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481 第三次奥出雲調査に行かなければならない

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481 第三次奥出雲調査に行かなければならない

20170429

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


スポット099 奥出雲の仁田調査に行かなければならない において島根県仁多郡の調査に触れました。

これまで雲南市には何度か入っていましたが、奥出雲町までは入っていませんでした。

ところが、物部氏でもその筆頭に掲げられる二田物部の避退、拡散、展開地が現奥出雲町だったのではないかと気づき、二泊三日、往復1100キロの第一次奥出雲町神社調査(4月の第4週)を行いました。

と言っても、島根県神社庁作成の奥出雲町神社一覧から、直接、五十猛(ニギハヤヒ)を祭神とする4社を拾い出し実踏するだけの事でしたが、戻ってくると、やはり全ての神社を見る必要があるとの思いがつのり、再び、三泊四日、往復1100キロの第二次奥出雲町神社調査(4月の第5週)を行いました。

まとまった地域とは言え、奥出雲町の全ての神社を実際に踏み、実見し収録してくる事はこれまでにも無い事であり、それだけでも面白い試みでした。

結果、35社ほどを踏み、全体像が掴めると、ある程度の纏まらないイメージが湧いては消え、消えては湧いてくる様になりました。

百嶋神社考古学では現出雲を古代出雲とはしません。

あくまでも博多の櫛田神社の大幡主が列島に展開した多くのエリアが出雲だったのであり、現出雲はその一つだっただけの事なのです。

大国主命もこの大幡主の配下で活動していた大山祗の子であり入り婿だったのであり、宗像大社の本当の祭神も大国主命であり(だから宗像の神殿には男千木が立っている)、大国主命も少彦名命も北部九州で活動していたのです。

それは、これまで述べてきたところです。


ひぼろぎ逍遥

177 大国主を出雲の神様と考えておられる方に対して僭越ながらも…

176 少彦名命とは何か?

115 宗像大社の本来の祭神とは何か?


ひぼろぎ逍遥(跡宮)

067 少彦名命とは何か?

066 宗像大社の本来の祭神とは何か?

027 宗像大社は8世紀初頭まで三女神を祀っていなかった! “本当の祭神は大国主命”

021 宗像大社の祭神は三女神にあらず!!


今のところの認識は、通常出雲系と呼ばれる大幡主系氏族が、その理由は不明ですが、この奥出雲に移り住み、海岸部の出雲は近畿大和朝廷の占領支配を受け、テーマ・パーク化されたものと考えています。

 その結果、この奥出雲町には本物の大幡主(出雲)系の神々が凍結保存されているものと考えています。


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 こうして行った35社の神社調査(全て初見)でしたが、実は一社だけ見落としていました。


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どうやら、写真はカメラ店に委託して確保できるのですが、実見する必要はある訳で、再び出雲を訪れる時に奥出雲に入る事になりそうです。


スポット099 奥出雲の仁田調査に行かなければならない

20170407

この間「先代旧事本紀」巻第三 天神本紀 筆頭二田物部の拠点を求めて調査を進めてきた事はお話ししていますが、既に、二田物部の故地には二田類似地名とニギハヤヒ祭祀とが共存している事実を認識している事から、これをメルクマールとして二田物部の移動を探っています。

現在のところ、最も南の①熊本県熊本市植木町田底二田に二田神社が…②福岡県八女市星野村仁田坂、仁田郷があり天照国照彦…祭祀が…③福岡県久留米市田主丸町石垣二田に二田月読神社(猿田彦祭祀あり)…④福岡県久留米市田主丸町中心部に三夜様=月読神社(猿田彦祭祀あり)が…⑤福岡県小竹町新多が…この地こそ二田物部の最大拠点だったと認識する研究者は多い ⑥島根県太田市に全国最大の物部神社が存在している事は言うまでもなく⑦新潟県柏崎刈羽原発に近い西山町に二田があり物部神社が…さらに⑧秋田県潟上市天王字上江川に二田があり二田神社が存在している事まで確認してきました。

どうやら、日本海ルートで北に避退した二田物部が見えるのですが、島根県にはもう一つの避退地があった事に気付きました。


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それが島根県(出雲国)の仁多郡(ニタ)郡です。


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島根県神社庁/仁多郡奥出雲町 神社一覧を見ると


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仁多郡には五十猛を祀る神社が四社確認できます。これまでにも何度か入っていますがこの四社は未見の神社であり、現地を踏めば、物部の移動について何らかの痕跡を確認できるのではないかと考えています。

勿論、五十猛とはニギハヤヒの別名であることは言うまでもありません。

以前にも一度触れましたが、分かりやすい例がありますので再度ご紹介しておきましょう。

山陰本線五十猛駅、静間(ここも建葉槌命と関係がありそうですが)、太田市…と駅が続きますが、物部氏の最大拠点の傍に五十猛駅があることは象徴的ですらあります。


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