extra014 宇佐神宮とは何か? ⑭ “到津屋敷をご存じですか?”
「ひぼろぎ逍遥」「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)奥の院 共通掲載
201504015
久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
宇佐神宮参道
宇佐神宮の表参道をそのまま進むと右手に宇佐神宮庁、左手に菱形池がありますが、手前の大鳥居(写真の鳥居ではありません)を潜る前の右手に鎮座する黒男神社の辺りで左手に進むと、左手に立派な宮司屋敷があり、到津○○との表札が掛けられています。
何を言おう、この建物こそ千数百年に亘って宇佐神宮を預かってきた到津家の御屋敷なのです。
宇佐神宮には時代と共にその時々の多くの宮司家がありました。面白いところでは、石油元売り出光興産の一族も宇佐氏であり、一時期宇佐神宮の宮司を務めています(他にも安心院氏など数家)。
宮司屋敷の門に残された紋章、何故か五七の桐(高良玉垂命=開化天皇の神紋)恐らく九
州王朝滅亡後の749年に九州の宗廟を高良大社から奪った時以来の戦利品なのでしょう!!
宇佐神宮、女性権宮司を解雇…神社本庁から免職
2014年05月29日 14時57分 読売
全国八幡宮の総本社・宇佐神宮(大分県宇佐市)は28日、到津克子・権宮司(46)が神社本庁(東京)から権宮司職を免職されたことを明らかにした。
神宮は到津さんを解雇した。いずれも15日付。
到津さんは「自分が宮司」と主張し、2010年、地位確認などを求める訴訟を起こしたが、昨年5月、最高裁で敗訴が確定した。
神宮の責任役員会は今年1月、神社本庁に到津さんの免職を具申。
免職決定を受け、到津さんを解雇し、母親と住む境内内の職舎を明け渡すよう通告した。
同神宮の籾倉了胤・顧問弁護士は28日記者会見し、「免職を求めた理由は明らかにできない」とした。その上で、訴訟の期間を含め3年以上、到津さんが神宮での仕事をせず、敗訴確定後、神宮側の指導にもかかわらず、勤務状態が改善されなかったことなどを明らかにした。
一方、到津さんの関係者は「到津さんは宮司の指示に従って働こうとしたが、神宮側が仕事をさせなかった。納得できない。本人もショックで体調を崩している」と反発している。
佐伯市から観光で訪れた主婦(63)は「宇佐神宮はいつも、混乱しているイメージがある。一日も早く、問題を解決して立ち直ってほしい」と話していた。
確定したのは昨年の今頃だったのですが、同年夏の大祭のおり偶然にも到津克子さんとその娘さんが宮司屋敷の表木戸から入って行かれるのを見掛けた事があります。
最高裁の確定後でしたが表札は元のままでしたし、今も荷物は置かれていると聞き及んでいます。
ま ず、宮司屋敷なるものがある事をご存じない方が多いと思いますので、ご自分の目で確認される価値はあるのではないでしょうか?問題は宇佐神宮が国のもの (国家神道は高々百年もない)なのか、それとも私的な一氏族のものなのかというところにあります。国家神道といった概念は戦後になり廃止されたはずだった のですが何故か神社庁は専横を振い、彦山など他の神社でも大小の差こそあれトラブルは増加しているようです。元々日本に於いては憲法が存在しても守られた ためしはないのであり、そのような憲法を守るべきだとも、改めるべきだとも一切考えませんが(元々一度も守られた事の無い憲法を云々する事に意味は存在し ない!)権力はいついかなる時でも必要さえあれば、憲法違反も法律違反もするのであって、国家が法律とか憲法とかを守るなどと夢々考えてはならないので す。
まあ、そんなことは分かり切っているので、どうでも良いのですが、そもそも宇佐氏から分裂して到津家(武家=侍分)が成立した事自体が南北朝争乱期の生き 残り戦術だった訳で(良く言って、両派に与していれば何れかが生き残れる、悪く言えば、必要な時には何時でも勝ち馬に乗りいつでも裏切ろう・・・)、古く は、鎌倉幕府成立前、源義経を助けるべく奔走した豊後の緒形三郎惟栄は、潰された大神氏の恨み故か平家の拠点だった宇佐神宮を焼き討ちしているし、戦国期も大友宗麟の手で再び焼き討ちされています。
従って、国家のものだったはずはないのであり、その時代時代で、有力な勢力と結びつき生き延びてきただけのことだったのです。古来、天皇家=近畿大和朝廷 が援助し守って来たなどとは凡そ言えないものなのです。ただ、宇佐神宮が到津家のものだったかと言えばそれも間違いであるはずなのです。
この点、“本願寺教団の財産”とか言った仏教系の財産の様に分かり易い評価が非常に難いのです。
神社庁が専横を振うのは、今も昔も力を握った連中の習性であり、自らを守ろうと思えば太宰府天満宮の様にせっせと金を贈り官僚どもを接待し良い思いをさせ続ける以外にはないのです。
役人とは所詮そんなさもしい連中なのであり、強請り集りのオリンピック委員会(IOC)がクーベルタン以来、ヨーロッパ貴族のゴロツキ興行主(日本では相撲の勧進元=地まわり)であった事と同義なのです。