526 突然涼しくなったので丹波丹後の神社調査に… ⑧ 京丹後周辺の「口石」類型地名について
20170911
太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
今回のシリーズの冒頭に周枳(スキ)という地名の話をしましたが、ここらで息抜きも兼ねて地名の話をしたいと思います。後半は後置修飾語の問題になってしまうでしょう。
高速道路を使わない移動は多くの地名、人名、屋号に遭遇します。
国道9号線で東に向かうと、島根県太田市の朝倉神社(ここにも朝山町朝倉があります)を通過し山陰本線のJR田儀(タギ)駅の手前に「口田儀」という地名が拾えます。
この地名が田儀への入口に当たる地名で通常田儀口などと呼ばれるものであることは疑いありません。
実は、長崎県佐世保市に口ノ尾町があります。
また、二十年前に、旧佐々町(現佐世保市)に口石免(免は長崎県北部に多数確認できる免租地の意味)がある事に気付き、「石」と表記された臼状地の入口の意味としても口が前に着く日本語としてはあまり存在しない地名である事を強く意識していました。
黒石も臼地名の一つで、付近には臼ノ浦など臼地名が目立つ場所でもあります。
この「口石」地名を石見の太田に「口田儀」として見出した時は強烈な印象を受けたのでした。
すると、京丹後市の大宮売め神社の鎮座地の付近に口大野というかなり大きな地名に気付き、どうも但馬、丹後、丹波、一帯に多くの口○○型地名が存在する事に気付いたのでした。
奥大野という地名が口大野の傍にある訳で、よくよく考えれば、東大野、西大野も同様ではないかと言われてしまいそうです。
ただ、通常は大野口と言われるものが口大野と呼ばれているだけの事になるのですが、どうもこの背後には前置修飾語と後置修飾語の問題が民族の衝突、共存の中で地名として結晶している事を考えてしまうのです。
このような微妙な変化を理解できる事こそが文化的な事で、この際少し拾い出して見ることにしましょう。
① 京丹後から但馬の豊岡市へと向かう県道2号線の峠近くに「口藤」があり、中藤があります。
② 与謝野町(宮津市)には「滝」があり、手前に「口滝」があります。以下、地名のみ。
③ 京都府京丹後市 「馬地」(マヂ)&「口馬地」これは石見の「馬路」の物部地名移動ですね…。
④ 京都府京丹波町 「口八田」
⑤ 京都府京丹波市 「口塩久」(クチシオク)&「奥塩久」
⑥ 京都府福知山市 「小倉」(未確認)&「口小倉」
⑦ 兵庫県豊岡市出石町 「小野」&「口小野」
⑧ 兵庫県蚊香美町 「大谷」&「口大谷」
⑨ 兵庫県朝来市 「米地」(メイジ)&「口米地」
⑩ 兵庫県朝来市 「田地」(トウジ)&「口田地」
⑪ 兵庫県朝来市 「八代口」(未確認)&「口八代」
⑫ 兵庫県養父市 「大江」(オオエ)&「口大江」
⑬ 兵庫県宍粟市神河町 「宮野」&「口宮野」…
まだまだ続きますが、後は関心をお持ちの方で試みて下さい。
さて、話はこれからです。
Mont Blanc
写真は言うまでもなくヨーロッパ・アルプスのモン・ブランです。
皆さんご存じの通りモン・ブランは白い山の意味ですが、山(モン=フランス革命のモンターニュ派=山岳党ですね)+ブラン(白 スペイン語「ブランカ」カサブランカ、イタリア語「ビヤンカ」カーザビアンカ)であり、英語で言えばホワイト・マウンテン(White Mountain)であり、「山白い」と思考している事が分かります。
日本は、勿論(一応?)、白山姫(天御中主)ですね。「白い山」と考えるか「山白い」と考えるかは、ヨーロッパ系印欧語でも分列があるように、○○口地名と口○○地名を対等に考える価値があるのです。
つまり、列島の古代に於いて、前置修飾語と後置修飾語は共存した時期があり、結果的に白い山型の前置修飾語が多数派になったのですが、この○○口地名と口○○地名を考えると面白い事が見えて来るのです。
口は入口の意味ですが、谷口を考えると、谷も口も同じ名詞同志であり、どっちでも良い事になってしまうのです。
もしも、谷の入口ですよの入口意味を強調した谷口と言いたいか?まだ入口でしかなく谷はずっと奥にあるという意味で口谷と言いたいかの問題もあるように思ってしまいます。
ここで、ひぼろぎ逍遥(跡宮)350で取り上げた和風諡号から考えてみた をご覧に入れます。
① 神武 神日本磐余彦天皇(カンヤマトイワレヒコノスメラミコト) 九州王朝正統皇統
② 綏靖 神渟名川耳天皇(カンヌナカワミミノスメラミコト) 阿蘇系(黎族)
③ 安寧 磯城津彦玉手看天皇(シキツヒコタマテミノスメラミコト) 大幡主=塩土翁(白族)
④ 懿徳 大日本彦耜友天皇(オオヤマトヒコスキトモノスメラミコト) 九州王朝正統皇統
⑤ 孝昭 観松彦香殖稲天皇(ミマツヒコカエシネノスメラミコト) 阿蘇系=草部吉見(黎族)
⑥ 孝安 日本足彦国押人天皇(ヤマトタラシシヒコクニオシヒトノスメラミコト)玉名半阿蘇系(黎族)
⑦ 孝霊 大日本根子彦太瓊天皇(オオヤマトネコヒコフトニノスメラミコト) 九州王朝正統皇統
⑧ 孝元 大日本根子彦国牽天皇(オオヤマトネコヒコクニクルノスメラミコト) 九州王朝正統皇統
⑨ 開化 稚日本根子彦大日日天皇(ワカヤマトネコヒコオオヒヒノスメラミコト) 九州王朝正統皇統
⑩ 崇神 御間城入彦五十瓊殖天皇(ミマキイリビコイニエノスメラミコト) 黎族+白族
⑪ 垂仁 活目入彦五十狭茅尊(イクメイリビコイサチノミコト) 宮崎生目神社主神
⑫ 景行 大足彦忍代別天皇(オオタラシヒコオシロワケノスメラミコト) 玉名半阿蘇系(黎族)
⑬ 成務 稚足彦天皇(ワカタラシヒコノスメラミコト) 素性系統不明
⑭ 仲哀 足仲彦天皇(タラシナカツヒコノスメラミコト) 九州、山口に痕跡
⑮ 応神 誉田別天皇(ホンダワケノスメラミコト) 宇佐素性系統不明
⑯ 仁徳 大鷦鷯天皇(オホサザキノスメラミコト) 九州王朝正統皇統
例外なく彦の付く天皇の和風諡号は「彦」を後ろに持っていかれています。
ところが考えて下さい。
ウガヤフキアエズ命は日子波限建鵜草葺不合命 彦波瀲武盧茲草葺不合尊と彦が前に置かれているのです。
今回の丹波、丹後で有名なヒコイマスオウは日子坐王、彦坐王ですね。
「崇神紀」の関係者ですが、一般には神武天皇の皇后であるとされるヒメタタライスズノミコト 比売多多良伊須気余理比売 媛蹈鞴五十鈴媛命も姫が頭に着いています。百嶋神社考古学ではこれは崇神の妃でしかないのです(別名:富登多多良伊須須岐比売命)。
これは京丹後市大宮町口大野の口大野公民館 奥大野もあります。ついでに口田儀もご覧ください。