442 江戸荒物
20170204
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
「荒物屋」という言葉が事実上の死語になって久しい感じがするのですが、息抜きのためにも、たまには民俗学的な軽い話をすることにしましょう。
タイトルを「江戸荒物」としたのは、先年亡くなった上方落語の故)桂 米朝師匠の「江戸荒物」から採題したもので特別な意味はありません。
特選!!米朝落語全集 第31集 CD「替り目」/「江戸荒物」
米朝師匠自身もその噺の中で、「荒物屋」と言っても、もう、若い方には何のことだかお分かりならない…といった話し方をされていますが、収録された時期からも相当な期間が経過していますので、この状況は更に深まっていると思います。
非常に有難い事に、YouThubeでも動画で視聴できますので、関心をお持ちの向きには試みて頂きたいと思います。
神社調査のために長距離の移動をしますが、鬼平犯科帳の中村吉衛門朗読の「古事記」ばかり聴くのも飽きてくると、米朝、枝雀、志ん生、圓生、文楽、小三治、松鶴、五郎…(談志、円楽は遠慮しますが)を旅の伴とするのですが、久しぶりに「江戸荒物」を聴いて、まだ、九州には「荒物屋」が残っている事を考えていました。
若い方のために、一応、「荒物」を説明しておきますが、雑貨店と言っても、イメージが湧かないと思いますので、まず、百円ショップ、ホーム・センター、ディス・カウント・ストアー、リサイクル・ショップの小型版と考えて頂いた方が良いでしょう。
まあ、安物の(安手の)家庭用品が売られていた何でも屋と言ったものと言えばお分かり頂けるでしょうか?
浴用石鹸といった言葉さえ死語になりつつありますが、安物の洗濯石鹸は荒物屋でも売りますが、高級な浴用石鹸となると化粧品店とか薬局に行かなければいけませんし、安物の下駄なら下駄屋や履物店に行かなくても荒物屋で十分足りたのです。
要するに、庶民向けの安物雑貨店が荒物屋であり、安物の日用品雑貨が並ぶ便利な店だったのです。
それを学者先生に書かせると、格調高く、以下のようになります。
荒物を小売りする店。荒物とは粗雑な道具類のことで、小間物(こまもの)に対していった。江戸初期には現れ、そこでは旅の荷造りの薦(こも)・渋紙・縄・細引や、差木履(さしぼくり)、塗木履を売っていた。その後、取り扱う商品は変わってきて、多くの日用雑貨、たとえば笊(ざる)や桶(おけ)といった台所用具、草鞋(わらじ)、箒(ほうき)、塵(ちり)取り、浅草紙、下蝋燭(ろうそく)などがあった。荒物屋は今日では日用雑貨商にあたるものといえる。[遠藤元男]
五、六年前までは、「荒物屋」と幟を揚げた荒物屋が、福岡県大牟田市の中心部に二店舗、大分県竹田市の中心部に一店舗、商品も潤沢に並べられていましたので、必要もないのに何かを買った記憶がありますので、大型店が出店し難い所とか、観光客が訪れるレトロ村と言ったところでは存続できているかもしれません。
しかし、大牟田市のそれは例外的に生延びていたもので、ある種鮮烈な印象を与えてくれます。
さて、噺の概略は熱心な方がおられますので、ネット上から拾ってきました。
江戸荒物
【粗筋】
喜六という男が「東京荒物」という商売を始めた。品物は他の荒物屋と同じだが、台詞を全部江戸ッ子弁にして、
「さあいらっしゃい、何でもあります」
と言っていれば、勢いにだまされて買ってしまうだろうという目論見(もくろみ)。インチキ江戸弁で商売を始めたが、最初の客は日本語が通じないと逃げ出してしまう。次に来たのは本物の江戸ッ子、本物の江戸弁は喜六を圧倒、男は只同然で品物を持って行ってしまう。がっかりしていると、今度は田舎娘が現れ、
「うちかたさァに、なァしろはァのつんずべなァのォざァちゅうでおざちゅでェのォ」
と言う。何度か繰り返させてようやく、
「家の方に、七尋半(ななひろはん)の釣瓶縄(つるべなわ)がないとおっしゃってござるでのう……」
と言っているのだと理解したが、生憎(あいにく)なことに縄だけは仕入れて いなかった。
「どう言えばいいのやろ。『おまへん』では大阪弁か……『あります』の反対やから……ないます、ないます」
「あんれまあ、今から綯(な)っていたんでは間に合わねェ」
【成立】
埋もれていた大阪噺を桂米朝が発掘したもの。江戸と大阪、更に田舎の言葉を使い分けるだけでなく。現在はざる・天秤棒・たわしという品物も説明が必要……案外面倒な噺である。大阪漫才では不思議な江戸弁が用いられるが、米朝は枕でその勘違いを説明し、なかなか見事なな江戸弁を用いていた。
笑福亭松鶴の速記本では、田舎娘の言葉を、
「行き方さあになあしろなあのつんるべ、なあの、あざわちょうで、なかろまいかのう」
としている。本文のものは米朝が演じていたものを、私が聞いたミミコピ。一度聞いただけで録音がないので、違っていたらすみません。CDが出ているようですが、入手していないので、お持ちの方はチェックしてお知らせ下さい。
【蘊蓄】
本来荒物屋は台所用品の店だが、間に合わせに使う雑貨を並べるようになった。良い物は専門店で買うが、間に合わせならほとんど荒物屋で間に合った。
歌舞伎『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし=俗にお富与三郎:嘉永6)』には、荒物屋の様子が記載されている。
「暖簾(のれん)口、上の方へ間平戸、暖簾口より下手(しもて)へ小間物、荒物、別々の棚、引出しの書割(かきわり=舞台装置を絵で描いたもの)。此前( このまえ)、歯磨(はみがき)、松脂(やに)、梳油(すきあぶら)等の掛け札。 此前、欄間(らんま)より本支の手拭他、大分下げ、この手拭と共に金太郎の顔など附きし仕立て腹掛け、此下へ巻き手拭地を並べし箱台。曲げ紐、小間物の箱並べ、下手、一間の屋体。前づら、こゝに腰障子、これへ地染めの手拭、小間物、荒物品々、後ろ壁、これへ天地膏(こう=膏薬)その他、妙ふり出しの張り札」
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面白いと思ったのは、関東でも関西でも「荒物」、「荒物屋」といった言葉が共通しているのですが、それに対して、実際に売られている物の呼び名はかなり違っている事です。
噺の中で取り上げられている「荒物」でも東西で呼び名が異なっているのは、まず、「カンテキ」です。
関東 七輪(シチリン) 関西 カンテキ 九州 七輪(ヒチリン)
関東 天秤棒 関西 オウコ 九州 天秤棒
天秤棒とは勿論 物を荷う棒の事で、「オウコ」には「朸」「枴」とあまり使わない漢字表記もあるようです。
関東 ザル 関西 イカキ 九州 ザル
デジタル大辞泉の解説 い‐かき【笊=籬】竹で編んだかご。ざる。
関東 ヘッツイ 関西 クド 九州 クド、カマド、ヘッツイ
写真は後期の高級なものですね。
関東 タワシ 切藁(キリワラ) 九州 タワシ
左がタワシで右が切藁ですが、タワシの登場が切藁を駆逐したのです。左官さんはまだ使っておられるのを知っています。私も安もんの日曜左官はできますので。
カンテキは焼肉屋として「カンテキ屋」が生きていますので、死語にはなっていませんが、オウコ、イカキ、クド、キリワラに至っては絶滅危惧種であることは間違いないでしょう。
草鞋(ワラジ)からハタキからホウキから洗濯板、蝿取り紙、蝿叩き、尿瓶、金魚鉢、湯たんぽ、洗濯石鹸…と、ありとあらゆるものが荒物屋には売られていましたが、それらのかなりのものが現代の実生活から消え、今や骨董商との区別さえ着かなくなりつつあるようです。
ましてや、「江戸荒物」に登場した「つんるべ、なあ」に至っては、釣瓶から説明せざるを得なくなり、大変な世の中になって来たようです。
実際、私どもの幼少期までは、滑車を使わない、跳ね上げ棒式の釣瓶式井戸が存在しており、そこにも釣瓶縄があった訳です。
左が跳ね上げ式 右が釣瓶式井戸
私達はほんの五、六十年前までそのような生活環境で生きてきたのであって、決して、ビバリーヒルズや六本木ヒルズでの生活が当たり前で永遠に続くなどと考えてはならないのです。
六本木ヒルズの高層ビルなど、電気と水道が失われれば(勿論、自家発電と自前の井戸ぐらいは準備してあるはずですが)、只の不衛生な牢獄になってしまうものなのです。
米朝師匠は噺の中で“日清戦争”より前の話だと言われていますが、都市化、近代化の早かった関西地区に対して、多少とも地方のそれも県境と言った辺境の田舎暮らしを知っている私にとっては、懐かしくもあり、考えさせられる短い話です。
米朝40選集は、今でもバラで購入が出来そうですので、カビが生えて聴けなくなったCDもあることから再度購入し今後も聴き続けたいと思っています。