499 大分市古国府の高良社の真北に若宮八幡宮がある
20170624
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
498 大分市に高良社があるのをご存知ですか? の続編になります。
古国府~高良社の正確に真北600メートルほどのところの大分市の中心部に若宮八幡社があります。
社伝では、建久7年(1196年)6月に大友氏初代当主大友能直が豊前・豊後二国の守護として下向した際、鶴岡八幡宮の分霊を勧請して建立したと伝えられるが、史実は不明である。当初は古河津留(現在の岩田町周辺)に建立されたが、大分川に近く水害に遭ったため、建仁元年(1201年)に現在地の東側に遷座した。中世の大友氏館から見て南西(裏鬼門)に位置しており、豊後国の国府が置かれた府内の鎮守として大友氏から代々崇敬を受けた。
ウィキペディア(20170624 08:59)による
祭神 帯中津比古命 品陀和気命 息長帯比賣命 大雀命 外神として善神王
今回は下調べをしていませんので資料がありません。勿論、「大分県神社誌」といった物も発行されていません。
勢い、ネット情報に頼る事になりますが、敬愛するの資料から縁起を借用させて頂きました。当方の写真では読みにくいからですが、有難い限りです。
祭神の帯中津比古命 品陀和気命 息長帯比賣命 は鶴岡八幡宮のスタイルですが、大雀命は、通常、仁徳天皇大鷦鷯(オオサザキ)命ですが、八幡三神に仁徳が並ぶのは珍しい形だと思います。
問題は仁徳にあります。応神天皇(ホンダワケ)の子であるなどとするのは、藤原による偽装であり、高良玉垂命(実は開化天皇)と仲哀無き後の神功皇后の間に産れた九州王朝の長子若宮こそが仁徳(シレカシノミコト)なのです。
一応、当方の写真も掲載しておきます。
当方で撮影した同社由緒
この間、列島の全域、当方が確認した北限としては、栃木県那須の那須神社の境内社の高良神社、山梨県山梨市の大井俣窪八幡神社に非常に立派な高良神社、若宮神社があります (ひぼろぎ逍遥 433 勝沼にも高良神社があった “山梨市の大井俣窪八幡神社”参照)。
大分県下でも国東半島には全域で高良神社と若宮神社(若宮八幡宮などを含む)が共に、若しくは分離して祀られる祭祀形態が残っており、これは、九州王朝の高良玉垂命と仲哀死後の神功皇后の間に産れた長子仁徳天皇=シレカシノミコト以下、朝日豊盛命、朝日豊盛命…の痕跡であり、仮に分離されているとしても、以前は共に祀られていた可能性が高いのです。
高良神社については四国でも4県に15社を確認しており若宮神社も確認しています。
中国地方でも数は少ないのですが、全域に高良神社、若宮神社を確認できますし、兵庫県から京都府でも数社を確認しています。
これらはひぼろぎ逍遥でも随時報告していますので確認を試みて下さい。
なお、若宮八幡社由緒略記にある善神王は、菅原道真の父と認識しています。
今後も大分県下での調査が進めば、まだ、まだ遭遇する事になる物と考えています。
大分市内には若宮八幡がまだまだあるのです(未調査)