485 天香香背男(アメノカガセオ)を祀る神社 大分県編 ① 佐伯市の星宮神社
20170505
太宰府地名研究会(神社考古学研究班)古川 清久
現段階で長脛彦を祀る神社と考えている神社が九州にも十社近くあるようです。
それは、「神奈備」氏によるもので、「天香香背男」と「神奈備」とでもダブル検索すれば、直ぐにそのデータが拾えます「天香香背男命を祀る神社一覧」…。
これまで「岐神」(クナトノカミ)とか「長脛彦」(ナガスネヒコ)として探していた事から拾えなかったのですが、この「天香香背男」という北関東などを中心とする神名として無視していたもので検索すると、九州でもこの神名で存在する事に気付いたのでした。
そこで、押っ取り刀でゴールデン・ウィークの最中、一路、佐伯市に向かったのでした。
天香香背男命を祀る神社一覧
福岡県浮羽郡吉井町大字福益1358 熊野神社摂社三光神社「天照皇大神 配 月讀神、天加賀世男神」
佐賀県鹿島市大字三河内丙1 三嶽神社「廣國押建金日命 合 星神ほか」
熊本県阿蘇郡南小国町赤馬場2364 冠神社「阿蘇大神 合 大年神、星神」
大分県佐伯市大字鶴望2421番地 星宮神社「香香世男大神ほか」
大分県佐伯市大字守後浦44番地 産靈神社「天香香背男神」
早速、ひぼろぎ逍遥 474 筑後にも長脛彦を祀る神社が存在していた “福岡県うきは市吉井町熊野神社”において、摂社三光神社を報告しましたのでお読み頂いた方もおられると思います。
まだ、祭神云々の話に踏み込むだけの蓄積がないためここでは基礎調査を行っているだけです。
実は、数日前、黒川温泉に近い熊本県南小国町の冠神社を見て来ました。
お見せするのも憚られる粗末なというか祀る人を失った神社でしたので、報告は差し控えますが、どのような地区にこの特異な神社が分布しているのかという実見の蓄積によって、神社を分析する事も少しずつ上がってくるものなのです。
天香香背男
『古事記』には登場しない。『日本書紀』の葦原中国平定にのみ登場する。
本文(上述)では、経津主神(ふつぬしのかみ)・武甕槌命(たけみかづちのみこと)は不順(まつろ)わぬ鬼神等をことごとく平定し、草木や石までも平らげたが、星の神の香香背男だけは服従しなかった[7]。そこで倭文神(しとりがみ)・建葉槌命(たけはづちのみこと)を遣わし懐柔したとしている[8][9]。
…中略…
第二の一書では天津神となっている。経津主神と武甕槌命が、まず高天原にいる天香香背男、別名を天津甕星という悪い神を誅してから葦原中国平定を行うと言っている。
鹿島神宮や静神社の社伝によれば、武甕槌命は香島(723年に鹿島と改名)の見目浦(みるめのうら)に降り(現在の鹿島神宮の位置)、磐座に坐した(鹿島神郡の要石とも)。天香香背男は常陸の大甕(現在の日立市大甕、鹿島神宮より北方70km)を根拠地にしており、派遣された建葉槌命は静の地(大甕から西方約20km)に陣を構えて対峙した。建葉槌命の陣は、茨城県那珂郡瓜連(うりづら)町の静神社と伝えられる。
「カガ(香々)」は「輝く」の意で、星が輝く様子を表したものであると考えられる。神威の大きな星を示すという。平田篤胤は、神名の「ミカ」を「厳(いか)」の意であるとし、天津甕星は金星のことであるとしている。
星や月を神格化した神は世界各地に見られ、特に星神は主祭神とされていることもある。 しかし、日本神話においては星神は服従させるべき神、すなわち「まつろわぬ神」として描かれている。これについては、星神を信仰していた部族があり、それが大和王権になかなか服従しなかったことを表しているとする説がある。
全国の星神社や星宮神社の多くは天津甕星を祭神としている。
天津甕星を服従させた建葉槌命(タケハヅチノミコト)は、天羽槌雄神と同一視されることもある。
茨城県日立市の大甕神社は、建葉槌命を主祀神とする(一説には素戔嗚尊とも)。 同神社伝では、甕星香々背男(天津甕星)は常陸国の大甕山に居を構えて東国を支配していたとしている。大甕神社の神域を成している宿魂石は、甕星香々背男が化したものと伝えられている。
葦原中国平定に最後まで抵抗した神ということで建御名方神と同一神とされることもあり、また、神仏習合の発想では北極星を神格化した妙見菩薩の化身とされることもある。
ウィキペディア (20170505 18:51)による
百段足らずの参道階段を登ると、真新しい参拝殿神殿がありました。
祭神は香香背男大神(星のことをいう)ほか六神とありますが、この六神は明治以降の合祀のようです。
脇区内から天満社、富尾社(トミノナガスネヒコを思わせますね…)、水天宮の三社、星宮区内から聖社、藤原区内から牛王社、高畑区内から山王社 と書かれています。
合祀された神社であり、逆に言えば中心的な神社だった事が分かります。
藩の庇護を受けたことはまず間違いないでしょう。
それは、直ぐ隣に神宮寺と思える臨済宗妙心寺派海福寺があったからです。
実は、数日前、熊本県阿蘇郡南小国町赤馬場2364の 冠神社も見て来ました。
既に祀る人を失ったような神社でしたのでお見せしませんが、阿蘇大神に大年神と星神を合祀する神社は確実に存在していました。
なお、再掲(下記)した玄松子氏のリストの外に、…
福岡県浮羽郡吉井町大字福益1358 熊野神社摂社三光神社「天照皇大神 配 月讀神、天加賀世男神」
佐賀県鹿島市大字三河内丙1 三嶽神社「廣國押建金日命 合 星神ほか」
熊本県阿蘇郡南小国町赤馬場2364 冠神社「阿蘇大神 合 大年神、星神」
大分県佐伯市大字鶴望2421番地 星宮神社「香香世男大神ほか」
大分県佐伯市大字守後浦44番地 産靈神社「天香香背男神」
332 | 薩摩半島に岐(クナト)の神を発見した ② “鹿児島県出水市野田町の熊野神社” |
331 | 薩摩半島に岐(クナト)の神を発見した ① “みなみ薩摩市坊津の船戸神社” |
の二つをひぼろぎ逍遥(跡宮)に掲載しています。
こちらは、天香香背男との表記ではありませんが、出雲大社の東数百メートルの出雲井神社と同様の岐(クナト)神と考えています。