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455 アイヌ語地名アラカルト ①

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455 アイヌ語地名アラカルト ①

20170301


太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


本稿は十年ほど前にアンビエンテ内の「有明臨海日記」へのコラムとして書いていたものですが、オンエア予定ではあったものの技術的な問題でお蔵入りしていたものです。

今、読むと他愛もない内容ではあるのですが、試験的文書としてそのまま公開する事に致します。


001 御岳山(ウタキヤマ)と愛宕山(アタゴヤマ)


二〇〇七年の熊本地名研究会による「球磨盆地・地名研究会」シンポジウムに提出された日本地名研究所・会員の村崎 恭子(元横浜国大教授)による「アイヌ語と日本の地名」という論文に掲載された日本語地名とアイヌ語の対応表にはオタ地名がありました。

オタは砂浜、砂とされています。オタ地名が単に小さな田んぼなどという素朴なものでないことは、ほぼ、間違いがないのではないでしょうか。すると、記紀や万葉集に出てくる奈良県の宇陀(ウダ)も含めて考え直す必要がある訳で、非常に興味深いテーマが横たわっているように思います。

 何故ならば、九州では大事をウーゴトと、オッタマゲタをウッタマガッタ、栂(トガ)を栂(ツガ)と発音する様に、中央のO音をU音で発音する傾向が認められます(瀬戸内海に面した大分県を除く)。

仮にウタが砂、砂浜(アイヌ語では必ずしも海であることを意味しない)であるとすれば、その地名は数千年前に遡る縄文語とも言うべきものになる可能性もあり、何か府に落ちた感じがするのですが、これは私だけの感性かも知れません。

村崎教授に対する愛宕山とアイヌ語のタップコップ(たんこぶ山)に関する質問の後に、もう一つ欲張った質問を谷川健一先生になげかけました。

それは、「ランドマークとしての沖縄のウタキとアイヌ語地名としての愛宕山に関係があるのではないか?」というものでした。谷川先生は「沖縄のウタキは平地にあり、関係はない。平地にあるんだから。と」直ちに否定されました。

もちろん、これは私が端折った質問をしたからでした。大半のウタキが集落傍の平地にあることは承知しているのですが、全てのウタキが平地にあるのではなく、本ウタキと呼ばれるものがあるのです。一般的に平地のウタキは本来のウタキが山の上など遠方であるために手近な遥拝所として整備されたものである場合(お通しウタキ)が多く、宮古諸島の大神島など海人(ウミンチュ)が日々遥拝していたものこそウタキの原初的形態である可能性が高いのです。

これについては『日本の都市は海からつくられた』上田 篤(中公新書)の“Ⅳお通し御嶽”お読み頂きたいと思います。実際、トカラ列島の半分に御嶽山がありウタキであり、あったことが推定されるのです。


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あとは、ウタキとタップコップとの関係ですが、しばしば、愛宕山と御嶽山とが重なっている場合があることから、関係があるのではないかと考えたのでした。

私はかなり前から南西諸島の御嶽山が九州まで伸びているのではないかと考えてきました。そして、薩摩半島の開聞岳と佐賀県江北町の御岳山を提案したのですが、これについては、50御嶽(ウタキ)を読んでいただくとして、この問題はアイヌ語、縄文語にからむ壮大な問題に繋がってくるのです。最近読んだ『縄文語の発見』小泉保 の衝撃と言い、古代史家の古田武彦氏の縄文語の提案と言い、極めて興味深い深刻な問題を抱えているようです。

山田秀三の九州のアイヌ語地名に触れた経緯、森崎先生も九州のアイヌ語地名を探っておられたことなど、既に、九州におけるアイヌ語地名を一笑に付す時代は終わったかと思いますが、一旦は九州を含めて日本列島に遍く広がったアイヌ語が南西諸島まで及んだ可能性、南西諸島から北上したウタキ地名がタップコップ、愛宕地名に影響を与えた可能性、アイヌ語と並立する古代縄文語の想定など多くの謎が横たわっているのです。


002 愛宕山(アタゴヤマ)


普通はNHKのラジオ放送発祥の地である東京の愛宕山を上げるべきでしょうが、喜六、清八が登場する上方落語の名作に「愛宕山」があります。こちらは京都(キョウトウ)で、嵐山の渡月橋からその特異な山容を確認する事ができます。

戦中派にとって、「愛宕」といえば直に思いつくのが日本造艦技術の結晶高雄型重巡(条約型重巡)「愛宕」かも知れません(第一次ソロモン海海戦で活躍。レイテ沖海戦で海没)。この「愛宕」も京都の愛宕山から採られたものです。

落語の「愛宕山」はともかくとして、全国に多くの愛宕地名が存在します。以前からこの“愛宕山のアタゴとは一体何か?”が気になっていました。

もちろん、愛宕不動尊が置かれた場所が愛宕だと言えばそれまでなのですが、どうもそのような単純な話ではないのです。

北部九州で愛宕と言えば、福岡市西区の愛宕神社、愛宕山がまず頭に浮かびます。この愛宕山はほんの三~四十年前までは博多湾に突き出した岬であり、近年の埋立てによって内陸の急峰になりましたが、古くは博多湾に浮かぶひときわ目立つ山だったはずです。今でも頂上には愛宕神社があり車でも登れますが、梅が枝餅をほうばりながら博多湾を一望できるはずです。

一つでは信用して頂けないと思いますので、もう一つはっきりしたサンプルをご紹介しょう。

佐世保市の西に相浦という港町があります。現在も自衛隊の相浦駐屯地があるように、戦時中にも陸海軍の基地があったところです。また、九十九島一帯でのキス釣りにでかける拠点としてきた港でもあります。

まず、佐世保の市街地はこの相浦地区ではなく、佐世保駅を中心に拡がっています。それは、明治以来、海軍工廠がこの地に置かれ(現SSK佐世保重工業)人口が急増したからであって、古代においては川もない佐世保よりも、この相浦こそが中心地であったと考えられます。当然ながら、ランドマークである愛宕山の東側に流れる相浦川一帯も古くは相当奥まで湾入していたはずで、この愛宕山の対岸になる相浦川左岸の小丘陵はまさに波際線に近い一等地であったように思えます。

もちろん、九州でもこの他に多くの愛宕山、愛宕崎といった地名が最終されます。

さて、本題に入りましょう。問題の愛宕です。

後世、愛宕不動尊、愛宕神社が置かれたことによって名付けられたものがあるとしても、

アタゴという言葉はどうも日本語では理解できず、他に起源を持つもののように思ってきました。

 そのような中、二〇〇七年の熊本地名研究会による「球磨盆地・地名研究会」シンポジウムに参加しました。その報告の一つに、日本地名研究所・会員の村崎 恭子(元横浜国大教授)による「アイヌ語と日本の地名」がありました。村崎先生は、金田一、服部と続く第一級のアイヌ語の研究者なのです。

これまで「地名は時間の化石」でもいくつかのアイヌ語地名を取上げてきましたが、私は九州にもアイヌ語地名があると考えてきました。

シンポジウムの資料集にある村崎先生の論文を読むとアイヌ語地名の代表的なものが例示されていましたが、この中で目が止まったものに、


tap kop(タプコプ)たんこぶ山 (漢字と地名例)達古武、達布、康子、田子、竜子


がありました。

 私は、愛宕山のアタゴはタップコップが置き換えられたものと思いました。このため、シンポジウムの最後に村崎先生に質問し、概略、アタゴはタップコップの置き換えと考えられるか?と質問したのですが、「・・・アタゴはタップコップと考えることはできると思うが、それには愛宕山が独立した山であることが必要になる・・・」(テープ起こしではないため表現が不正確である事はお許し願います)とのことで、否定より肯定に近いものと受け止めた次第です。

 愛宕をタップコップとしたのは私の独創であろうと大発見したような気がして帰ってきたのですが、インターネットによる裏取りをやってみると、アイヌ語地名の研究者として多大な業績を残された故山田秀三教授(アイヌ語地名の分布を基本的に東北地方に限定されていますが)も愛宕とタップコップの関係を調べていたということが分かりました。

 結局、私の直感は後追いに過ぎず、ただの二番煎じとはなったのですが、山田秀三教授の後追いならば光栄とさえ言えるかもしれません。

tap kopには他にも類型があります。田子の浦です。皆さんも愛宕、田子の浦、多古・・・といったものに思い当たるものはありませんか?


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大宮姫神社から西に見える相浦のランドマーク愛宕山


003 田子島


長崎市の多比良町に田子ノ浦があります。

ここは、今年の熊本地名研究会(日本地名研究所/谷川健一)のテーマとなったアイヌ語地名tap kop(タプコプ)たんこぶ山》の候補地の一つと考えている場所なのです。もちろん、田子ノ浦の田子です。

愛宕不動尊、愛宕神社の愛宕地名も同種のものですが、今年の「球磨盆地・地名研究会」シンポジウムでは日本地名研究所・会員の村崎恭子(元横浜国大教授)による「アイヌ語と日本の地名」が報告されました。村崎先生は、金田一京助、服部四郎と続く第一級のアイヌ語の研究者です。

これまで「地名は時間の化石」でもいくつかのアイヌ語地名を取上げてきましたが、私は九州にもアイヌ語地名があると考えています。

今回のシンポジウムの資料集にある村崎先生の論文を読むとアイヌ語地名の代表的なものが例示されていますが、この中で目が止まったものに、


tap kop(タプコプ)たんこぶ山 (漢字と地名例)達古武、達布、康子、田子、竜子


がありました。

 当日、愛宕山のアタゴはタップコップが置き換えられたものと思いました。このため、シンポジウムの最後に村崎先生に質問し、概略、アタゴはタップコップの置き換えと考えられるか?と質問したのですが、「・・・アタゴはタップコップと考えることはできると思うが、それには愛宕山が独立した山であることが必要になる・・・」(テープ起こしではないため表現が不正確である事はお許し願います)とのことで、否定より肯定に近いもののと受け止めた次第です。

 愛宕をタップコップとしたのは私の独創であろうと、あたかも大発見したような気がして帰ってきたのですが、インターネットによる裏取りをやってみると、アイヌ語地名の研究者として多大な業績を残された故山田秀三教授(アイヌ語地名の分布を基本的に東北地方に限定されていますが)も愛宕とタップコップの関係を調べていたということが分かりました。

 結局、私の直感は後追いに過ぎず、ただの二番煎じとはなったのですが、山田秀三教授の後追いならば光栄とさえ言えるかもしれません。

tap kopには他にも類型があります。田子の浦です。それが今回の田子ノ浦探訪となった訳です。


地図から想像すると、かつての田子ノ浦はかなり目立った“たんこぶ山”が入江に突き出していたと想像できるのですが、今や埋立てや護岸工事が進みその景観は全く失われています。ただ、私自身は静かな確信を得た気がしています。まず、この多比良町のタビラ地名もアイヌ語の崖地名の可能性が感じられるからです。

一応、写真も掲載しておきましょう。

さて、取って返して野母崎に向かいました。目的地は野母崎南岸の田子島です。これは確信がありました。どのように考えても tap kop(タプコプ)たんこぶ山(島)地名としか思えないからでした。

恐らく、この地名が成立した当時(三千年以上前かも)も、湾曲した美しい入江に小さな島が浮かんでいたことでしょう。ただ、この不必要としか言い様のないテトラ・ポッドだけは困ったものです。この工事で土建屋がせしめた税金はいったいどれくらいだったのでしょうか?

ともあれ、この野母崎にもアイヌ語地名の候補地がいくつかあります。

インゲリ鼻です。まだ、調査段階ですが、アイヌ語の“インカルシュペ”ではないかと考えています。ただ、これは別稿としましょう。


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