487 安産の里無津呂の神々 子安神社 ジネコ神社協賛プロジェクト ①
20170606
太宰府地名研究会(神社考古学研究班)古川 清久
佐賀市と言っても遠方の方には“九州の佐賀県”と言わないとなかなか理解されないのですが、平成の大合併によって新たに佐賀市に編入された旧富士町の領域に子安神社という九州では珍しい名の神社があります。
本来は美しい渓谷沿いに鎮座した神社ではあったのですが、例によってそれほど必要性もない嘉瀬川ダムの水没地となって移転を強いられ付け替え道路の傍に真新しい社殿を持つ神社として再建されています。
この神社が、何故、子安神社と呼ばれていたかについての説明をする事は一応可能でしょう。
簡単に言えば、大山祗の娘である木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤヒメ)が、邇邇芸命(ニニギノミコト)と出会い身篭るのですが、ニニギは一夜で身ごもった事から国津神の子ではないかと疑います。
そこで、この疑いを晴らすためコノハナノサクヤは誓を立て産屋に入り「天津神のニニギの子なら何があっても無事に産めるはず」と産屋に火を放ちその炎の中でホデリ(ホアカリ?)、ホスセリ、ホオリの三柱の子を産むとされているのです(「古事記」)。
この猛火の中でも多くの神々を出産したとの神話からコノハナノサクヤを祀る神社が安産の神様として信奉を集め子安神社が成立したと考えられます(特に北関東に多く分布を示す)。
ただ、百嶋神社考古学はその一般的なストーリーの下に隠された古層の探究を目的としている事から、それで良いかと言うと単純には乗れないのです。
その話は後段に回すとして、まずは、この神社のご紹介から入ります。
あくまでも一般的にですが、最も有名な子安神社と言えば、伊勢の子安神社になるでしょうか?
それほど多くはないのですが、それなりに有名なものを拾い出して見ましょう。
子安神社 /三重県伊勢市宇治館町1 祭神=木花開耶姫神(コノハナノサクヤヒメ)
子安神社 /東京都八王子市明神町4-10-3 祭神=木花開耶姫命 天照大御神 素盞鳴尊 大山咋命 奇稲田姫命
杉田子安神社 /富士宮市杉田215 祭神=木花之開耶姫
櫻井子安大神 /千葉県旭市櫻井1264 祭神=木花咲耶姫命(コノハナノサクヤヒメノミコト)、伊邪那岐命(イザナギノミコト)、伊邪那美命(イザナミノミコト)
…以下省略
子安神社正面 カーナビ検索 佐賀市富士町大字栗並586-1
佐賀県の神社を調べるには、非常に使い難い「佐賀縣神社誌要」(大正15年)に頼らざるを得ないのですが、実はこれにはこの子安神社は搭載されていません。
また、佐賀県唐津市七山池原乙555にも同名の子安神社があることからこれも頭に入れておいて下さい。
旧富士町栗並の子安神社から西にひと山越えた七山村桑原にもう一つの子安神社があります。
外の資料を探すとしても容易ではないため、とりあえずネット検索を行うと、
に以下の記述があります。
二十年ほど前に「大和町史」は目を通していましたが「富士町史」はパスしていました。
祭神 大山祇神磐長姫命 保食神 源義経 安産の神
由緒 栗並地頭栗並因幡守子孫永久の大願で承久(1219~22年)のころ勧請の由古老の口碑に伝え、神殿、拝殿ともその後の再建といわれている。
祭日 1月元旦祭、9月風祭、彼岸祭、刃の日祭、神宝 古刀1振、法螺貝
敷地面積 632坪。建物22坪。氏子 75戸
本社は社名のとおり安産の神。ここの腹帯を妊婦が腹に巻くと安産と伝える。近くにある夫婦岩は良縁のシンボルといわれている。 出典:富士町史下p.398
改めてこの神社を考えると、この旧富士町の子安神社が本物中の本物の神社であり、東日本に偏在する子安神社の原型である可能性があるのではないかという印象を持ちます。
まず、旧富士町の子安神社の祭神が大山祇神、磐長姫命…である事はお気づきになったでしょう。
磐長姫命と言えば、天津神としての邇邇芸命に対して大山祇が木花開耶姫と共に妃として送ったものの醜かったことから返されたという曰くつきの嫌な話が伝わる女神様なのですが(木花開耶姫と共に有名な福岡県糸島市の細石神社の祭神)、その通説で大山祇の娘とされる磐長姫命が大山祇と共に祭神とされているのです。
この背後にはかなり大きな謎があるのですが、ここでは後回しにして、まずは、社殿を見ましょう。
前述の如く通説では木花之佐久夜毘売は、ホデリ(ホアカリ?)、ホスセリ、ホオリの三柱の子を産むとするのですが、百嶋神社考古学ではそれを認めません。
また、磐長姫と木花之佐久夜毘売とが実の姉妹である事も認めません。
ただし、無関係でもないと言うより、むしろ関係性の強い従妹のような関係なのです。
百嶋由一郎最終神代系譜(部分)
まず、百嶋神社考古学では、イザナミはイザナギと別れた(神話では黄泉の国で喧嘩別れした事になっていますが)後、博多の櫛田神社の大幡主のお妃となり、豊玉彦=豊国主=ヤタガラスとアカルヒメを産みます(これには多くの傍証がありますがここでは省略します)。
磐長姫は博多の櫛田神社の大幡主(白族)を父神として金山彦(瀛氏)の妹神であるクマノフスミ(イザナミの後の神名)を母神として生まれたアカルヒメ(スサノウのお妃で姫島に戻ってきた)とします。
一方、コノハナノサクヤヒメは大山祇(越智族)を父神として、博多の櫛田神社の大幡主の妹である埴安姫を母神として産れた大国主命の妹とします。
このため妙な表現になりますが、父神も母神も異なるものの、アカルヒメの父神とコノハナノサクヤヒメの母神が兄妹であることから、腹違いで種違いの従姉妹といった関係にはなるのです。
これは勿論伏せられていますが、百嶋先生がこの事実を把握された事により、問題が鮮明になってくるのです。
これを神話では姉妹としていますが、アカルヒメことイワナガヒメを醜かったから返されたとする神話には、阿蘇氏の後裔としての藤原の作為が感じられ、金山彦系を貶める意図があるように思えるのです。
ただ、イワナガヒメの名誉のために申しあげておきますが、イワナガヒメ=アカルヒメは新羅の王子様であったスサノウから逃げて国東半島正面の姫島に上陸したとされているのであり、スサノウが但馬の出石に追いかけてきたほどの女神であったとすれば、とても醜かったなどとは思えないのです。
ともあれ、旧富士町の子安神社が重要な神社であった事は言うまでもなく、恐らく、古くはコノハナノサクヤも祀っていたのではないかとも考えています。
なぜならば、子安神社の主神が大山祇であり(事実神殿の千木は明らかに男神を示しているからです)、コノハナノサクヤヒメが祀られる方がより自然だからです。
この醜いとされ返された磐長姫を祀る神社も子安神社同様に東日本に多いのですが、九州では、33番白銀(シロミ)神楽で著名で、かつ南朝方の菊池氏が最後に逃げ込んだ秘境中の秘境集落でもある宮崎県西都市の白銀神社の主神とされており、これも以前から抱え込んだ謎なのです。他にも兵庫県尼崎に磐長姫神社…などもあるのですが、自ら踏んでいないためここで留めます。
さて、ここで、驚愕の事実に直面している事に気付きます。以前から、何故この地が富士町と呼ばれていたかについて謎を感じていました。一説として徐福の渡来地の一つである事と関係している…などといった話はあったのですが、この子安神社にイワナガヒメ、コノハナノサクヤヒメが祀られている可能性を再認識すると、コノハナノサクヤヒメを祀る富士山浅間神社に肖って富士と呼ばれたか、この脊振の一角から富士と言う地名が東日本に持ち出されたのではないかとまで思えるのです。
この問題は、最低でも七山村の子安神社を訪問しないうちは結論など出せるはずがありません。