スポット088 (7/8)「百嶋神社考古学」からみる古代の伊豫国 “山田 裕論文の掲載について” 孝霊天皇の第三皇子を『御鎮座本縁』が彦狭男命、『社記』が彦五十芹命、『年譜考』が彦佐男命とし、微妙に相違している。 「神々の系図」によれば、孝霊天皇の第一王子は孝元天皇、第二皇子は伊予皇子、第三皇子は桃太郎と崇められた吉備津彦、第四皇子は吉備武彦としている。 他方、『記紀』はそれぞれ日子刺肩別の命、彦五十狭芹命と記している。 『社記』が記す彦五十芹命は孝霊天皇の第二皇子である伊予皇子を指し、『御鎮座本縁』、『年譜考』は孝霊天皇の第三皇子吉備津彦を指していることが確かめられる。 第四章 『先代旧事本紀訓註-国造本紀 大野七三校訂編集』(60p)からみる伊予の古代 同書は平安時代初期に撰せられ、伊予国は五か国に分割されている。 ・小市國造 応神天皇御代、物部連同祖大卿川命孫子到命 ・伊余國造 成務天皇御代、因幡國造(彦坐王兒彦多都命)同祖敷桁波命兒速後上命 ・久味國造 応神天皇御代、神祝尊十三世孫伊與主命 ・怒麻國造 神功皇后御代、阿波國造(高皇産霊尊九世孫千波足尼)同祖飽速玉命三世孫若彌尾命 ・風早國造 応神天皇御代、物部連祖伊香色男命四世孫阿佐利 小千(越智)國は越智族の祖大山祇神から始まり、代々越智氏がその系譜を継いだ国、同様に伊余國も孝霊天皇の第二皇子伊予皇子から始まり、代々伊予皇子の系譜を継いだ国と考えられる。怒麻・風早・久味国造の系譜はあまりにも長い時間が経過しており、本当のところはよくわからない。 以上の五か国は、愛媛県北部・東部・中部に立地し、越智・伊余国が成立した後に、越智国から分離独立したのが怒麻・風早国、伊余国から分離独立したのが久味国と考えられる。 越智・伊余両国の成立は、大山祇神社に関わる三史料より、3世紀末~4世紀初めごろと推測される。 「国造」制の成立時期は、5世紀初めから7世紀初め頃とする諸説があり、定説は今日まで定まっていないのが現状である。 『和名類聚抄』(平安時代中期の承平年間(931~938年)勤子内親王の求めに応じて、源順が編纂した辞書。)によると、伊予国には以下の14郡が置かれていた。 宇摩郡・新居郡・周敷郡・桑村郡・越智郡(大三島、伯方島、大島を含む)・野間(濃満)郡・風早郡・和気郡・温泉郡・久米郡・伊予郡・浮穴郡・喜多郡・宇和郡 上記の五か国に対応する郡は、以下のように考えられる。 小千國=越智郡 伊余國=伊予郡 久味郡=久米郡 怒麻國=野間(濃万)郡 風早國=風早郡 いずれも愛媛県の東予地方・中予地方に偏在し、南予地方には国がみられない。さらに不思議なのは、東予地方の宇摩郡・新居郡・桑村郡も同様に国がみられない。次に、各郡で祀られた神々を探りたい。
4.「神々の系図」
第五章 各郡が祀る神々
14郡内のうち、宇和郡を除く各郡の一宮及び主要な式内社(尊敬するブログ”玄松子”を中心に
作成)が祀る神々を探ると
表1.各郡が祀る神々
注)赤字は主祭神
表1に掲げる神々のうち、以下に記す神々を『記紀』『先代旧事本紀』並びに神社誌、故百嶋由一郎氏が作成された「神々の系図」を参考に探求すると、
(1)武國凝別命
『日本書紀-景行天皇紀』では、景行天皇と高田媛との間の皇子。『旧事本紀-天皇本紀』も同様の記述であるが、筑紫水間君の祖とある。「神々の系図」によれば、父は御年神(祖父は志那津彦、祖母は志那津姫)、母は古許牟須姫(祖父ニニギノミコト、祖母木花開耶姫)との間に誕生し、筑紫水沼君の祖・御村別の祖としている。別称磯野神とも呼ばれた。
(2)天火明命
「神々の系図」によれば、亦の名を、天児屋根命、天忍骨命、天忍穂耳命、山幸彦、建雷神、経津主神、五十猛神、鹿島大神、級長津彦、饒速日尊等とも呼ばれる。
(3)國常立神
『記』は天神六代、『紀』では、天神初代の神。神仏分離令により、各地の妙見社はご祭神を國常立神から天之御中主に改めた。「神々の系図」も天之御中主としている。
(4)高龗神
『紀』は、イザナギが迦具土神を斬殺した際に化生した三柱の一つ。『記』では、淤加美神と記す。「龗」は「龍」の古語であり、「闇龗」は「谷間を流れる急流」、「高龗」は「山の上からを流れ出る滝」を意味することから、いずれも<水や雨を司る神>とされている。伊予市双海町の三島神社は「大山積命・雷神・高龗神の三座を祀り、大山祇神社境内摂社の上津社は雷神、下津社は高龗神を祀っているが、いずれも同一神の可能性がうかがえる。「神々の系図」によれば、高龗神を大山祇神としている。
(5)五十日足彦(いかたらしひこ)
『記』は、垂仁天皇と苅羽田刀弁の御子、『紀-垂仁紀』では、垂仁天皇と苅幡戸辺の御子と記されている。五十日足彦を祀る神社は、愛媛県・福井県・新潟県に存在する。上越市三和区の五十君神社はご祭神を五十日帯彦命としているが、『神名帳考證』所引の「越後国式社考」は級長津彦・級長戸彦とし、「北越後風土記節解」は、五十猛神・木種大明神、「頚城郡誌稿』は、五十日足彦命・木種大明神と記している。したがって、五十日足彦は、級長津彦・五十猛彦と同一神であると考えられる。
(6)伊予豆比古命(=伊予津彦命)
「神々の系図」によれば、孝霊天皇と皇后細姫との間に誕生した伊予皇子、兄は孝元天皇である。伊予地方に進出したのは、4世紀半ば前後と推測される。伊予津姫命は妃と考えられる。