419 福島県にも足を踏み入れました “茨城県北茨木市の花園神社” 北関東への神社調査 ④
20161202
太宰府地名研究会 古川 清久
今回は単独調査もありましたが、現地の「常陸国ふしぎ探検隊」氏にご案内して頂き、主要な神社を見せて頂きました。
これらを、私の目で書くのも僭越すぎる上に、土地勘もなく頓珍漢な話を書く事にもなりかねない事から、当たり障りのない範囲で書かざるを得ません。
そうした中、遠距離を御案に頂いた神社の中でも、遠回りして見せて頂いた見た目にも美しい神社をご紹介する事に致します。
紅葉の美しい茨城県北茨木市の花園神社です。帰路、福島県も山越えで経由し夜遅く帰り着きました。
ご覧の通り、茨城県でも福島県境に近い東北端の山奥の神社です。
恐らく、御目にも美しい神社だから当方への供応としてご案内頂いたのだと思いますが、有難い限りです。
由緒書も何もない神社でしたが、連携サイトの「常陸国ふしぎ探検隊-それは天津甕星から始まった」
氏が 70.北茨城市花園神社探検記 として、十分すぎるほど書かれていますので、初見の私が書くことは何もありません。
以下、一部ですが、引用させて頂きます。
祭神は大物主、大山咋、大山祇
弟橘姫神社のある磯原海岸から北西方向の阿武隈山地の中にあり、茨城県ではもっとも険しい地区の一つです。福島県いわき市と県境を接しています。
常陸国北部の神社によくみられるように、坂上田村麻呂の征奥に因む創建となっています。
由緒沿革には大同2年平城天皇より「山王大権現」勅額を賜るとあります。
慈覚大師円仁が奉仕したことにもなっています。その円仁が自作した木像が、光圀の隠居と同年に焼失しています。
私は光圀の本地垂迹への嫌悪が表出されていると考えてしまうのですが、どんなものなのでしょうか。なんでも火事にあって燃えてしまったことにすれば大義名分が立ちますから。
花園山は茨城キリスト教大学学長を務めた志田諄一氏が論証した修験道の常陸五山の一つであり、470年の長きに渡り常陸国を支配していた佐竹氏にゆかりの深い神社です。
関東平氏とのしがらみによって源頼朝の挙兵に参加出来なかった佐竹四代秀義は、頼朝が東北勢力と佐竹勢力を恐れ、分断することを目的とした金砂山(西金砂神社)の戦い(1180年)に敗れ、常陸五山の神官、僧侶、山伏などの助けを受け、花園山の猿ケ城渓谷の洞窟に身を潜めています。
秀義は日吉山王権現の使いと言われる山猿が木の実を運んでくれたので、飢えをしのぐことができたという言い伝えがあります。
秀義はこの後、平泉の奥州藤原氏の元に身を寄せ、頼朝の撤退するのを待って常陸国に戻ったようです。
さて神社の考察に移りましょう。
…中略…
千勝神社は日本武尊を祀ることが多いのですが、ここでは事勝国勝長狭命(ことかつくにかつながさのみこと)、記紀では塩土老翁(しおつちのおじ)としていますから百嶋系図では大幡主となります。
似た名前で「正勝吾勝勝速日天忍穂耳命」は天児屋根命を示しますが、「勝」はWINの意味ではなく、「すぐり」と読み月の祭祀権を持っている一族=姫氏を指すようです。(柴刺:馬場紀美史著による)
月の祭祀権は月の引力で潮の干満の大元ですから、海(水)の支配権を示しているようです。
しかし月だけでは代表者にはなれません。日の祭祀権を獲得する必要があります。
巴紋で言えば、左回りがヒダリで日(火)の祭祀権、右回りがミギで水の祭祀権があることを示唆しています。右回りと左回り三つ巴の紋を紋としている神社には長野県上田市の生島足島神社があります。
49.生島足島神社探検記 を参照ください。
以下略載。
お読みになってお分かりの通り、一部の隙もない、完璧な分析です。
氏は私より五年から十年は若いと思っていますので、今後とも通説から独立した研究を継承してくれるものと思います。
皆さんも、ぜひ「常陸国ふしぎ探検隊-それは天津甕星から始まった」お読み頂きたいと思います。
先月も、日量アクセスが2000件を超え、その後も1000件を超えた事があったと言っていますので、既に田舎の九州で書くよりも、大都市近郊だけに、遥かに速いペースで追い越されるものと思っています。
しかし、大物主、大山咋、大山祇といったごついと言うより、強面の神様ばかりを祀る神社にしては、あまりにも美しくあまりにも優雅であまりにも静かな神社でした。
これが、当方が書ける唯一の事でした。
半分ほど、余白があるため、ここで皆さんにお呼びかけをしたいと思います。
現在、ひぼろぎ逍遥、ひぼろぎ逍遥(跡宮)を中心に、多くの神社研究者、古代史研究者、考古学研究者がネット・ワークを形成しています。
かなり、緩やかな連携ではありますが、学会、通説から自由で、なおかつ、行政や教育委員会や既存の郷土史会、史談会、地名研究会と言った旧勢力=守旧派に売り込み、色目を使うさもしい考えや、村興し、町興し、果ては世界遺産登録などといった愚かなことに狂奔する研究者まがいの穢れた人々から自立し、真実を追求しようと考える研究者の連合体を目指しています。
2017年の新年からも、新たに二人ほどの熱心な研究者が加わられる予定です。
心ある、志ある研究者の参加を呼び掛けたいと思って止みません。
併せて、「古事記」「日本書紀」とは全く異なる真実の神代史を復元せんとした百嶋神社考古学に関心をお持ちの方は、直接、当方までご連絡下さい(携帯常時:09062983254)。実費相当で音声データ、文字データをお送りできます。