スポット073 可美葦牙彦舅尊(ウマシアシカビヒコヂ)祀る大分県旧直川村の霧島神社
20161227
太宰府地名研究会(百嶋神代史研究会準備会) 古川清久
Blog「ひぼろぎ逍遥」にリンクを張っている「一つあがりのカフェテラス」氏と大分県内での神社トレッキング゙を進めていますが、今回は同氏の提案による数社を廻る事にしました。
提案の理由は概ね以下のようなものでした。
まず、非常に稀な可美葦牙彦舅神(ウマシアシカビヒコヂ)を祀る神社であること、「霧島神社」と言う宮崎を思わせる神社であること(大分県内では他に鶴見岳の中腹に鎮座する塚原地区に同名の神社があるのみ)、そして、床下に五七桐紋の打たれた瓦が残されていたからでした。
犬も歩けば棒に当たるではないのですが、まず、通常は遭遇する事のない神様に今年は二度も出くわすと言う幸運に恵まれました。
まず、神話の世界とはされてはいますが、百嶋神社考古学の立場から言えば、所詮は二世紀以降の神様なのです。
しかし、最も古い神様とされる天御中主命よりもさらに年上の神様であり、普段遭遇する事はまずありません。
唯一お会いできるのは、と言っても普通は入る事ができないのですが、出雲大社の客人の間と呼ばれる神殿内だけなのです。
「日本書紀」本文には登場せず、一書で最初に現れた神とか別の一書で天常立尊に次ぐ2番目に現れた神としており、独神とされ、すぐに消えたため事績は書かれておらず、実質的には登場しない神とされます。
この客人(マロウド)の間に祀られた可美葦牙彦舅尊(ウマシアシカビヒコヂ)こそ、天御中主の夫である朝鮮半島の伽耶にいた金 越智なのです。
JR日豊本線直見駅から南に一キロほどの国道10号線沿いの内野々集落にある神社です。
どうも付近にある間庭という地名も気になるのですが、多分岡山の真庭と関係がありそうです。
宮司もおいでになり、社殿を見せて頂きお話もお聴きしたのですが、神殿の床下に16葉菊の神紋が打たれた蝋燭楯があったことが分かっただけで、それ以上は兼務神社であることから詳しい事情は分かりませんでした。
燭台は明治より前に遡る神仏習合の名残でしょうが、菊の神紋と言い、五七桐の瓦と言い、高格式の神社であった事は疑いようがないのです。
これ以上の事実確認はできませんでしたが、兼務されている宮司の社務所には古い書類が残されており、時間を掛けて見せて頂きました。
いずれも明治期に作成された神社明細諜の下書きと思われる書面のようです。
新しい方(左)は保食大神(豊受大神)、大年大神(草部吉見)、崇徳天皇(第75代天皇鳥羽天皇の第一皇子)が付け加えられていますが、古い方(右)は可美葦牙彦舅神が単独で祀られていたようです。
では、このような神を単独で祀る氏族とはどのような人々なのでしょうか?
その問題に踏み込むのは憚られますが、考える必要性もその価値もあると考えますので所感を申し述べる事にします。
白川伯王系譜
百嶋神代系譜にはこの大山祗の父にあたる金越智こそがウマシアシカビヒコチである事がはっきりと書き込まれています。そしてこの金越智こそトルコ系匈奴(恐らく後期に分裂した南匈奴)であり、恐らく後期の南北分裂により南下した南匈奴系王昭君の血を引く一族なのです。
島津氏も多分そうだと考えますが、霧島神社とはその系統の氏族が守る神社と考えています。
ただ、お許し頂けるかは不明です。
これについては別稿として書いていますが、多くの説明を要しますので、500シートほどのパワー・ポイントを作成していますので、関心をお持ちの方は09062983254までご連絡下さい。