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413 苧扱川(オコンゴウ) ①

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413 苧扱川(オコンゴウ) ①

20161029再改版(20110701改版)20080314

太宰府地名研究会 古川 清久

“久留米の街中を苧扱川(オコンゴウ)が流れる”


413-1


 長崎県の南部、島原半島の先端といえば、有明海の出口、早崎ノ瀬戸、瀬詰崎灯台などが頭に浮かぶ旧口之津町(現南島原市)となりますが、その岬の中ほどに苧扱川(おこんご)と呼ばれる奇妙な地名群があります。

 昭文社の『県別マップル』長崎県広域・詳細道路地図などでも直ぐに確認できますので、まずは地図を見て頂きたいと思います。

 かつて口之津といえば、上海向けの石炭の積出港として、また、“カラユキサン”を送り出した外洋船の出港地(寄港地)として、さらには、戦前、戦中、戦後を通じて海国日本を支えた多くの船乗りの養成を行なった海員学校があった町としても有名でしたが、今や、その華やかさは衰え、ただただ、天草下島に向かうフェリーの出船場としての存在だけを主張しています。

 しかし、百年前、この地には国際貿易港として目も眩むばかりの繁栄が確実に存在していたのです。

さて、口之津港に深入りすると先に進みませんので、この話はこれまでとしましょう。興味をお持ちの方は長崎県下でも最も資料の充実した歴史民俗資料館に足を向けられる事を望んでやみません。

 話を元に戻します。五年ほど前でしたが、いつものように地図を眺めていると、ひらがなで「おこんご」と書かれている地名があることに気付きました。その時は単に変な地名と思っていただけでしたが、その後、資料館を訪問した際に館長にお尋ねしたところ、口之津史談会の西光知巳氏による「オコンゴ考」という論文があることを知ったのです。


  …口之津の行政区、南大泊に「オコンゴ」と呼ばれる地名がある。かつて遊郭があった所としても知られている。口之津の字界図を見ると、早崎名(みょう)と町名(みょう)の間の小さな川が流れ「苧扱川」とある。これをオコンゴと呼ぶらしい。

「口之津史談会」創刊号


これについては、最後に全文を掲載しておりますが、実はこの地名が久留米の中心街、それもまん真中にもあった(ある)のです。

西鉄久留米駅付近は南北に国道3号線が、国道209号、322号線が東西に交差する文字通りの中心地ですが、久留米井筒屋から西鉄久留米駅に向かう209号線の少し南を東から西に流れる川があり、池町川と呼ばれています。

現在は筑後川からポンプで汲み上げられた水が流され、いわば、造られた「癒し」の河川空間が演出されているのですが、今や、六つ門町から東町という官庁街、商業地、歓楽街になじみ、趣味ではありませんが、それなりの調和を得ているようです。 

さて、「おこんご」です。この池町川が、かつて、苧扱川(おこんがわ)と呼ばれていたといえば皆さんは驚かれるでしょうか。

もちろん、千数百年前の古文書に書かれていたなどといったものではなく、少なくとも父祖の代程度の話で、私達でも十分に辿れる時代のものなのです。


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「おこんご」と「おこんがわ」は多少異なるようですが、あまり使われない「苧」という難しい文字と川の表記が一致する事から、同一起源の地名であることは、まず、間違いないでしょう。

一般的に九州の西岸部(長崎、佐賀、熊本、鹿児島…)では、川を「コウ」「ゴウ」と呼ぶ傾向が認められます。佐賀でも、谷川をというよりは、さらに急峻な滝に近い渓流を「タンゴ」、「タンゴー」、「タンゴウ」などと呼びますが、このことは、川内を「こうち」と呼ぶこととも対応しているようです。


こうち

【川内・川内】

(カハウチの約。後に、「かうち」「かはち」とも)川の中流に沿う小平地。一説にカハフチの約で、川の淵(ふち)。万葉集(1)「山川の清き-と」

(広辞苑)


この池町川(苧扱川)は、本町付近で国道209号線を北に横断し再び西流しますが、この付近にかつて鉄道の駅があり、その駅名が「苧扱川」だったといえば、思い出される方もかなりおられるのではないでしょうか。


市の中心部を貫いて流れる池町川。
西鉄久留米駅付近に端を発しJR久留米駅付近までの川の岸辺は、商店街や歓楽街、官庁街といろんな顔をもっています。
 この川は江戸時代初め苧扱川と呼ばれていました。
池町川と呼ばれるようになったのは、18世紀以降のことです。
 城下町の地名1つ、池町にちなんで池町川へと変わったといわれています。


市のHP「ふるさと再発見」


もう少し詳しくお話しましょう。久留米には明治の末から昭和四年ですから満州事変が勃発する頃まで、筑後川沿いの豆津から日田の豆田まで走る軽便鉄道が走っていました。

もちろん軽便鉄道ですから、元々の狭軌である日本の一般的鉄道よりもさらに狭いナロー・ゲージです。

~荘島~苧扱川~日吉~となれば、地元の方であれば、その場所については直ぐに見当がつくことでしょう。苧扱川の停車場はちょうど現在の みずほ銀行 久留米支店 辺りになるようです。

現在、久留米から日田に向かう久大線はJR久留米から南に回り東に向かいます。

この新線が建設される前の時代を支えた全く別の鉄路があったのですが、その前身は吉井馬車鉄道です。後に筑後馬車鉄道と変わり、筑後軌道株式会社というかなり九州でもかなり大規模な鉄道会社に発展したようです。

筑後軌道株式会社は、明治三十六年に吉井と田主丸間で運行を開始し、久大線の開通に併せ昭和四年に幕を閉じています。

 筑後川左岸の加ヶ鶴トンネルも、現在、国道に転用されていますが、元は、この鉄道の路線だったようです。

この鉄道や苧扱川停車場(ステーション=明治に“ステンショ”と呼んだのもそうでしたが、停車場はやはり懐かしい表現ですね)などについてはこれ自体をテーマとして調べたくなります。それは興味を持たれる方にお任せして、誤りを怖れずオコンゴの意味に踏み込みましょう。まず、「苧」は音読みで「ジョ」「チョ」、訓読みで「お」「からむし」となりますが、最後の「からむし」については、明確な意味があるようです。

まず、繊維を採るため、「お」たる「苧」を扱ぐ川であることから「おこんごう」と呼ばれたことは間違いないでしょう。


から・むし

【苧・枲】

…イラクサ科の多年草。…茎の皮から繊維(青苧(あおそ))を採り、糸を製して越後綿などの布を織る。木綿以前の代表的繊維で、現在でも栽培される。苧麻(まお・ちよま)

 (広辞苑)


久留米はいうまでもなく“くるめ絣”で有名な繊維生産地でした。筑後川の対岸北野町には七夕神社(無論、織姫、彦星は織女と牽牛でしたね)があることも決して関係なしとはしないでしょう。私は、紡績、織布を目的として、この川で“からむし”を水に曝していたのであり、その痕跡地名と考えています。また、西光氏による「オコンゴ考」もそのような趣旨で書かれています。曰く、…


…苧扱川、この川で、苧(からむし)の皮を扱ぎ、晒して作った繊維で(糸で)布を織って衣服とし、綱を作って魚をとり、船をもやう綱も作ったであろう。…


もちろん、これは、「オコンゴ考」を書かれた西光氏という先達があってのことであって、改めて氏の慧眼に驚いています。皆さんも機会があれば、口之津の“おこんご”を訪ねられてはいかがでしょうか?付近には島原の乱の原城址、瀬詰崎灯台、早崎漁港の大アコウ群落…と多くの景勝地があり、島原ソウメン第一の生産地、須川の“にゅうめん”も食べられます。

四国の香川県に「苧扱川」という河川があり、鹿児島にもこの地名があるようです(これについては確認していませんのでなんともいえませんが…)。これら、他の苧扱川地名の周辺調査を進めれば、語源、地名の起源についても、さらに明瞭になってくるでしょう。

また、私の住む佐賀県でも、伊万里市原屋敷の大野神社の参道が「オコンゴ」と呼ばれていることもお知らせしておきます。十年前までは和紙が生産されていたことは確認しています。


ここに久留米地名研究会メンバー(当時)が運営するHPがあります。

「山への旅(シリーズ)」です。本人の牛島氏からは了解をとっていますので、「おこんごう」のその他の分布について書かれたものがありましたので、必要な部分だけを使わせて頂きました。


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写真:牛島稔大(2009/7/31


7回 苧扱川という地名


九州地方: 

①苧扱川“おこんご”(島原、口之津)

②苧扱川“おこん川”(久留米市)

③麻扱場橋“おこんば橋”(熊本、南関)

④苧扱川“おこぎがわ”(熊本、合志)

⑤苧扱川“おこく川”(香川、観音寺市)  2010.1.11up


 おこんご”(島原、口之津)    

島原、口之津歴史民俗資料館 資料より         

旧税関跡を整備した資料館

口之津、苧扱川“おこんご”遊郭:    


 おこん川”(久留米市)       

広報くるめ No.1102 2004.2.1 |ふるさと再発見|ふるさとの歴史を伝える池町川 より

市の中心部を貫いて流れる池町川。

西鉄久留米駅付近に端を発しJR久留米駅付近までの川の岸辺は、商店街や歓楽街、官庁街といろんな顔をもっています。

この川は江戸時代初め苧扱川と呼ばれていました。池町川と呼ばれるようになったのは、18世紀以降のことです。城下町の地名1つ、池町にちなんで池町川へと変わったといわれています。

苧扱(おこん)川公園: 福岡県久留米市梅満町543-1


その他の“おこん川”


山口県下関市王子地区(地元の人たちが「おこん川」と呼んでいる小川):

山口県防府市大字江泊(おこん川は、徳山領(富海村)と三田尻宰判(牟礼村)との藩境):

長崎県五島市岐宿町(福江島岐宿町名物・おこん川かかし祭り):


 おこんば橋”(熊本、南関)  


麻扱場(おこんば)橋  

おこんば橋は、南関町大字下坂下、北辺田の内田川に架かっていたアーチ式の石橋で、平成5年にほ場整備にともなう河川改修により、解体撤去のやむなきにいたり、ここ大津山公園内の太閤水の地に移転復元されました。建造年代は不明ですが、江戸末期か明治の初期と考えられています。石工名も残念ながらわかっていません。
橋名は、昔内田川で麻のさらしが行われていて、橋の近辺を「麻(お)扱(こ)き場」と呼んだことによるものです。撤去前は農道として近隣の人々が利用する程度でしたが、昔は肥猪方面から高瀬に出るには、この橋を渡り、上坂下、三ツ川を抜けるのが最短でしたので、多くの人々が利用する大事な橋でした。おこんば橋は、やむをえず移転復元されましたが、これからもずっと町の文化財として大切にしていきましょう。

福岡県八女市黒木町木屋字苧扱場


④“おこぎがわ”(熊本、合志)       

広報こうし 平成197月号(第17号)より。

平成1510月に発見された史跡豊岡宮本横穴群の整備が、今年3月に完了しました。


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横穴とは、がけ面に横から穴を掘ってつくられたお墓です。この豊岡宮本横穴群は、古墳時代後期(約1500年前)の有力者の家族墓で、約9万年前の阿蘇山噴火による火砕流でできた凝灰岩の岩盤につくられています。合志市豊岡の竹迫日吉神社北側にあり、正面にはホタルの住む塩浸川(苧扱おこぎ川)が流れています。

写真は、記事とは別に牛島稔大(2004/9/25撮影)。・・・これは省略しています。古川


⑤苧扱川“おこく川”(香川、観音寺市)  

高屋町(たかやちょう) 旧高屋郷高屋村。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

七宝山山麓で、苧扱川(うこくがわ)が流れる、田園地帯。稲積山高屋神社では春に高屋祭りが行なわれ、満開の桜とちょうさのコラボレーションが見られる。----> 現地の人の呼び方は、“おこく”のようです。 


おこんご関連連地名


長崎県西海市西彼町白似田郷字苧漬川     

佐賀県嬉野市岩屋川内字苧漬川(おつけごう)

大分県国東市国東町岩戸寺字葛原苧着場(おつけば) 

大分県国東市国東町来浦苧畑(おばたけ) 大分県国東市安岐町富清苧畑(おうばたけ)  

大分県国東市小畑   大分県大分市賀来小畑

大分県日田市大山町西大山小切畑(おきりはた)大分県日田市大山町東大山字小畑(おばたけ) 大分県日田市小畑  大分県臼杵市 小切畑

大分県豊後大野市小切畑

熊本県山鹿市小畑 

宮崎県えびの市苧畑 宮崎県延岡市小切畑

宮崎県東臼杵郡門川町小切畑  宮崎県西臼杵郡五ケ瀬町小切畑

兵庫県丹波市春日町棚原 苧漬場(おつけば)の池

京都府宮津市中津(京都府与謝郡栗田村中津)字苧漬場

福島県南会津郡只見町 大字田子倉字芋(苧)漬場(オオアザタゴクラアザオツケバ)

山形県酒田市泥沢苧漬場 山形県酒田市苧畑

山形県東田川郡庄内町大字廿六木字苧漬沼、字苧漬台

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