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441 下賀茂神社の祭神は、何故、賀茂建角身(カモタケツヌミ)命と呼ばれているのか

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441 下賀茂神社の祭神は、何故、賀茂建角身(カモタケツヌミ)命と呼ばれているのか

20170203


太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 今回は皆さん良くご存じの下賀茂神社のお話です。


十五年ほど前に一度訪問させて頂いただけの身ながら、勝手な話をさせて頂くことになりますが、その点は平にお許しを頂くとして、ここではその深層には踏み込むことはせずに、表面的かつ側面的な話をさせて頂くことにします。

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下賀茂神社


賀茂御祖神社(下鴨神社) カーナビ検索 京都府京都市左京区下鴨泉川町59 ℡:075-781-0010


御祭神と御神徳


441-2正式には「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」とよびます。

京都は鴨川を中心に町づくりがなされており、鴨川の下流にまつられている

お社というところから「下鴨(しもがも)さん」とか「下鴨神社(しもがも)」と親しくよばれています。

東西の両本殿はともに国宝に指定されています。

【ご祭神】

賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと) 西殿

玉依媛命   (たまよりひめのみこと) 東殿


賀茂建角身命は、古代の京都をひらかれた神さまです。

山城の国一宮として京都の守護神としてまつられています。

平安京が造営されるにあたって、まず当神社に成功のご祈願が行われました。

以来、国民の平安をご祈願する神社と定められました。

 山城国『風土記』などに、玉依媛命が鴨川で禊(みそぎ─身を清める儀式)を

されているときに、上流より流れ来た丹塗の矢を拾われて床におかれたところ、

矢は美しい男神になられ、結婚された。

そしてお子をお生みになったとの神話が伝えられていますので、古くから縁結、

子育ての神さまとして信仰されています。

当神社は、国家国民の安穏と世界平和をご祈願する守護神であるとともに、厄除、

縁結、安産、子育、交通安全など人々の暮らしを守る神さまです。

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下賀茂を考えるに際して、まず、故)百嶋由一郎氏が残された神代系譜(ヤタガラス・バリアシオン)を見て頂きます。

祭神の賀茂建角身命がヤタガラス(豊玉彦)であることには異論はありません。

しかし、もうお一人の祭神の玉依姫がどなたなのかが問題なのです。

一般的には神武天皇の産みの親が豊玉姫で、育ての親が玉依姫などとされますが、「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)をお読みの方には、それこそが上賀茂神社(賀茂雷神社)の主神賀茂別雷大神=贈)崇神天皇が初代神武天皇を僭称するための仕組みでしかない事が段々とお分かりになってきたと思います。

そうです、下賀茂の祭神とされる玉依姫とはヤタガラスと櫛稲田姫(セオリツヒメ、イカコヤヒメ)=元スサノウのお妃 との間に産れた鴨玉依姫であり、父と娘が祀られているのです。


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百嶋最終神代系譜(部分)



そして、その偽装された豊玉姫と玉依姫のお二人とは百嶋最終神代系譜の黄枠の豊玉姫と鴨玉依姫のお二人なのです。


そして、このことは下賀茂神社も十分ご存じの事だと承知しています。

 実際には藤原が偽装した「古事記」「日本書紀」はご迷惑なのだと理解しているのですが…最近、この玉依姫とは神武天皇の育ての親の玉依姫ではないと本当の事を言われ始めたと聞き及んでいるのですが、まだまだ明瞭には主張されてはいないようですね。


では、そろそろ本題に入りましょう。「賀茂建角身命」の呼び名が気になるのです。

 普通に読めば、「カモタケツミノミコト」ですね。

 しかし、賀茂建角身命(かもたけつみのみこと) 西殿 と書かれているのです。


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441-5これまでも何度か書いていますが、九州(現在は大分県北部の瀬戸内海側沿いを除く)では、標準語のO音がU音と入れ替わる場合が数多く認められます。

「今日は大事(オオゴト)をしでかした」→(ウーゴト)、栂(トガ)→栂(ツガ)、ホウヅキ→フウヅキ、遊び呆(ホウ)ける→呆(フウ)ける…

というように、九州ではU音で発音されるものが、畿内というより九州島外ではO音として発音される傾向が顕著になるのです。

ここまで言えば、お分かりになったと思いますが、ヤタガラスの一族の故地は畿内や紀国などではなく九州だったのです。

そもそも、豊玉彦とか豊玉姫とかどこに居たと考えておられるのでしょうか?神武僭称贈)崇神天皇さえ九州にいたのですし、その子である豊城入(ニュウ)彦も豊の国に居たから豊の字が付されているのです。

勿論、“それは近代の方言じゃないか!神代の祭神の名前に反映されていると言う保証は何もない…”などと強弁される畿内説論者などが出てこられる事は容易に想像できますが、じゃあ、逆に、何故、そう呼ばれているか読まれているかについて積極的に説明できるものをお持ちなのでしょうか?と問えば良いだけの事なのです。

右は、少し古いのですが、講座方言学「九州地方の方言」(10p)九州方言の概説 上村孝二1三 音韻 1 母音 の一部です。

遠い神代を探るには何でも使わなければ届かないのです。

それを、始めから“神世の話ですから“”欠史8代を議論する等気がふれている“などと封殺されるのは愚かな事だと思うものです。

最後になりますが、下賀茂神社には橘殿があります。

豊玉彦ことヤタガラス=賀茂建角身命の流れから後の橘一族が出てきているのですが(故百嶋由一郎氏も豊玉彦と聴いたら橘一族を頭に描いて下さい。)と言われていました。


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