スポット077 宮原誠一blogのオンエア開始に寄せて
20170112
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
2016年夏の接触以来、宮原研究の奥の深さに驚かされていますが、公開によってその全貌が一層見えてくることでしょう。
最初に公開されるblogは、福岡県久留米市田主丸町柳瀬の玉垂神社になるのでしょうか?
準備中のトップ画面が送られてきましたので、ご紹介したいと思います。
当方のブログ、スポット077 宮原誠一blogのオンエア開始に寄せて が公開される頃には既にリンクも進み、オンエアが始まっている事と思います。
久留米史料叢書第六集 寛文十年(1670)「久留米藩社方開基」久留米郷土研究会という資料があります。私は数十年に亘り筑後地方を中心に神社を調べて来ましたが、「福岡県神社誌」「久留米市史」「・・町誌」「伝承・由来記」いったものでは分からない部分が多々ありました。
しかし、「久留米藩社方開基」「高良玉垂宮神秘書」「百嶋神社考古学」といったもの合わせ見ると、新たな古代史像が浮かび上がってきます。
以後、各地の神社を見て、聞いて、調べて、考えたことをまとめ「宮原誠一の神社見聞牒」として公開してまいります。
ブログの内容
01 福岡県久留米市田主丸町柳瀬・玉垂神社考
02 以下続く…
まず、私自身が一番読みたい読者であり、このブログが、五年、十年と継続されれば、それだけで、列島の最重要領域(筑後川流域)に於ける神社研究の面からの古代史の解明ができるといったものになりそうです。
トップ画面を見ると何やらどこにでもある郷土史会、史談会関係者が書いた地域リポートのようにお考えになるかも知れませんが、教育委員会などが伝えるものとは全く異なる驚くべき古代史像が浮かび上がってくる事でしょう。
最低でも、「福岡県神社誌」と「久留米藩社方開基」とを相互に比較するだけで、秘された(隠そうとされた)部分の解析ができるはずで、宮原誠一氏の鋭く切れるメスが一気に謎解きをしてくれるはずです。
通常、「久留米市史」「福岡県神社」といった定番に慣れていると、「古事記」「日本書紀」…学会、通説に丸め込まれてしまいますが、「百嶋由一郎神社考古学」「高良玉垂宮神秘書」「佃収古代史」を手にした、宮原研究は、それが保存され継承されるだけで、次世代への真実を伝えた貴重な財産となることでしょう。