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スポット132 緊急提言 全国の九州王朝論者に告ぐ! “九州王朝論研究の未来のために”

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スポット132 緊急提言 全国の九州王朝論者に告ぐ! “九州王朝論研究の未来のために”

20171011

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


九州王朝論を象徴する古田武彦が鬼籍に入って数年が経ちましたが、いよいよ九州王朝論を継承するとする団体が古田も驚くばかりの堕落への一途を辿っているようです。

 現在、九州王朝論者と言った時、必ずしも古田武彦を意味すると言った単純な構造には無い事は言うまでもありません。

 私自身も含め、ここ五年ほどで佃 収 九州王朝論の引力に惹き付けられ続けており、いずれ完全に佃収惑星の軌道を周回する衛星になってしまうと考えています。

 それほど佃収氏のフィールド・ワークに裏付けられた論証は精緻であり、かつ、その著作の厚みも、既に十冊を越えているのです。それでなくても米田良三研究や内倉武久研究もあるのですから。

新参の方はともかくとして、古参の九州王朝論者の組織のメンバーがこの内容も知らずに九州王朝論を云々している状況には情けない限りであり、それだけでも悲しい話です。

 一方、私達は既に百嶋由一郎と言う稀代の神社考古学者が描く神代史(実際には古代史の少し前の九州王朝前夜の世界なのですが)に移行しており、無関係とはまで言わないまでも既存の九州王朝論やそれらの団体からは独立した世界に入っており、既にどうでも良いと言えば良いのですが、古田亡き後の九州王朝論系の団体が総崩れ状態となっている事に驚きと興味を持って見物しているところです。

 か、と言って、古代史ファンなる者が邪馬台国畿内説やその安物の亜流でしかない「邪馬台国東遷論」とかに収斂されているかと言うとそうではなく、古代史への一般的な関心の高まりとか探究心それ自体が消失して行っている(全体としての劣化)事を感じているのです。


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このため、古代史関係の学者と考古学協会系の利権集団も真面目に調査も研究もやっていないのであり、それは「邪馬台国畿内説」の立場からのブログやHPなどが花盛りでない事からもお分かりになる通り、説得力を持って勢力を拡大させているといった状況にもないのです。

そこにあるのは、自ら研究する意欲も時間も資源も失った只の団塊の世代以降の中年の古代史ファンが蠢いているだけで、仕方がなく、既存の村興し町興しといった教育委員会とか学芸員と言った既存の学会通説に尾を振り奉仕する官製研究に動員され、とうとう九州王朝論者のメンバーまでもが絡め取られつつあるという惨状を呈しているのです。

 情けないのは、十年前までは自らの頭で考え研究や調査や記録をする民間研究者が居たのですが、彼らが引退するに至ると、自らは何も調べようとはせず、現場に行こうともせず、ただ単に所謂「邪馬台国本」を読み齧り、良くて九州王朝論者の書いた本を読み、さも分かったかのように吹聴し、学会通説に基づく情報も知っておくべしとして、教育委員会関係者や学芸員と称する怪しげな連中のデマ情報を拝聴するばかりか真に受け、それも自らのメンバーからの研究発表など出せない事から、年八回の講演でさえも半分以上も外部の通説派(教育委員会関係者や学芸員)に依存し心服して拝聴しようとしているのですから、その為体は情けないばかりです。

 こういう方針を打ち出しているのが元ブントの阿呆ネイチャン(bundは元々大衆レベルの思考しかできない)と自らは何の発表もできない商売人なのですから、いっそ九州王朝研究など止めてしまう方が恥を晒さずに良いのではないかと思うばかりです。

 要は、現場に入り汗を流して調査をしないような方々が他人の研究を齧りとってくだらない談話をしているだけでは、どこにでもある通説派の郷土史会などと何の変わり映えしないものであり、業績を残す事も九州王朝論を深化させることもできずに、いずれ従容として消え失せて行く事にしかならないはずです。

 今から35年も前でしたが、古田武彦全盛の九州王朝研究が熱心に行われていた時代だったと思いますが、別件で福岡市の公共施設に行った事がありました。

たまたま、部屋を間違えてある部屋に入るとどうも九州王朝論の研究者が集まっておられたのです。

既に古田武彦の初期三部作はもとより、「古代は輝いていた」の三部作などを読んでいた時期だった事から、「私も古田九州王朝論に魅了されている一人です…」とお話しして意気投合した事もあったのですが、元より別の集まりへの参加が目的であった事から連絡先だけメモして、それ以降二十年経った後に別団体の「古田史学の会」に入ったことを記憶しています。

ただ、当時の現場を重視する姿勢、自らも九州王朝論研究の一翼を荷おうと熱心に活動されていた現場を目撃していたのでした。

当時は、文献史学はもとより、九州王朝の中心部である九州島というというポジションを生かしたフィールド・ワークを怠らない姿勢どころか、自ら職を辞し韓国に渡り数年生活する中で自らの研究を求めた人物さえ生み出したのですから、それに伍す人々=研究者が集まっている事が感じられたのです。

最早、昔日の面影など全く認められない只の親睦団体に堕し、調査旅行と称して型通りの観光地見学でお茶を濁すのですから嘆かわしい限りです。

最早、このような人々から注目すべき新たな研究など決して生まれないどころか、そのうち学会通説に奉仕し教育委員会に利用されるだけの団体に成り下がる事でしょう。

問題は、この間入れ替わってきたメンバーであり、既に古田武彦の本も満足に読んだこともないようなただの古代史ファンといった若手が過半数を占める様な状態になっている事です。

既に、九州王朝論研究の進展が全く見込めないというレベルにある事は言うまでもなく、それらから離脱できた神代史研究のものだけは今後とも現場を解読し古代を見通す事が出来るのかも知れません。

このような九州王朝研究団体から離脱できて本当に良かったと思っていますが、このような話は元よりどこからか伝わって来るもので、「もうこんな研究体ではだめだ…」「自分では何も調べないし文章も書けないくせに会だけを運営している」「方針を出しているやつ自身が投げ出して辞めたいと思っているくせに、議論をさせようとする姿勢も何もない…」「学芸員とか教育委員会関係者の話ばかりでヘヘーと心服しているんですからどうにもなりませんね…」と複数の人から話を聴くと、既に古田武彦が一生を賭して切り開いた「九州王朝論」など忘れきって、自らも感動を忘れた人々の集まりに堕している事が今さらながらに分かるのです。

これらの人々(○○古代史の会…外)が十年前までは古田武彦九州王朝論はだめで自らはそれを乗り越えると息巻いていたのですから昔日の感があります。まさに恥を知れ!でしょう。

最早、研究者による研究会、最低でも著述者、記録者、年代記録者、映像記録者、伝承収録者、ブロガー、取材者、広い目でいう所のフィールド・ワーカーによる連合体、情報調整機関として再建すべき時代が来ている事に気付くべきなのです。

九州王朝論の本拠地であるべき九州に於いてこの有様なのですから、古田武彦という独立性の強い稀代の研究者が存在した時代にだけ「九州王朝論」が花開き、古田武彦亡き後、その著作が凍結された形で残されたのだと理解します。

そして、個人的には佃収九州王朝論と百嶋由一郎神社考古学との整合性を追求する作業に入ろうとするものです。

既に、百嶋由一郎の影響を受けた神社研究者は全国に二十人を数え(とりあえずブロガーだけの数字ですが、アクセス数だけでも年間百五十万になるでしょう)、ただ利権に乗っただけの通説派の学芸員の話を拝聴し翌日には忘れてしまうような好い加減な邪馬台国本読者ではなく、自ら調査を行いブログを書く行動する研究者の連合体が形成されているのです。

 人の話を真に受け拝聴するだけの人々はそのソースが換えられれば、そのまま同調する人々でしかなく、研究者でも探査者でも解析者でも記録者でもないのです。

 個人的には古代史の世界から離脱できたことから一切悩みが無くなったのですが、既存の「古代史」には国家、現体制に繋がる嘘がまかり通っているという事を理解し、既存の情報を一切信じる事無く一から調べて深層を探る事無くしては真実に辿り着けない事だけは確実なのです。


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当時全力で取り組んだ宮地嶽神社の筑紫舞講演と併せて行われた講演中の古田武彦と800人の聴衆


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