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488 安産の里無津呂の神々 子安神社に隣接する鹽甞地蔵について ジネコ神社協賛プロジェクト ②

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488 安産の里無津呂の神々 子安神社に隣接する鹽甞地蔵について ジネコ神社協賛プロジェクト ②

 

20170606

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班)古川清久

 

 

 

 実は、ひぼろぎ逍遥 487 この子安神社安産の里無津呂の神々 で取り上げた子安神社からそう遠くないところに塩甞(シオナメ)地蔵なる小さなお堂があります。


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 これもダム建設に伴い、谷底から移転したお堂ですが、ご覧の通り、撮影当日にも塩(食塩とミネラル補強塩)が無造作に二袋ほど奉納されていました。

 きっと、娘か孫かの妊娠、出産を前にしてお地蔵様に安産の祈願においでになった方がおられたのだと思います。では、何故、このような風習が残っているのでしょうか?

 若い人には、まず、お分かりにならないと思うのですが、百年と言わず、半世紀前までの山中に住む人にとって生活上最も重要な物資は「塩」でした。

もう、「焼き塩」のことを覚えておられる方はいないでしょうが、昔は笊に焼き塩を入れて吊るし、湿気を吸って垂れてくる汁は下で大切に集められて、自家製豆腐を作る時の苦汁として使われていました(かく言う私も昭和三十年代に亡くなった母の実家で見たことがあります)。

 交易が盛んになれば塩、味噌、醤油…を運ぶ人々が現れ、駄賃牛や駄賃馬の背に味噌樽や、塩袋を載せ山奥の集落でも手に入れる事が出来るようになったのですが(見てきたような話をしますが)、二千年前の山村での生活を考えて見て下さい。どうしても必要な塩を手に入れるために干椎茸や山菜や燻製肉などと交換していたと思います。

 ほんの七十年前の戦時中でさえ塩が不足した時があったそうで、“村から若い者が一週間ほど海に降り、村中で必要な塩を海岸に泊まり込みで造って持って帰った…“といった話を聴いたことがありました(筆者が佐賀県の嬉野市と鹿島市の境界に近い大野集落で二十年前に聴いた話)。

 ましてや、出産を控えた妊婦や乳呑児を抱えた婦人にとって塩の欠乏=ミネラルの欠乏が如何に危険な事であるかは言わずもがなであり、暫く前までは、出産祝いと称して、黒砂糖や、飴がたを贈る風習があったものです。

 以下、参考としてお読み下さい。



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【起源は紀元前!?

中国の文献によると、紀元前から作られている「飴」。日本でも承平年間(931年-938年)に書かれた「和名類聚抄」などに記述が残ることから、相当古くに伝えられたのではないかと考えられます。

「水飴」を主原料とするシンプルなお菓子「あめがた」もその一つで、古くは生活の節目を表す節供(せっく)にも、飴形節供(48日)という名称があったほどでした。

【素朴な健康食品】

そもそも、水飴はもち米に麦芽を入れて水で煮ることでできる甘味料。ビタミン類やミネラルなど、滋養に良い成分を含んでいます。

そんな水飴に空気を含ませながら引くことで、色も琥珀色から純白に変化し、口溶けも軽い「あめがた」ができます。

現在は、その飴生地の中に黒砂糖を挟んで「あめがた」とするのが一般的ですが、この黒砂糖もビタミン、ミネラルなどを多く含み、夏バテ防止や疲労回復などに効果があるとされる自然食品。

産後の母乳の出が良いとのいわれから「乳飴」との別名もあり、祝いの菓子として重宝されたほか、携帯食、保存食としても食され続ける背景には、添加物を一切使わない、素朴でひたむきな製法があるようです。

 

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