20170330
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
阿久根から薩摩川内市の北のさつま町に入り伊佐市に入りましたが、旧大口(伊佐郡菱刈町と新設合併して伊佐市となった)の荒瀬神社という神社に参拝しました。
勿論、初見の神社であり行き当たりばったりの調査でしたが、川内川の上流の多くの川が集中する地域だけに、何でもないような神社でも安易に無視はできないのです。
特に、曾木の滝とも書かれる曽木の滝と(伊佐市大口宮人628-41)言う古代に於いても、ナイアガラ並みの巨大フォールの噂は全土に鳴り響いていたはずと思われる景勝地であることから、興味は尽きません。
只の思い付きでしかありませんが、「削ぐ」「削ぎ落す」という言葉さえも、もしかしたらこの奇景から産み出されたのではないかと考えるほどの力を持った巨大滝なのです。
滝はともかく何の変哲もない神社のようですが、ここでも若宮社に遭遇したのでした。
向かって右の摂社に天神社が、左のそれに若宮社がありました。
ただ、善神堂(百嶋神社考古学では道真の父としますが)は見落としたようです。
向かって右に天神社が左の摂社と思われるものに若宮社がありました
この旧郷社の祭神も触れておかなければなりません。
ここでは「古事記」風に豊玉毘売命、豊玉毘古命を主神としていますので、そのまま考えれば、まずは、博多の櫛田神社の大幡主の一族=白族の直系のヤタガラスと、ヤタガラスと豊秋ツ姫との間に産れた豊玉姫(タゴリミホ)の二柱と見て良いでしょう。
ただ、間違っても、産まれた鵜茅不合葺命が豊玉姫の妹の玉依姫神に養育され、後に玉依姫神との間に神倭伊波禮毘古命(=神武天皇)をもうける。などとは考えられないように。
それは藤原による偽装であり、実際には山幸彦=ニギハヤヒとの間にウガヤフキアエズを産んでいるのです。
百嶋由一郎最終神代系譜(部分)
付近の地名を見ると、白木、諏訪、鳥巣、八坂町、太田、大口大田、千束松…とヤタガラス、スサノウ系の人々が大量に住み着いていた事が分かります。
この民族配置からは、豊玉姫ではなく玉依姫の方が正しいように思えるのですが、決め手がありません。
縁起にニニギが顔を出し高木大神の長女の豊秋ツ姫となっているのもその気配がするのです。
曾木の滝