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201 「黄泉」とは何か?“再び「日本語はなかった」(渡辺光敏)から”

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201 「黄泉」とは何か?“再び「日本語はなかった」(渡辺光敏)から”

20150407

久留米地名研究会 古川 清久


201-1

今回も渡辺光敏氏の「日本語はなかった」“私説日本語の起源”からの採題です。

「黄泉」とは何か?…は、「記」「紀」を聖典として崇めているだけの方々は別として、神代史に関心を向けていると考えなければならない問題です。


「逃來猶追到黄泉比良坂之坂本時」 

(訳)逃げ来るを、猶ほ追ひて、黄泉比良坂の坂本に至りし時


口語訳では「(イザナギが)逃げるのを、(イザナミは)まだ追いかけて、(イザナギが)黄泉比良坂の坂本に着いたとき」となるが、この「坂本」は坂の下・坂の上り口を表している。それゆえに、イザナギは黄泉比良坂を駆け下りてきたということ


201-2


が示唆される。すなわち、黄泉の国は必ずしも葦原中国に対して地下にあるわけではないと分かる。 この時、追いすがる妻やその手下の黄泉の醜女(しこめ)達を退けるため、黄泉路をふさいだ大石を、道反の大神(ちがえしのおおかみ)といい、この世に残った黄泉路の半分(または黄泉比良坂の一部)が、伊賦夜坂(いぶやざか)とされる。そしてさらにその場にあったの木から実をもぎ取ってを投げつけることで黄泉の醜女を追い払っており、このときの功績によって桃は富加牟豆美命(おおかむつみのみこと)という神名を賜り、「これからも(今私にしてくれたように)困った人を助けておくれ」と命じられた。

根の堅洲國は日本書紀では根の国といい、それは黄泉国と違うという考えや同じとする考え方がある。同じとする学者が、黄泉の国は地下にあるものと考えているし、現在では一般にそう受け取られている。しかし、死者の世界が地下にあるということは、漢語の黄泉の意味から来たことであり、本来の日本の考えに即さない。黄泉とは単純に根の国の地名を指し、現在の島根県安来市を中心とした地域で、鳥取県米子市夜見町から黄泉比良坂(伊賦夜坂)のある島根県松江市東出雲町の間にあった土地と言う説[誰?]が有力である。

「ウィキペディア」(20150407/0830)による

これについても、故渡辺光敏氏は明確でした。



201-3-「ここに黄・泉が出てき、カレン族は死者の世界を文のように考えているのである。私はこの発想を中国の始祖の黄帝、黄土の黄と、そこの泉の風土で作っているカレル=地下水路の故郷での生活からの発想だろうと思った。」                    
(※ カレルはカナートと考えられます)


タイ、ミャンマーの山岳少数民族の中に「黄泉」が出て来る事に驚きを感じますが、一つの点として、このことから、カレン族もかつては中原に展開していたものの、漢族から追われ追われて南下したのであろう事を思わせます。

また、「イザナギ、イザナミ」神話との接触、言いかえれば、イザナギ、イザナミに関係する民族も、このカレン族と接触していたか、若しくは、この中原に展開していた時代があった事を教えてくれているのです。

とにかく、「黄泉」が島根県の地名「夜見」などではなかった事だけは確実でしょう。

百嶋神社考古学と併せ考える時、故百嶋先生は、イザナギはAD100年代に活躍した新羅系の昔氏であり、イザナミは、秦の始皇帝と姻戚関係を結んだ「瀛」氏の金山彦(カグツチ)の妹でした。

従って、イザナミもイザナギも黄土高原のカレルを知らないはずはないのです。

従って、この二つの民族が列島に移住した時点で、「黄泉」が持ち込まれる事は理解できるのですが、では、カレン族はどうなのでしょうか?

これについても故百嶋先生は手掛かりを残してくれていました(次葉)。

阿蘇氏の一族(草部吉見系)は、雲南省麗江から海南島を経由し入ってきたビルマ・タイ系の一族でした。

彼らは全体として黎族と呼ばれ、その一派だったのですが、彼らは、紀元前後、中原にも展開していた古代九黎族の一つの流れであり、苗族も漢族に帰順した黎族なのです。

当然、彼らも「黄泉」という地下の泉の事は知っていたはずで、その民族の記憶が、列島とタイ、ビルマの山岳地帯まで運ばれたと考える事ができそうです。

してみると、渡辺光敏氏は、カレン族のかなり具体的な伝承(記述)を切っ掛けに、「古事記」神話の「黄泉」の意味に到達されたのでした。

一つの謎解きが出来た訳です。深謝!


201-4

百嶋手書きデータ・スキャニング01「カレン族」より


カナート(アラビア語: قناة‎ (qanāt))とは、イランの乾燥地域に見られる地下用水路のこと。同様のものをアフガニスタン、パキスタン、ウズベキスタン、新疆などではカレーズ(karez; ペルシア語: كاريز
‎ (kāriz) より)といい、北アフリカではフォガラ(foggara)という。

イラン高原を中心に各時代に出現したペルシア帝国が、ティグリス川・ユーフラテス川沿岸の古代メソポタミア文明を凌駕した点の一つにこのカナートという灌漑施設があったといわれる。現在に至るまで古代に起源を持つこの水路が使われている地域も多い。

山麓の扇状地などにおける地下水を水源とし、蒸発を防ぐために地下に水路を設けたものである。山麓に掘られた最初の井戸で水を掘り当ててその地点から横穴を伸ばし、長いものは数十kmに達する。水路の途上には地表から工事用の穴が掘られ、完成後は修理・通風に用いられる。水路が地表に出る場所には、耕地や集落のあるオアシスが形成されている。耕地では小麦、大麦に加え、乾燥に強いナツメヤシ、近年では綿花やサトウキビなどの商品作物の栽培が行われている。


イラン等: カナート(qanat)
アラビア等: ファラジ(falaj)
マグリブ: フォガラ(fogara)
モロッコ: ハッターラ、カタラ(Khettara,khitara)
アフガニスタン、パキスタンやトルキスタン(中国の東トルキスタン): カレーズ(karez)
中華人民共和国の西部(西域・甘粛省等): カンアルジン(かんじせい/坎儿井/坎児井/KanErJing)
日本:マンボ(東海地方、愛知県・三重県にある人工地下水路。間風と当て字される事がある。)


上記のように、その地方によって異なる名称が使用されているが、さらにローマ字での表記では、現地の発音とローマ字に転記する人物の使用する言語の発音体系等の違いにより、ローマ字の名称にも大きな差がある。


201-5

カナートの伝播と名称の違い


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