に隠された九州王朝の神紋であり、印象としては三枝氏がそれを守っている様に見える)ですが、これの解読は後回しになりそうです。
百嶋由一郎 蘇民将来巨旦将来神代系譜(部分)