405 鈍川温泉の石折神社 “鈍(ニブ)川の鈍(ニブ)とは丹生(ニュウ)のこと
ひぼろぎ逍遥 ひぼろぎ逍遥(跡宮)共通掲載
20161008
太宰府地名研究会(神代史研究班) 古川 清久
未踏だった南阿波~東土佐を対象に四国の神社調査に入りましたが、実は高知市の西にある佐川町の一社を見に行く事が今回の最大のテーマでした。
その神社の報告は後に回すとして、佐川町から千メートル級の山を越え伊予市、松山市に戻りました。
往きは児島~坂出ルートでしたが、複りは今治~尾道ルートという事になります。
車が少なくなって移動する事から、時間調整もあり、神社を見たり温泉に入るなりすることになるのですが、道後温泉の喧騒を避け奥道後温泉から高縄半島の東側今治に入り鈍川温泉に向かいました。
まず、丹生(ニュウ)地名に関心をお持ちの方には直ぐにお分かりになると思いますが、水銀採取集団が残した地名としての丹生、根雨、爾布…の一つが鈍川なのです。
その証拠に、鈍川は丹生川と表記されていたと言いますし、壬布川が流れ、下った隣の西条市にも丹原という地名が拾えるのです。
ともあれ、この地にも水銀採取で賑わった時代が存在した事がうかがい知れたのでした。
当然にも、この石折(イサク)神社にもその手の神様がおられるのではないかと、雨が降り始めた中足早に参拝に及んだのでした。
さて、この神社の祭神です。
まず、鈍川温泉の入口に鎮座している事から丹生津姫(イザナミとイザナギとの間に産れた闇淤加美=神俣姫)が祀られているのではないかと考えたのですが違っていました。
しかし、外れと言う訳でもありません。製鉄の神様でした。いつも触れる事ですが、製鉄神があると付近には鬼○地名が良く発見できるのですが、ここにも鬼原地名があります。
栃木県の磐裂根裂神社などに代表されるイワサク+ネサクの神=埴安姫+金山彦だったのです。
同社縁起
ご覧の通りですが、主祭神の石筒男神の実体は不明です。
一応、HP「玄松子」氏によれば、
伊邪那岐は、伊邪那美が火の神・迦具土神を生んだ際に、 陰所を焼いて死んでしまったのを哀しみ怒り、 十拳剣(長い剣)を抜いて迦具土神を斬り殺してしまう。 この時、剣についた血が湯津石村に走り付いて神々が化生する。
『古事記』では、剣の鋒端(さき)についた血から石拆・根拆・石筒之男の三神、 剣の鐔(つば)際についた血から甕速日(みかはやび)・樋速日(ひはやび)・建御雷(またの名を建布都神)の三神、 刀の柄に溜った血が指の股から漏れてあらわれた闇淤加美(くらおかみ)・闇御津羽(くらみつは)の二神、 計八神が十拳剣によって生れた。
となるのですが、実体はこれによっても掴めないのです。
客人神社は、出雲大社の客人=ウマシアシカビヒコチか?と考えたのですが、どうもそうでもないようです。そうすると、五男神とされているのは、天照とスサノウの子産比べで出てきた五男神を何故客人として別殿に祀る必要性があったのかが分からないのです。
七車中泊八日12湯1900キロメートルという調査旅行でしたが、初見の神社ばかりで興味深い旅となりました。
最後に百嶋由一郎「最終神代系譜」と「阿蘇ご一家系譜」から丹生津姫、主祭神を確認しておきましょう。