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スポット137 緊急リポート 全国の九州王朝論者に告ぐ!“予算に群がる古代史研究会には研究者はい

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スポット137 緊急リポート 全国の九州王朝論者に告ぐ!“予算に群がる古代史研究会には研究者はいない”

20171021

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 全国で行政主導による(つまり学会通説に沿った)古代史のシンポジウムとか古代史研究会と言ったものが花盛りです。

 この現象によって古代史ブームが再燃しているとか古代史研究が盛んになっているなどと考えるのはとんでもない誤りでしょう。

各地域に熱心な研究者が芽生えている訳でもなく、壊滅状況になっている各地の郷土史会、史談会、地名研究会、○○古代史の会…といったものが、徐々に研究者を失い、半ば教育委員会とか学芸員と言った通説、半通説の利権集団に救いを求めているのが実情なのです。

つまり、戦後産みだされた真の古代史像を追求しようとする自由な思考を持った民間の研究者が最終的に失われつつあることを良い事に、予算を引出し肖ろうとする村興し町興し、果ては世界遺産登録と言った薄汚い税金への集りの構造に、かつて孤高を保っていた九州王朝論者の一群までもが浅ましくも靡き始めた事を意味しているのです。

 そこまではいかないものの、九州でも○○古代史の会といった、一時期、古田武彦をも乗り越えるとして活発に活動を展開していた団体までもが、今や自らは調査も研究もせず、生き残りの僅かな外部研究者に依存していたために研究への姿勢を一切失い、今や月例の研究会(年間8回程度)でさえも自前の研究を出す事も出来ずに、通説派の学芸員の御高説を賜わり平伏すると言う悍ましい堕落を見せているのです。

 このような傾向に、かつて古田武彦氏が保っていた孤高の研究への姿勢や佃 収、米田良三といった今も尚健在の九州王朝論に立つ研究者の姿勢がオーバー・ラップできない事は言うまでもないでしょう。

 そうするうちに古田武彦の三部作さえも読んだ事のない、通説派に汚染された新世代が加わるに及んで、かつて通説派を震撼せしめた九州王朝論者の研究会の影を見出す事など微塵もできなくなり、良くて「邪馬台国九州説」程度の大衆レベルの意識しか持たない無様な状態を晒しているのです。

 最早、九州王朝論さえもかなぐり捨て行政が垂れ流す調教用の予算と人材にのみ依存する醜悪な組織に変貌していく事だけは間違いないことでしょう。


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大嘘でしかない「邪馬台国畿内説」はどうしようもないとしても、他愛もない「邪馬台国九州説」や利権構造から通説派に擦り寄った醜悪この上ない「邪馬台国東遷説」とか、堕落した九州王朝論者の一群に、最早、古代史の深層を掘り下げることなど全くできない事がさらに一層鮮明になりつつある現在、このような傾向をどのようなものとして取り上げるかだけは整理しておく必要性があるでしょう。

 まず、戦後の民間研究団体は、皇国史観が蔓延した事によって中国や北朝鮮のような塗り潰された文化的退廃からの解放として一気に勃興したものでした。

 つまり、大嘘一色になってしまえば、裾野なき孤高の研究者だけがあたかも電信柱のように際立つわけで、平地に蠢く人々から見れば、一気に権威を再生できるとも言えるのです。

 所詮、○○古代サミット、○○古代史シンポジウムといったものは、学会通説派による調教の範囲で許されるものであって、それに集り、肖り、有難がる人々とは、自らの頭で考え自らの手足を使って調べようとすることも忘れ、ゲージの中で調教の餌付けをされているようなものでしかないのです。

 このような状態が古代史ブームとか古代史への関心が高まっていると考える事が凡そ間違いで、まず、民間研究者による独自の研究に地域、行政がバック・アップするなどといった事は一切なく、もし、部分的にそういったものがあったとしても、「万葉集」研究とかいった普通の人があまり関心を持たない人畜無害のジャンルとか、「地名研究」など学会そのものが存在しないことから教育委員会関係者とか学芸員の御咎めが無いような範囲で許されているものでしかないのです。

この点、我々も全面的にバック・アップした(YYなどが関与する疑似的官製的「邪馬台国シンポジウム」など当然にも無視しますが)古田武彦講演と宮地嶽神社の筑紫舞を結びつけた800人の集会などとは比べようのない官製イベントだったことが分かるのです。


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そもそも、市民レベルから文献史学から九州王朝を発掘した古田武彦九州王朝研究とは、学会通説とは全く異なるもので、教育委員会や学芸員などが期待する官製研究が封殺してきたものでしかなかったのでした。

その延長上に未来を見通そうとする真実の古代史研究を意識する人々は、このような官製イベントから決別し、最低でも敬遠しようとする意志を持たなければならないはずなのです。

いずれにせよ、古代の真実を探索せんとする九州王朝研究とは市民レベルでしか行われないはずであり、全国の九州王朝を意識する古代史探究者の方々は、間違っても官製イベントから独立するべきでしょう。

「九州王朝隠し」は国体に関わる国家の鍵であり、藤原によって封殺されたものである以上、官製の研究などから真実が発掘されるなどあり得ないのであり、それ以外の道など存在しないのです。

問題は九州王朝論者と自認する○○史学の会のメンバーでありながら、自らは文章の一つも書けないことから、ニシダニなどが監修した通説派の古代史パンフレットを無批判に配布したり、行政とタイアップして教育員会や学芸員さえも喜ぶような講演やシンポジウムを仕組み、“私にも講演させて下さい”とばかりに尾を振り行政に売り込もうとする浅ましくもさもしいK県K市K神社の宮司などといった輩が○○史学の会の現役メンバーと言うのですから、さぞかし天国(ご本人は地獄と言われていましたが)の古田武彦も嘆いている事でしょう。

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このように九州王朝論者の外はもとより、内も腐りきっているのです。

個人的にはこの醜悪極まりない古代史の世界から離脱し、真実の神代史への探査を進め全国化が進みつつあるグループ全体の20のブログのアクセス数が年間百万件を楽に超えるところまで漕ぎ着けることがギリギリで間に合うところまできたのでした。

このようにそもそも九州王朝論とは国家が嫌がる禁断の歴史であり、本質的に権力に抵抗しつつも真実を探求しようとする気迫と情熱を持たずしては行えないものであって、行政に“私も講演に使っていただければ”とばかりに思いっきり尾を振って接近しようとするようなさもしい前述の3K宮司のような輩には行えないのは自明の理であり、警察関係者や宮司と言った権力の手先のような人間には、所詮、擦り寄る事しかできないものなのです。

こうして、良くある普通の堕落が生じるのであって、気付いて見れば村興し町興しの余興団体と何ら変わらなくなってしまうしかないのです。


九州王朝論は何故封殺され続けるのか


まず、「邪馬台国論争」なるものが存在して久しいのですが、この背後には”「邪馬台国畿内説」は全く信用できないが「九州王朝論」には何がしかの真実があるのではないか?“といった予感をもっておられる古代史ファンは多々おられるのではないかと思います。

元々、あまりにもあからさまなデマというものは直ぐに信用されなくなるのは世の常であり、そのことについては、当の大嘘の発信元の「邪馬台国畿内説」論者ご自身も十分にご存じではないかと思います。

一方、当方に言わせれば笑い話ですが、専門家とかプロの発掘調査に携わる科学者などと言われる考古学関係者の方々がおられます。

なぜならば、全国の古代史の学者の99パーセント、穴掘り考古学の専門家と称せられている学芸員などの考古学協会に集う人自体が、「邪馬台国畿内説」でなければ雇ってくれないし、学芸員にもしてもらえない上に、将来、大学の助教や准教授にもなれない事を十分に理解した上で、自ら生き残るために「畿内説」を採用しているという事実を十分に理解しているからなのです。

もちろん、そのようなものが学問などであるはずはなく、大政翼賛会とか日本会議などと五十歩百歩であることは明らかなのです。


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そもそも、現在の考古学会(某考古○○会など)とは、田中角栄の列島改造論以降の公共工事の乱発により不可避となった発掘調査の下請け(公共事業費の調査費、移転補償費)機関として、“なんでも朝鮮半島からやってきた”とする奈文研のMSなどが中心となって設立されたものであり、その出生の経緯からして車輪ほどの意味はないものの、公共事業の一歯車として動いてきたものだったのです。

例えば、古墳の発掘調査とは基本的には墓の改葬に近いものであり、昔でいえば、寺男、墓堀さんの領分であったことから、実際の業務はその筋の手作業の人手を投入するものだったのです。

結果、奈良、京都、兵庫、大阪…を中心とする関西の解放同盟系の親方などとの関係が強くなり、実際の調査、測量、報告書の作成の大半は解放同盟系企業(土建業者)のコンサルタント会社が行い、学者とか学芸員といったものは確認のための判を押すだけという構造が形成されたものだったのです。

このため、その手下となって働く発掘調査のスタッフを養成する事が必要となり、MSのイニシアチブの下に、単に大学の考古学関係の単位を取得していただけという人間が京都学派の特定のイディオロギーの元に調教され後の学芸員として採用されていったのでした。

従って、本当に古代史に関心を持って考古学を志したものは極わずかでしかなく、あの公共事業乱発の最も就職しやすい時期に、“職にあぶれたから考古学の学芸員にでもしてもらおうか”とか“そのうち役所で雇ってくれるかも知れないから”…といっただけの喰うためだけの動機で考古学の道に入った人が多かったからなのです。

理工系でもなければ、文科系のそれも誰でも採れる民俗学や考古学の講座を取っただけの人が生きる(喰う)ために選んだのがこの手の職業だったのでした。

このため彼らに、あのヘンリー・シュリーマンや原田大六氏の精神や情熱が宿っているとは凡そ考えられないのです。

現在、なお、考古学関係の発掘調査費の大半が、奈良、京都、大阪、兵庫、滋賀…の関西で消費されていると聞きます。

そして、僅かな残りが東北や九州に廻され、畿内に比べてどんなに重要な遺跡が出て来てもコンクリートで蓋をしてしまうという話まで聴くのですが(酒を呑んだ勢いで、“九州で発掘調査をするととんでもないものが出てくるから俺はコンクリートで何度も蓋してきた”…ニシダニ)、こうして、大半、畿内で消費される構造が常態化しているのです。

そして、そのまた大半が関西系の解放同盟系の企業によって回収され、学者とそれに連なる学芸員や協会員はその予算の僅かなお零れを貰い「学問」とか「科学的」などと称しているのです。

そんなものが「学問」でも「科学」でもないことは凡そ明らかですが、だからこそ、鉄も絹も出ない纒向遺跡(初めて出て来ても古墳の玄室の土被りの中ならばいざ知らず、古墳の脇の溝の中なのであってお笑い草も良い所なのです)を卑弥呼の王城などととぼけた議論がまかり通っているのです。

その理由は、今後とも安定して発掘調査費を関西で独占したいと言う利権構造にあることは言うまでもありません。

そして、少しでも正しいことを主張しようものなら直ぐに排除され助手にも採用されず、将来は閉ざされてしまう事になるのです。

このように実際の発掘調査を行うノウハウと組織とを握っているのが解放同盟系の組織であり、彼らに睨まれるのを恐れ使われているだけなのが学芸員とか考古学協会の予備軍なのです。

それこそが「邪馬台国畿内説」というイカサマが存続し続けている唯一最大の理由であり、構造としては「原子力村」とか「火山予知連」とか「地震予知連」などと全く同じなのです。

さらに踏み込めば、邪馬台国九州説、九州王朝論が叩かれ続け、古田武彦が学会から無視され続け排除され続けた背景であり、本来、凄いものが幾つも埋まっている九州などに発掘調査費が傾斜配分されることへの警戒であり、吉野ケ里遺跡クラスの発掘調査が行われることを背後の関西系土建業者が絶対に許さないという背景があるからなのです。

ましてや、九州王朝論に至っては、8世紀初頭まで九州が中心であったとする立場は、古墳だろうが、廃寺だろうが古代官道だろうが、調査費の多くを九州とその一帯に配分せざるを得なくなり、解放同盟系土建業に連動する考古○○会=邪馬台国畿内説論者にとっては存続に関わる大問題になるのです。

もはや、考古学者が土建業者に使われる構造が常態化した結果、学問が地に埋もれ、考古学と言う学問それ自体の発掘調査を行わなければ、調査報告書によっては真実が見えてこない状態に陥っているのです。

このような纏向遺跡に何かを期待して集まる人々とは、果たして科学的思考ができている方々なのかとあきれるばかりです。


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原子力村の大嘘つき学者どもに騙されてきたのと同様に、考古学村においても金儲けの道具のダシとして動員される愚かな考古学ファンを見る事ほど哀れなことはありません。

そして、それと連動してデマを流し続ける大手新聞社(A,Y)とは一体何なのか?

戦前に発行部数の増大を目的に戦争を煽り国民に多大な惨禍を齎した反省を忘れてしまったかのようです。

ここまでお読み頂ければ、古田武彦が最後まで学会通説派から疎まれ続けた理由が少しはお分かりになったのではないでしょうか?

そもそも「列島改造論」が全国に鳴り響いたあの公共事業華やかなり時代においてすら、まともな就職先も見つけられないと言うのは凡そ勉強をしなかった人間であり、その時代には、今では就職し難い教育学部に行くのは成績の悪い連中でしかなく、ましてや受かりやすい文学部などに入って就職先も得られない連中が、考古学の単位でも取って役場に採用して貰おうかなどとさもしい生き方を選択した連中だったのです。

地方では、優秀な人間は県庁から市町村職員に少し落ちて地方銀行に更に落ちて農協職員に…といったコースが現実に存在していました。

その裏口入学の一つがこの考古学ルートだったのであり、大体、あの時代の最も成績の悪い奴らが選ぶのがこの道だったのです。

凡そどのような人物が雪崩れ込んでいるかの見当が着かれたと思いますが、これを既成の価値観に縛られない自由な思考をする文化的な人物と見るか、それとも型通りの受験勉強を怠った怠惰な劣等生と考えるかは読者の良識にお任せしたいと思います。

もしも、自由な思考ができる文化的な人物が“「邪馬台国論争」など興味などありませんよ”と言った顔をして、“我々は市井のそのような議論とは無関係に、ただただ忠実に発掘されたものを正確に記録しているだけです…”“素人さん達はどうか知れませんが、考古学協会には邪馬台国九州説論者など一人もいませんよ…”などと言えるとは思えないため、この考古学協会の性格は只の利権集団としか判断できないのです。

京都学派として知られた畿内説論者の権化のような門脇 禎二でさえも死ぬ前には、“邪馬台国は九州にあったに決まっている”と言って死んだ…のですから推して知るべしと言うべきでしょう。

これらの構造が全国に押し並べて言えるかどうかの問題はあるのですが(利権構造が薄い九州などでは中央の解放同盟と考古学の強烈なスクラム構造の存在など理解できないでしょうが、それは只の田舎者と言うだけの事なのです)、個人的には列島の考古学が吐き気を催すものでしかないという思いは全く消せません。


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所詮、元特定非営利活動法人「東北旧石器文化研究所」副理事長で、旧石器捏造事件を引き起こした藤村 新一(フジムラシンイチ 195054日 )のような人間が、普通にいるのだろうと思っています。

彼がまたぞろ顔を出し始めていますが、捏造発覚後、離婚・再婚し妻の苗字を名乗っているような人物なのです。

凡そ3K宮司も含めこのような人物の集まりが考古○○会なのだろうと理解しています。

内部に入れば、考古○○会の腐敗構造も利権構造にも気付いていないのです。

どちらにせよ、月に一度程度の月例会で好い加減な講演を右の耳から聴いて左の耳からそのまま流してしまい帰る頃には忘れてしまうような研究会(ドサ周りの地方小屋)で、仮に十年で最大100回程度聴いたとしても何の成果もなく消滅してしまう事にしかならないのです。

ただ邪馬台国本を何冊か読んだだけで分かったような話を聴いて満足している様な人達の集まりとは研究会などではなく、自ら現場を調べようとも古文書にも当ろうともせず、他人の調査を鵜呑みにしたただの古代史親睦会、カラオケ・クラブなどと変わり映えしないものなのです。

研究会とは自分の頭を使い手足を動かし現場を踏み、写真を撮り、伝承を拾い、記録を残し、文章を残し、更に解析を進める研究者の集まりなのであって、何の研究する意志も持たず、そこで講演する人間でさえも本も出さず記録も残さないような連中であるならば、研究会ではなく只の古代史ファンの集いでしかないのです。

このため、彼らは全く訓練されておらず、文章も書けず(作文=立論ができず)、自らの独創も主張もないのです。

私達が目指すのは、現場を調べる事であり、そこから得られた事象を整理し解析し古代の深層を探り、ネットに公開し続けているのです。

最低でも、グループ全体でのアクセスは十年で最低でも一千~一千五百万件(現在の水準で)にはなるはずで、九州王朝研究に対して多少とも役割を果たし確実に後世へと繋ぎたいと思うものです。

一端、この九州王朝論の一部にでも触れた人が、再び、間の抜けた「邪馬台国畿内説」などに戻るはずはなく、さらにそれを推し進めようとする人は、このようなたちの悪い通説派によって仕組まれた○○シンポジウムとか○○研究会などに色目を使うことなく、独立性を保ち自らの頭を使ってさらに深い層を探らなければならないのです。


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