382 物部神社の三階松神紋 “佐賀県みやき町の物部神社”
201608150
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川清久
物部地名は中国地方に散見されます。
物部氏の集落と思えるものは九州にも多いのですが、幟を揚げた物部神社はそれほど多くはありません。
それでも筑後川を挟んだ久留米市の対岸の佐賀県みやき町に物部神社があります。
聖徳太子の実弟・来目皇子(くめみこ)は、西暦600年撃新羅将軍として筑紫に赴き、そのおり物部若宮部に当社の創祀を命じました。祭神は物部氏の氏神・経津主神(ふつぬしのかみ)です。その経緯は肥前風土記にも記載されており、県内でも有数の古社です。
勿論、経津主神はニギハヤヒ(物部氏の中核部隊)=山幸彦=猿田彦ですね。
「和名抄」に物部郷が見える。それによると,「此郷之中,有神社,名日物部経津主之神」とある。推古天皇の御世に来目の皇子を将軍として新羅を攻めるために物部若宮部に命じて神社を創建させて戦勝を祈らせたので,この辺を物部郷と名づけたという。板部に物部神社があり,このあたりに比定されよう。ほかに「和名抄」三根郡の郷名としては財部郷・千栗郷が見え,西尾の若宮八幡宮司が財部氏であることなどから,この地に比定される。
HP「肥前の古歴史」による
今回は物部神社の存在をお知らせするに留め、祭神を含めて詳しいリポートを書きません。
それは、この神社の社殿に何故宮地嶽神社の神紋である三階松描かれているかの理由が分からないからです。