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439 熊本神代史研究会(仮称)月遅れ新春三社詣りトレッキング “人吉盆地に天子宮を探る”

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439 熊本神代史研究会(仮称)月遅れ新春三社詣りトレッキング “人吉盆地に天子宮を探る”

20170123

太宰府地名研究会(神社考古学研究班)古川 清久


 これまでにも何度か、熊本を中心に神社を巡るトレッキングを行っていますが、2017年月遅れながら新春三社詣りトレッキングを行う事となりました。


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写真は2106年の山鹿市でのトレッキング


 12月の講話に続き今回は人吉盆地で4社ほどを巡るトレッキングとなる予定です。

 今回も3040人程度の集まりになる事から事故にならないように気をつけなければならないと思っています。

 このblogがオンエアされる時には既に終了している事と思いますが、4社を廻る際に用意した配布資料をそのままお読み頂くのも良いと考え公開する事にしました。

 以下…。


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あさぎり町杉姫稲荷神社(免田)② 天子神社(深田天子の水公園)深田に行けば分かる

 天子神社(久鹿838)役場そば ④ 大宮神社(多良木町黒肥地1278) 


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2017年年頭 月遅れ新春3社詣りトレッキング・ポイント


  あさぎり町 杉姫稲荷神社 あさぎり町免田東1837 現地は分かり難いため注意して下さい!  

  天子神社  深田天子水公園 深田に行き天子水公演を探せば駐車場は百台分あります。

  天子神社  あさぎり町久鹿838 役場そば

  大宮神社  多良木町黒肥地1278 神紋を見ても重要度は分かるがこれも旧天子のみたまやと!


人吉盆地全域には2030ケ所に天子地名、天子神社、天子宮が散見されます。今のところ、相良氏入封以前の信仰圏の痕跡と考えています。百嶋先生もモーゼを祀るヘブライ系氏族の神社と言われていました。

  杉姫稲荷神社 この神社には同系統と考えられる広島市の杉姫稲荷神社があります。明治政府の祭政一致の国家神道とされた神道の神社とは別に、黒住教、金光教、天理教などの明治政府が公認した教派神道系神道十三派の神理教の教師であった藤田宣彦が大正3年(1914)に創立した誠光教の神社です。


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天子神社(深田天子の水公園)=フリー・メイソンの三角定規とコンパスの神額を抱く天子神社)


ひぼろぎ逍遥021 人吉盆地にユダヤの紋章を持つ神社がある


この神社はこれまで続けてきた天子宮調査の一環で発見したものですが、あまりにも衝撃的な神紋だけに、散逸する前に記録に留めておこうと、今回公開することにしました。

九州の西半分、熊本県を中心に相当数の天子宮、天子神社、天子社なるものが存在します。

一部は、京都、岡山、兵庫県などにも存在、もしくは痕跡を留めており、これについては、百二十本に上る短文を書いています。ネット検索で「伊倉」“天子宮は誰を祀るか“と検索すると、当方のものにアクセスできますし(五十本近く公開しています)、天子宮などと検索しても色々出て来ます。

いずれ百二十三本全部を画像付きでアップするつもりですが、教育委員会も神社庁も学者も無視している神社ですので、ほとんど纏まった研究がなされていないようです。

ただし、この紋章は他の天子宮や他の神社にも見ないものであることから、天子宮の全てがこの手のものであるという判断は、まだ、なお危険です。

しかし、なぜこんな紋章が神額にあるのかについては誰も説明できないのではないでしょうか?ここでは天子宮に関する周辺調査や人吉の天子神社の分布(かなりの=20ケ所以上の痕跡があります)については触れません。また、ユダヤ云々、日ユ同祖論も避け画像だけをお見せすることにします。


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 天子神社  あさぎり町久鹿838 あさぎり町役場そば


ひぼろぎ逍遥362 熊本県あさぎり町久鹿の天子神社に再訪 でも再度取り上げた神社です。


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景行天皇の熊襲退治の話から大足彦忍代別尊と推定されていますが、明治期に造られた話と考えられます。

 今回、「熊本県神社誌」を見て気付いたことがありました。

 それは、この久鹿の天子神社は岡留の熊野神社(旧免田町乙1579)諾冊二神、速玉男神の境外摂社だったのです。摂社は6社あり、その筆頭が天子神社ということなのです。

 そう考えると、ヤタガラス(速玉男)を祀る熊野神社が景行天皇(勿論、百嶋神社考古学では景行は天皇ではないのですが)の下に扱われる事はやはり異常に思えるのです。


熊野神社(旧免田町乙1579)諾冊二神、速玉男神


1. 天子神社  免田町久鹿838     景行天皇

2. 熊野神社  免田町築地4119    熊野三神

3. 厳島神社  免田町黒田1471    市杵島姫命

4. 熊野神社  免田町吉井1997    熊野三神

5. 白木神社  免田町永才2371    天之御中主神

6. 八幡宮   免田町八幡町1840   応神天皇外二神


八幡宮のある八幡町は、それこそ近畿大和朝廷の占領軍集落か、相良一族入府の占領軍集落でしょうが、それを除けば、天子神社の景行天皇という配神が異常であることは明らかで、まず、景行天皇は祭神の入れ替えであろうことは明らかでしょう。

 天御中主も市杵島姫も白族=大幡主の一族であり、伝統的にこの旧免田町のエリアは熊野系の地域だった事は明らかでしょう。

では、天子宮の祭神とは何でしょうか?

これについては、伊倉 天子宮は誰を祀るか?全て公開した後皆さんで考えて頂きたいのですが、この天子宮調査を行っていた当時は、九州古代史の会の中心的メンバーであった荒金卓也氏の説に沿い、その裏を取るための調査をしていたのであり、荒金氏による「多利思北孤」説を軸に考えていました。

 しかし、百嶋先生は“あれはヘブライ系集落でモーゼを祀っている”と言った趣旨の話をされていました。

 当時、“とんでもない事をおっしゃる方だなあ”と驚いたものでしたが、今は、やはりそれが正しいと思う様になりました。

 肥後でも八代から球磨川流域、人吉盆地一帯は、相当に古い時代に入った人々が住み着いているようなのです。


  大宮神社  多良木町黒肥地1278 


ひぼろぎ逍遥315 人吉盆地の懐深く最高格式神社に再訪  “熊本県多良木町の王宮(オウグウ)神社“

で触れています。


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人吉盆地の神社を考える時、真っ先に頭に浮かんでくる神社は青井阿蘇ではなくこの多良木町黒肥地の王宮神社です。十年ほど前、この人吉盆地の最深部を走り回り、天子宮(天子社、天子神社)と呼ばれる奇妙な神社群を調べていました。実は、この王宮神社も天子宮が同町の久米地区から移動してきたものなのですが(以前はその表示板が存在した)、天子宮に関してはひぼろぎ逍遥(跡宮)で独立したリポートを掲載中であるためここでは触れません。

 まず、熊本県南半部には〇〇木という(恐らく半島系)地名が数多く拾えます。

 球磨川の左岸には白木、久多良木(百済木川が球磨川に注ぐ)もあり、隣町の錦も含め多良木もその一つと考えられるのですが(そもそも百済はペクチェであり、クダラと呼んではいないが、新しい多良に対して旧い多良が「百済」クダラと呼ばれたとしたのは「百済の王統と日本の古代」を書いた兼川 晋氏でした…)、この神社の性格がそれに繋がるかどうかも、なお、不透明です。

 ただ、そういった背景には関わらず、社殿の美しさ、気品、古代を感じさせる神秘性…の一切が閉じ込められ、多少とも相良以前を感じさせるのがこの王宮神社です。

 例によって「熊本県神社誌」(264p)を見ると抑制気味ながらもこの神社が唯ならぬものであることが読みとれるのです。

 まず、黒肥地神宮(王宮)と大書(ボウルド表記)され祭神も神武天皇の一柱とされているのです。

 社殿(神殿)に打たれた神紋も五七桐であり、祭神と神紋はすっきりと一致を示しています。

 ましてや、神武僭称第10代崇神(ハツクニシラススメラミコト)の片鱗など欠片もないのです。

 この神社が、高原町の狭野神社と並ぶ本物の神武(カムヤマトイワレヒコ)天皇を祀る数少ない神社であることは、まず、間違いないでしょう。

 そして、前述のように「太郎・田部忠綱当郷に来たって久米蓑毛に住し、帝廟を勧請して王宮大明神と崇祀った。その後現在地に遷座」と書かれているのです。

 そこで、久米に現在も残されている久米熊野座神社(多良木町久米1098)の祭神及び久米に在る境外摂社五社の配神を見ることにしましょう。

 まず、久米は神武の戦闘集団(海兵隊と言うよりさしずめ古代の海軍陸戦隊)でした。

 この久米が付された土地ですから、単に勇壮さに肖って付された地名とも思えず、古代の何らかの関係者(例えば大友旅人の隼人征伐にも参加した久米族の末裔の残留者…)が住み着いた土地ではないかとも思えるのです。

 では、この久米郷の摂社を「熊本県神社誌」からご覧ください。


 久米熊野座神社  熊野三神          白族

 若宮神社     健磐龍命外二神       阿蘇系(多少疑問?)

 治頼神社     相良治頼          相良氏(実体はニギハヤヒ系ではないか?)

 菅原神社     菅公            菅原系(白族かスサノウ系か?)

 年神社      大年、御年、若年神     草部吉見系

 八坂神社     素戔嗚尊・櫛稲田姫     スサノウ系


 確かに戦闘集団の形跡があるのですが、今後、丹念にこの6社を見せて頂く事にしたいと思います。

 では、社殿をご覧ください。


 確かに神日本磐余彦命を祀る宮である事を表すかのように、五七桐の神紋が打たれています。

なお、境内社として健磐龍とされた若宮が、源嶋社(当方未確認)二社が置かれていますが、由緒を見る限り、玉依姫命、健磐龍命、比売命なる三神が加えられており、「熊本県神社誌」とは異なっています。

これは、多分、阿蘇系三神が後に追加されたものと思います。

本来、人吉盆地一帯は阿蘇系の領域ではないはずなのです。

それは、人吉、球磨地方全域の神社の配置を見れば明らかで、青井阿蘇も本来は阿蘇系神社ではないはずなのです。

少なくとも、王宮神社は単に初代神武=神日本磐余彦命(カムヤマトイワレヒコ)を単独で祀る神社であったはずで、相良侵入以前の古い神域を表す貴重かつ、人吉郡内最高高格式の神社が、この多良木の王宮神社だと思うのですが、“皆さんにも青井阿蘇から足を延ばしてご参拝頂きたい“と思ってやみません。


035 伊倉 三十五 “人吉盆地最大の天子神社の発見(多良木町王宮神社)”もネットに流しています


まず、人吉盆地最大の神社は人吉市街地の中心部に鎮座まします青井阿蘇神社ですが、第二の神社はと考えるとこの王宮神社になるのかも知れません。それは社殿の規模による印象に過ぎませんが、どうもこの神社が天子宮に思えるのです。この神社は前日下見をしていましたが、表看板としては神武天皇が祀られており、今まで見てきた天子宮とは異なります。

しかし、その後驚く事に気が付くのです。きっかけは、伊倉 三十四“球磨焼酎と多良木町久米の天子”に登場頂いた住吉先生との雑談でした。久米の天子に天子という字地名と湧水地が一致していた事を確認した直後でしたから、なお一層鮮明でしたが、実は先生のお住まいの場所が王宮神社の裏手の集落で「天子前」だと言うのです。私は「じゃあ、天子とは王宮神社の事じゃないですか・・・(そうに決まっていますよね)」「そうじゃないと思っていたが、あんたの話を聴いていると考えが変わってきた・・・」といった会話が車中で飛び交ったのでした。

今後、王宮神社について『肥後神社誌』などの調査を行う事、字地名と現在の王宮神社の位置関係の確認、神社自体の調査が必要になります。しかしこれらの基礎的な事を既存の地元郷土史に明るく熊本地名研究会の重鎮でもある住吉先生がご存知でないはずはないのであって、それほど期待はできません。八世紀に消された古代王権の痕跡が探れ、既存の残存史書からその片鱗が簡単に発見できるとは考えられないからです。

ここでの考え方として注意すべき点があります。それは、元々「天子」があった場所の上に破壊的に王宮神社が造営されたのであり、本来の天子宮とは全く性格の異なるものであるとも考えられるのです。言い換えれば、反「天子」とでも呼ぶべきものである可能性も否定できないのです。しかし、仮に、反「天子」が「天子」の上に聳え立ったのであれば、隣接する「天子前」なる字名を残しておくとは考え難いのですがいかがでしょうか。

社伝からすれば、神社の造営は征服者であるはずの大友、久米によるものであると言えるでしょう。もしも、大和朝廷の武闘派が征服後に持ち込んだ神社であれば、「八幡」とか「伊勢」とかにしそうじゃありませんか。

私見はこうです。社伝に「・・・帝廟(天子のみたまや)を勧請した・・・」とあるように、やはり元は天子宮だったはずなのです。それは破壊した後の再建である可能性が否定できません。球磨川左岸には大字久米があります。恐らく征服者達は征服後の抵抗と多くの残虐行為への謝罪を込めて天子宮を復活せざるを得なかったのでしょう。しかし、「天子宮」、「天子の御霊廟」との名称は残す事ができずに、折衷的な「王宮神社」とされたように思うのです。

もちろん、字地名(原初地名)の成立の時期をどこまで遡るかの問題はあります。一説ではありますが、この王宮神社は「久米の元天子」と呼ばれていることがネット上に出てきます。さらに、王宮神社の下手から多良木中学校に渡る橋があるのですが、それが天子橋という名なのです。どう見ても王宮神社は天子宮に思えるのですが、これも住吉先生から教えていただいた事です。

また、「その後、現在地に遷座したもので祭神は神武天皇である。」との社伝ですが、地元の被征服者に対しては「天子神社」、公式には神武天皇としたため「王宮」神社となったとも思えるのです。


・・・多良木源島に帝廟(天子のみたまや)を勧進した。その後現在地に遷座したもので、祭神は神武天皇である。

楼門の解説(熊本県教育委員会)昭和37


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大宮神社は、まず、人吉盆地第一の超高格式神社と考えています。

資料について必要な方は09062983254古川まで


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