extra012 宇佐神宮とは何か? ⑫ “境外摂社鷹居社とは何か?”
「ひぼろぎ逍遥」「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)奥の院 共通掲載
201504015
久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
次は、宇佐神宮を考える上では避けて通ることのできないもう一つの視点から考える事にしましょう。
宇佐神宮の境外摂社に鷹居社があります。
10号線沿いに交差点がありこの鳥居から数百メートル入ると鷹居社があります。
カーナビ検索用大分県宇佐市上田字1435
本殿は覆殿の中にあって見えないが、流造らしい。中を覗こうとしたが「無線警報装置」があると書いてあったので止めた。 元明天皇和銅五年の創建で、八幡大神の御社を最初に奉建した霊地である。
宇佐神宮に関する、辛嶋氏伝承では、八幡神は、欽明天皇の御代、宇佐郡辛国宇豆高島(稲積山?)に天降り、大和国の膽吹嶺に移り、紀伊名草海島、吉備神島と渡って、宇佐郡馬城嶺に現われ、乙咩社、 泉社、 瀬社、 当社鷹居社、 小山田社、現社地へと移ったとする。拝殿後方に幣殿があり、その後ろに覆殿に覆われた本殿。境内には、駐車場などもあり、「憩いの場」を目的に整備されたようだ。が、雑草が多く、あまり活用されている雰囲気ではない。
敬愛する「玄松子の記憶」より
読めばお分かりになると思いますが、八幡神に大出世した応神天皇(実は別王)が元々いた場所の一つがこの鷹居社なのです。
逆に言えば、元々、現在の亀山はもとより、安心院にもいなかったという事になるのです。従って、現在の鷹居社自体も抜け殻の神社との印象を持つのですが、お叱りは覚悟の上です。
玄松子氏が引用された宇佐郡馬城嶺(マキボン)こそ大元神社が鎮座する御許山(マキボン)の事でしょうが、それは降臨説話であり、実際にはこの地に駐留していたのだと思うものです。
では、それ以前、実際にはどこにいたのでしょうか?
それが、香春三山のある田川(鷹羽)郡であり、筑前大分の飯塚市の大分八幡宮だったはずなのです。
これも、贈)応神から見た場合の元宮、元々宮、元々々宮になるのですが、その前はと問われれば、渡辺光敏氏の説に乗り、朝鮮半島の馬韓 目支(マキ)国=沸流百済であり、それこそが崇神→応神朝廷=近畿大和朝廷に成長したと考えています。
従ってこの鷹居社こそ九州王朝の下剋上成り上がり国家=近畿大和朝廷の故地なのです。
次は、この事を考える事にしましょう。