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504(後) 通古賀(トールコガ) 

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504(後) 通古賀(トールコガ) 

2017071520130930)再編集

太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


九大教授(日本史)であった長沼賢海氏が遠の国衙=通国衙説の発信源であることは良く知られていますが、まず、新潟県出身の長沼教授にとって、「古賀」という姓も非常に珍しいものに思えたはずで、恐らく「古賀」という地名もある意味で難解な地名に思えたことでしょう。

 しかし、九州に住んでいる人にとって、「古賀」、「古閑」の違いはあっても、「コガ」と呼ばれる地名が広く分布していることは普通に理解されています。

ただ、『とおのこが風土記』の言う“「通古賀」が「コッカ」と呼ばれていたこと”についてですが、筑紫方言でも南部では促音化が盛んなことから、動詞語尾「る」が文中に来た場合だけでなく、「る、り、き、つ」で終わる語が文中で促音化する傾向があり、「通古賀」に近い「針摺」が「ハッズイ」になるなど、促音化の例は普通に見られるものです。

まず、「通古賀」が「コッカ」と呼ばれていたこと”という話そのものにも疑問を感じますが、長沼氏が「コッカ」と呼ばれていたから、国家、国衙へと連想したとしたのならば、それにも首をひねるのです。

つまり、九州方言の普通の傾向からは、「針摺」が「ハッズイ」になるように、「通古賀」が「トオッコガ」となりそうに思うからです。

さらに補足すれば、長沼教授の出身地の新潟県でも動詞語尾「る」が文中に来た場合に促音化する(あるだろうが「アッロ」)例もあることから、むしろ、“遠の国衙”ではなく、“通(トオリ、トオル)古賀と考えようとしなかったのか不思議に思えます。

そもそも、日本海側の海岸部は九州の海人族が古代に大量に移動し、地名や言語を運んでいるのですから、同じ言語特性が普通に認められるからです(一例ですが資料2を参照のこと)。


長沼賢海 ながぬま けんかい、18831980 日本史学者 新潟県出身 東京帝国大学 卒 東京府立第一中学校教諭 広島高等師範学校教授 1925九州帝国大学国史学科初代教授 のち香椎中学校久留米大学教授 「日本海事史研究」他著


まず、姓名の分布を調べると、全国で18,236件の古賀姓がある中で、福岡県に8,166件、佐賀県に3,028件、長崎県に1,151件と全体の6割が集中しており、ほぼ、北部九州に偏在する姓であると言えるでしょう(HP「姓名分布&ランキング」による)。

次に、地名の「古賀」ですが、これは拾い出しの作業が非常に難かしいため、正確な数字をお示しすることはできないのですが、当の太宰府市の「通古賀」周辺の古賀地名をいわゆる明治の全国小字調べ「明治十五年小字名調」によって拾い出しただけでも後段の表のようになります(資料1参照)。

結果は御笠郡だけの資料ではあるものの、大字を含めて10個の古賀地名が拾い出せる上に、距離的にも「通古賀」に近いものがあることから、凡そ「通古賀」は国衙があったから付されたもので遠の国衙である!」がいかに皮相な解釈、分析(ただの思い付き程度)であるかが改めて分るのです。

まさか、これらの全てが国衙の傍の地名であるとは誰も言わないと思いますが、遠の国衙説は、最早、非常に不明瞭で不可解極まりない怪物と化しています。

もちろん、「筑前国続風土記」や陸軍測量部による地図だけで証明したとは思っていませんが、「国衙があったから古賀だ!」「古賀はコッガと呼ぶものもいるから国衙だ!」は、ほとんど素人の論にしか思えないのです。

まず、第一に、一般の地図では古賀市の古賀や通古賀が目立つ程度で、それほどの数がないように見えますが、実際、大字、小字単位で調べれば、「古賀」地名は九州規模で大量に存在しているのです。

それらの「古賀」が、全て国衙があったと思える所に偏在しているならば別ですが、そのような事実は全くないのであって、全ての「古賀」地名が国衙と関係があるはずもなく、他の「古賀」地名は知らないが、「通古賀」だけは国衙と関係があると考えたのか、もしくは、そもそも、それほど「古賀」地名が存在しているという事実そのものも知らないで、立論しているとしか思えないのです。

恐らく後者が真相に近いと思うのですが、多くの古賀地名が存在する中で、一つの「通古賀」だけが遠の都と呼ばれる特別な理由があるとでも言うのでしょうか?叶いませんが、ご高説を伺いたいものです。

少なくともその後の定説化は、旧帝国大学の教授という権威に抗えなかった、もしくはあやかった、権威主義への拝祀がもたらしたものにしか見えないのです。

ただ、前掲の「とぜんなか通信」に出てくる「倭国とは何かⅡ」所収の恵内慧瑞子氏による“地名「通古賀」は、「とおのこが」と発音する。太宰府が「遠の朝廷」(とおみかど)と呼ばれたように、通古賀も「遠の国衙」(とおのこが)と呼ばれたいにしえの国衙ではないだろうか。”については、“私は「とおりこが」と呼んでいましたが、いつだったか、「とおのこが」と知り不思議に思っていました。”という、現地の人が把握できることをほとんど掴んでいないという権威に流されたものという印象は拭えません。

恵内氏があれほど学会通説に対して批判の目を持って見続けてきたと主張する九州王朝論者の九州古代史の会のメンバーであり、通説から独立した視点を追求するとしていただけに、「国衙があったから遠の国衙=通の古賀と考えたとしたならば情けない限りです(もっとも、現在の九州古代史の会は年8回の月例会のうち6回は、教育委員会や関係者や学芸員の通説、御高説を賜わる会に変質していますので馬脚を現したとしか思えません。かつては、九州王朝論の古田史学の会をも圧倒する研究会だったのですが情けない限りです。してみれば、長沼に尾を振るような説が出て来てもいたしかないでしょう)。

本稿は「通古賀」遠の国衙説に対する異議を提出することを目的としたもので、それ以上の内容を提出する意図はないのですが、当然ながら、では、「古賀」とは一体何なのかという大きな問題が横たわっています。

もちろん、「古賀」地名については、開拓開墾地を意味する空いた場所、「空閑」、クウガから派生したとする苦し紛れの通説があることは承知していますが、永井講演(古川と古賀/ユーチューブ版)を聴かれれば、この説への疑念はさらに深まるでしょう。

そもそも、「古賀」地名が中央に存在しないからか(例外的に京都の巨椋池周辺に一例ありますが、表記は「久我」とされコガと呼ばれます)、研究すら行なわれていないようです。

しかし、九州に偏在しこれほど大量に存在する地名を解明することは、単に我々素人の地名研究以上に重要で、九州の古代史解明にまで関係する重要な課題なのであり、地名研究としての本稿も実質的にはその導入部でしかないのです。

この「古賀」地名については、既に、永井正正範氏が「古川と古賀」という興味深い研究を提出しており、冒頭で「その見通しが付いたことから本稿が始まった」としたのは、このことを意味していたのです。

この論文については出版との関係があり、当面、ユーチューブによる音声での発表に留めることとしていることから、詳しくはそちら(仮題「古川と古賀」で近々にオンエア予定)を聴いていただくことにし、ここでは、その概略を紹介することにしたいと思います。


古賀地名とは何か?


永井研究の発端は、「古賀」地名がかなりの頻度で「古川」地名の傍に存在すると言う現象をフィールドから発見したことでした。

まず、筑後川流域だけでも小字単位では古川地名(フルコ、フルコウ、フルカワ…)は軽く50件以上は拾えるようです(小郡地名研究会による報告/小郡市史参照)。

言うまでもなく、古川地名とは三日月湖に象徴されますが、蛇行を繰り返す低平地域の氾濫残存河川周辺に付くものです。

目立つところでは、筑後川温泉の旧古川村、久留米市の長門石付近、浮羽から田主丸付近、佐賀県江北町の六角川流域に三日月湖状の古川地名が存在します。

古代に於いては現代以上に数多く頻発したであろうこの「古川」の発生に対し、それを埋めて住居地や流された田畑の代替地として復旧したいとする要望が出てくることは極めて自然な現象であったと推定できます。

現在のバングラディシュと同様に、古代に於いては強固な堤防を造ることができなかったために、河川の幅は現在の三倍から五倍はあったと考えられています。

まさしく、筑後平野はそのような巨大氾濫域に造り出されたものだったのです。

この想定に進むと、何時の時代においても土地の取り合いによる争いを回避するには、大きな権威としての行政や宗教勢力が関与し、一定の調整が行なわれたと想定することには十分な理由があるでしょう。

その際、「古川」を「古河」として表記した可能性があるのではないかと考えるのです。

筑後川という巨大河川の河口域はまさしく海とも川とも入江とも判別ができない一帯であり、エゴ(江湖、江川)という言葉が今なお生きる土地なのです。

もしも、「古河」が「古賀」と表記が変えられたとすると、九州にしか存在しない「古賀」地名の存在が非常に鮮明に浮き上がってくるのです。

中央の権威に縛られる人々は別として、古代史ばかりではなく、地名研究、言語研究にも九州王朝論を援用できる立場にあるものにとって、この「古河」の「古賀」への転化という仮説は非常に魅力的なものであり、恐らく学会通説を崇め奉り尾を振る郷土史会などの人々には絶対に考えることのできないものでしょう。

言うまでもなく、筑後平野、佐賀平野、熊本平野は、阿蘇の火山灰を起源とする非常に粒子の細かい土砂が絶えず送り込まれる地域であり、有明海による運搬作用による水平堆積によって、現在もなお低平な土地が今なお拡大し続けているのです。

このような場所では、川は蛇がのた打ち回る様に絶えず流路を変えることになるため、「古川」という言葉が自然発生的に発生し、それに行政(九州王朝)が関与することによって「古河」(恐らく熊本の「古閑」も)と呼ばれ(表記され)その後、好字令(713)によって「古賀」へと変えられた可能性を否定できないのです。

特に、いわゆる倭の五王の時代は中国風の読み、表記を好んでいることが読み取れることから、この時代に「古川」から「古河」への表記が形成されたように見え、「古賀」は想定する九州王朝の時代以前に成立した「古河」であると思われるのです。

さらに進めれば、肥後の「古閑」、玖珠の「古後」、山口の「久珂」、京都大阪の「久我」=久我(こがなわて)、そして常陸の国の「古河」(茨城県古河市=これもコガと呼ばれる)は、九州王朝の最大版図に広がる行政用語であった可能性が高まってきたのです。

低地の蛇行する大河の周りに分布する「古川」地名と「古川」を音読みで置き換えたものこそ「古賀」であり、他の多くのコガ(古川→古河→古賀、古閑、…)地名なのです。

問題はその論証なのですが、試験的な仮説でしかないため、永井氏も、今のところ肥後の「古閑」、常陸の国の「古河」(コガ)、京都の久我(コガ)」は可能性を指摘していますが、それ以外、豊後玖珠の「古後」(コゴ)、山口の久珂(クガ、クカ)、畿内の「久我」(クガ)までは言及されていません。

しかし、内部ではこれらも同一起源の地名ではないかという議論を行っているのですが、当面保留されていることから当方も抑制しています。

永井氏による「八女と矢部」(M音K音問題)「洞の海」(H音K音問題)、『「年輪年代法」と法隆寺「西院伽藍」』…などが広く普及しないもどかしさはあるのですが、ユーチューブの活用によって、これも徐々に解消されて行くことでしょう。

まずは、ユーチューブの「古川と古賀」をお聴きください。

その優れた永井研究も本も出さずネットにも公開しない様では存在していないのと同義であり、ただのカラオケ愛好会のようななばかりの研究会で拍手を貰うだけでいずれ潰え去る事になるはずです。


資料1


504-5

資料2


宗像周辺の地名が日本海沿いに東に移動している。


宗像一帯の海岸部には、西から、草崎、神湊、釣川、「鐘崎」(鐘ノ岬)

地島(ちのしま)、「黒崎」(鼻)、波津、黒山、糠塚、芦屋、「遠賀」(古代の岡ノ湊)と言った地名が並んでいます。これはほんの一例ですが、まだまだあります。

北九州市八幡区の黒崎はこの黒崎(鼻)が最初に移動したものでしょう。

 一般的にこのような地名の移動を考えるときに、例えば、志賀島の「志賀」(鹿)が移動した地名として、佐世保市鹿町、石川県羽咋郡志賀町などが取り上げられますが、海洋民はあまり記録を残さないことから、宮地嶽神社に近い「手光」(てぴか)や「在自」(あらじ)「上八」(じょうはちではなくなぜかこうじょうと読むようです)といった滅多にない特殊地名ならば別ですが、単に同じ地名があるだけでは判断が難しいのです。しかし奉祭する神社が互いに符合するとか、住民の姓氏名や地名が複数や順番に対応するとなると、やはり地名が持ち込まれたと考えて良いいのではないかと思います。こう考えてくると、はっきり言えそうな例として、敦賀があります。

 福井県敦賀市の敦賀湾の湾奥、敦賀港の泊地に金ヶ崎町があります。戦国期、越前に侵攻した織田徳川連合軍が朝倉景恒攻撃した金ヶ崎城の「金ヶ崎」ですね(そもそもこの朝倉氏は但馬の養父から本拠地を移し敦賀に入っているのです。そして高良大社と同じモッコウ紋を使っているのです)。ついでに言えば手前の若狭湾の入口にある巨大な半島の先端にも金ケ崎があります。 また、角鹿(つぬが)町もあります。これは実は志賀島のことですが、ここでは、ふれません。その四~五キロほど北の敦賀街道8号線沿いに「黒崎」という岬があり、さらに二キロ北上すれば「岡崎」があるのです。 つまり、宗像海岸の西から東に向かって並ぶ「鐘崎」「黒崎」「遠賀」(古代の岡ノ湊)と同じ地名が敦賀にも順番に並んでいるのです。さらに、その「岡崎」から北に十キロ進むと海岸沿いに「糠」があります。これも恐らく、岡垣町の「糠塚」に対応するのでしょう。もはや、宗像の海士族が拡大するか、移動するか、一部が避退するかして持ち込んだ地名としか考えられません。上の図を御覧下さい。金ケ崎城があり、順番に「金ケ崎」「黒崎」「岡崎」があるのがお判りいただけるでしょう。   

まず、完全な対応が認められます。 




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