412 高知県東洋町五社神社の祭神をどう考えるか
20161029
太宰府地名研究会 古川 清久
ひぼろぎ逍遥(跡宮)326 阿波と土佐の国境に鎮座する若宮神社と境外摂社高良神社 において、九州王朝 高良玉垂命(藤原により第9代とされた本物の天皇)の痕跡があることをお知らせしましたが、実はこの旧甲浦村にはもう一つの高良玉垂命の痕跡と思えるものがあるのです。
それは、高良神社より街中に近い所に鎮座する五社神社です。
五社神社正面
五社神社とされていますが、神社に掲げられている祭神を見る限りはその通り五柱であり、その内訳は住吉三神+神功皇后+地元土豪の五神とされています。
確かにそのように、東洋町役場発行の「べんり帳」にも「東洋町の神社一覧表」として住吉四神(?)と明神家祖神を揚げています。
ただ、実質的には住吉大神と神功皇后であったことが透けて見えます。
そもそも百嶋神社考古学では住吉三神の底筒男命を高良玉垂命、中筒男命を贈)崇神天皇、表筒男命をウガヤフキアエズ命とします。
しかし、ここに神功皇后が加わっている事を考えると、本来の住吉大神である高良玉垂命とそのお妃である神功皇后を祀る神社だった事が見えるのです。
申し上げている事は、久留米の高良大社に奇跡的に残された「高良玉垂宮神秘書」によれば、高良玉垂命と仲哀亡き後の神功皇后が夫婦であったという「記」「紀」にない認識を持っている事。
周辺の伝承からも九人の皇子(四人は腹違いか)がおられ、その筆頭が仁徳天皇(若宮神社)であるという事を知っている事から、この神社がその痕跡を持つ神社であることが見えていると言うだけの話です。