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スポット113(後) 盛り蕎麦と掛け蕎麦  “籠池氏と加計氏とはどのような人々なのか?”

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スポット113(後) 盛り蕎麦と掛け蕎麦  “籠池氏と加計氏とはどのような人々なのか?”

20170713

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


この安芸太田町加計に長尾神社という目立たない神社があるのですが、ひぼろぎ逍遥 322 春本番!安芸太田から邑南町の神社探訪 ⑤ “広島県旧加計町中心部の長尾神社”では、このように書いています。


いずれにせよ、旧加計町から安芸太田一帯は物部氏を思わせるものが多数感じられます。

その本体が何であるかを判断する根拠の一つに厳島神社の一族=白族=大幡主=ヤタガラスが関係している事だけは確かです。

また、「紀氏の荘園・姓(国別 )」によれば、


鎌倉時代の終わり頃(1331頃)大田川の上流、戸河内町に来栖という土豪がいてこの土居を中心に勢力を張った。郷内に各地に一族、庶家を分封して所領の確保をはかる、太田郷。

栗栖氏の先祖は京都の「栗栖野」(現在の山科区栗栖野)に住んでいたという説がある(栗栖氏の先祖は石清水八幡宮第32代神主の田中宗清の子となっている)「発坂城」は栗栖氏の総領家が代々本拠にしたといわれる。

この地方は古くから厳島神社の社領であり、栗栖氏は厳島神社の神主家である藤原氏の支配下の神領衆の一人とも言われている。

HP「紀氏の荘園・姓(国別 )」より


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この加計の一帯に厳島神社の宮司家の一族が入っている事は確実なのです。

では、この加計という地名はどこを起源としているのでしょうか?

これについても、ひぼろぎ逍遥 369 安芸太田の長尾神社と飯塚市鹿毛馬の厳島神社 でこのように書いています。

それは、加計インターの「加計」という地名についての話です。これについては前回のリポートを書く時点でも気付いていましたが、この地に住み着いていた人々のルーツについて思い当たる事があるのです。

厳島神社からの宗像三女神の勧請で、加計(カケ)地名ならば、この地に住み着いた人々は、福岡県飯塚市の鹿毛馬(鹿毛馬神籠石で著名)からの移住者、若しくは縁故者としか考えられないのです。

飯塚市鹿毛馬の地名の意味は鹿毛の間の意味で、中間、赤間、福間、和間、須磨、大間…といった湾奥地名の一つで(古代遠賀湾の最奥部)、本来、地名の根幹は「鹿毛(カケ)」=「加計」にあります。

しかも、この地にある飯塚市鹿毛馬の厳島神社は、本来は宗像大社や宮島の厳島神社よりも遥かに高格式の神社(白川伯王家)と考えられ、その一族、縁故者の移住(避退)によって、この安芸太田の地に入られたのだと思うものです。


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この鹿毛馬の厳島神社については、ひぼろぎ逍遥230 白川伯王家源流の神社初見 “飯塚市鹿毛馬の厳島神社(安芸の宮島のルーツ)”外で書いていますので参考にして下さい。

 なお、地図の「鹿毛馬」の隣の大字が「佐與」であることがお分かり頂けると思いますが、厳島神社の社名のルーツである市杵島姫(瀛津嶋姫)の別名である佐與、佐用、佐用…であることがお分かり頂けると思います。市杵島姫はこの地で産まれたか?幼少期をすごされたからこそ佐用姫とも呼ばれたのです。


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詳細はこれらを読んで頂くとして、広島県の出身とされる加計学園の加計 晃太郎氏が、この白川伯王の一族の後裔のお一人であり、この一帯で有名な「加計隅屋鉄山」の経営者の一族の後裔の人物である可能性も非常に高いように思うのです。


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さて、ひぼろぎ逍遥(跡宮)106 白川伯王家の源流の神社初見 “飯塚市鹿毛馬の厳島神社(安芸の宮島のルーツ)”にはこのように書いていました。


百嶋由一郎先生から“飯塚市鹿毛馬の某神社が白川伯王の流れを汲む本家であり、厳島神社の元宮、白川伯王家の源流の一族の神社である”と聞かされていました。

 正面の鹿毛馬(カケノマ)神籠石については、過去何度か訪れていましたが、神籠石の踏査などをやると大抵はくたびれ果ててしまい、目の前の神社でさえ見に行こうなどとは中々思わないものです。

 また、飯塚市の中心部からもそれほど遠いところではないため、何時でも行けるとなると意外と足が向かわなかったのでした。とは言え何時かは時が訪れるものです。

今回は、筑豊でも香春神社(縁起式内社)の再撮影など田川郡内を走り回っていたのですが、急に思い立ってカーナビで距離を測ると、山越えルートで移動すれば15キロ、20分もあれば行ける事に気付き、天気も良い事から課題であったその某神社(百嶋先生は最後まで公表されませんでしたので)に向かう事にしました。


以前も触れた事がありますが、「白川神道」など聴いた事もないという方のために、学者の権威を無視するためにも、敢えて彼らが無視する ウィキペディア(20150417 2030を紹介させて頂きます。


白川伯王家(しらかわはくおうけ)、又は白川家(しらかわけ)とは花山天皇の皇孫の延信王清仁親王の王子)から始まり、古代からの神祇官に伝えられた伝統を受け継いだ公家である。皇室祭祀を司っていた伯家神道(白川流神道)の家元

白川家(しらかわけ)は花山源氏を出自とする堂上家である。花山天皇の皇孫の延信王(のぶざねおう)が源姓を賜り臣籍降下して神祇官長官である神祇伯に任官されて以降、その子孫が神祇伯を世襲するようになったために「伯家」とも、また、神祇伯に就任してからは王氏に復するのが慣例であったことから「白川王家」とも呼ばれた。


白川伯王家の成立

白川家の特徴は、神祇伯の世襲と、神祇伯就任とともに「」を名乗られたことである。「王」の身位天皇との血縁関係で決まり、本来は官職に付随する性質のものではない。非皇族でありながら、王号の世襲を行えたのは白川家にのみ見られる特異な現象である。以下、このことに留意しつつ白川家の成立について説明する。

…中略…

吉田家との地位逆転

室町時代になると、代々神祇大副(神祇官の次官)を世襲していた卜部氏吉田兼倶吉田神道を確立し、神祇管領長上を称して吉田家が全国の神社の大部分を支配するようになり、白川家の権威は衰退した。江戸時代に白川家は伯家神道を称して吉田家に対抗するも、寺社法度の制定以降は吉田家の優位が続いた。

家格は半家、代々の当主は近衛中将を経て神祇伯になった。

江戸時代の家禄は200石。他に神祇領・神事料100石。


王号返上と家系断絶

明治時代になると王号を返上し、白川家の当主の資訓子爵に叙せられた。資訓の後を継いだ資長には実子がなく、伯爵上野正雄北白川宮能久親王庶子)の男子の養子に迎えたが、後にこの養子縁組は解消となり、白川家は断絶となる。

 


白川伯王が何かついては、既にひぼろぎ逍遥 159 秦の始皇帝と市杵島姫、173
博多の櫛田神社の祭神とは何か?で説明していますので詳しい説明は省きます。

 ただ一点、明治期になり神祇官の指示によって白王姓を名乗るのはまかりならん(天皇家に対して不敬である)として「白王」姓を「白土」姓に変更され、この宮司家は白+(土+、)を名乗っているのです。

ここまで見てくると、加計姓を名乗った人々とは、朝倉日田の大災害で多くの人々が犠牲になっている最中に、自らの世界遺産登録を喜ぶ今の宗像大社や安芸宮島の厳島神社などよりも遥かに高格式の飯塚市鹿毛馬(カケノマ)の厳島神社に起源を持つ白族(博多の櫛田神社の大幡主の一族)であり、下賀茂、上加茂にも通じる豊玉彦、ヤタガラスの後裔、つまり裏天皇家の一族の様に見えるのです。

では、安倍晋三と仲良しのお友達だった方々との関係が、何故、ガタガタし始めたのでしょうか?

今年の二月に スポット095 朝鮮半島が北主導で統一される! 20170224 で、以下のように書いていました。

既に、ダビデ=デイビッド・ロックフェラーの後継となったキッシンジャーは、再度、親中派(実はマキャベリストの等距離外交派)の小沢を担ぎ出そうと、既に安倍降ろしが始まっているのではないかと思えるのです。まず、森友学園を巡る動きが何故唐突に生じたのかも考えて見るべきでしょう。

かつて小沢と袂を分かった小池がどう動くか、情報に操作されるB層はどうにでも操れると尚も考えているのです。

そういえば、電通が何故叩かれているかも考えてみるべきでしょう。

籠池氏と加計氏は共々日本会議のような安倍政権を支えたお友達なのでしょうが、そもそも系統の異なる勢力の方なのでしょう。

今回、籠池氏は切り捨てられ、加計氏はまだ関係を維持している(安倍を切り捨てることをためらっている)と思われます。

この温度差は、統一教会なども含め、安倍を支えた勢力内部に内紛、衝突が起こっており、既に内部分裂が起こっている可能性が考えられますが、奥の院の様子は伺い知る事はできません。

この延長上に現在もあるのですが、安倍の応援団として動いていたヤタガラス系の人々が、キッシンジャー(彼は伝統的親中勢力であることは明らかですね)が引き継いだとされるロックフェラー系ユダヤ・マフィアの指示で反中国を標榜する安倍を降ろす方向で動き始めたのかも知れません。

ここでは厳島神社の一族がどのような流れなのかを百嶋由一郎最終神代系譜で確認しておこうと思います。


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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


この黄枠の三姫君こそ三女神=市杵島姫、豊玉姫(タゴリヒメ)、鴨玉依姫(タギツヒメ)なのです。

白川伯王~大幡主~ヤタガラスの後裔なのです。


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