498 大分市に高良社があるのをご存知ですか?
20170623
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
国東半島では表向きは八幡宮(と言っても紀氏の石清水八幡系ですが)ではあるものの、脇には摂社として高良神社(高良玉垂命=開化天皇)と若宮神社(高良玉垂命と神功皇后との長子仁徳天皇)を祀る祭祀を数多く見ていますが、大分市内に高良社がある事はつい最近まで気付きませんでした。
これも大分県下でのトレッキングを行い始めた事からメンバーから教えて頂いたのですが、大分市の郊外と言っても良いような古国府(フルコウ)地区に高良社があります。
改築された事から非常に綺麗で物足りなさを感じるほどでした。
祭神こそ武内宿祢とされてはいるものの、古代の県庁(国衙)跡地である古国府にある上に、付近には若宮八幡神社がある事から、九州王朝の版図を示す痕跡としか思えません。
こんなものをこれまで気付かず放置していたこと自体が不明の極みなのですが、理由は昭文社の道路地図(県別マップル)大分県2005年版にありました(いつもながら昭文社の地図は間違いが多いですね)。
「高良社」を「高根神社」と書いている事からこれまで気付かなかっただけなのです。
重要と思えるエリアについては必ず目を入れている訳で、事実、鉛筆で印を入れているのですから、高良社と書いていれば必ず現地踏査に入っているはずなのです。
ともあれ、遅れ馳せながらも現地を踏みました。
ご覧の通り高根神社こそが高良社だったのです(とにかく晶文社の道路地図は誤りが多い…)。
由緒からは延暦24(805)年に高良山からの勧請とのことですが、この時代には既に九州の宗廟を宇佐に渡している(749年)はずなのです(「高良玉垂宮神秘書」)。
近畿大和朝廷による支配が確立している時代に久留米から勧請したとは多少驚きます。
古くは大分川沿いの小丘(古代のウォーター・フロント)に国衙、国府が存在したのですが、この高良社も川に突き出した岬状の土地の上に鎮座しているのです。
高良玉垂命を武内宿祢とするのは藤原の偽装なのですが、実に感動的な一社でした。
この神社の参拝殿最上部には木瓜紋が打たれていました。
これは高良大社の本物の神紋ではなく(勿論、現在の高良大社も住吉の左三つ巴と併せて使用しているのですが…)これは金山彦の神紋で、本当の高良大社の神紋は内部に隠された門光=唐花紋なのです。
そして、神殿にはその唐花が打たれていたのです。これが本当の九州王朝の神紋なのです。