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530 日南市の駒宮神社で日南の吾田(ワガタ)神社が吾田(アタ)神社であると分かった

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530 日南市の駒宮神社で日南の吾田(ワガタ)神社が吾田(アタ)神社であると分かった

20171006

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


 過去三度は入っている日南市、油津ですが、今回は熊本の美人霊能者グループではなく、元朝日新聞記者で「太宰府は日本の首都だった」外3著をミネルヴァ書房外から公刊されている内倉武久氏をご案内しています。もうかれこれ10回近く同行取材調査を行っているでしょう。

 本ブログをお読みの方なら右の下の方にという内倉氏によるブログがある事はご存じでしょう。

 同氏は考古学を中心にフィールド・ワークを続けられ、現在も熊襲を中心に列島の古代史を追求され続けておられます。


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無論、同じ九州王朝論者とは言え、私と内倉先生との立場は異なります。

 先生は犬祖先伝説やその墓制などから熊襲を中国大陸でも南の少数民族地帯から入っているシェー族などとお考えですが、当方は、海南島を経由して雲南省の麗江から入った黎(リー)族と同じく雲南省昆明から入った白(ペー)族が阿蘇氏と熊野系ヤタガラスの一族になっており、熊襲は半島から流入したトルコ系匈奴と考えているのです。誤りがあると申し訳がない為、詳細については内倉武久のブログをお読み頂くとして、本題に入りましょう。


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シェ族

シェ族(しぇぞく、畲族、あるいはショー族、シャ族)は中国の少数民族のひとつであり、中華人民共和国が公式に規定する漢族を含む56の民族のひとつである。

シェ族は福建省における最多の少数民族である。また、浙江省、江西省、広東省、安徽省にも居住している。

福建省・連江県には小滄シェ族郷があり、浙江省には景寧シェ族自治県がある。

シェ語はミャオ・ヤオ語族に属する。ただし、現在シェ族の大部分は近隣にいる客家と同じように中国語諸語の客家語を話す。独自の言語を保持する人々は広東省に数百人居るだけであるが、彼らは自分たちを「Hone」(中国語: 活聶 huóniè)と呼んでいる。

ウィキペディア(20171006 19:57による


 そろそろ本題に入りましょう。日南市の市街地から東に数キロの所に駒宮神社があります。

 前回、前々回の調査の時から気になっていたのですが、過去数回は多くても四人程度のトレッキングでしたから訪ねれば良かっただけの事なのですが、同行の方の考えを優先するなどしてこれまでこの神社を訪問する機会がありませんでした。

 しかし、機会とは自ずと訪れるもので、内倉先生の探究心は貪欲この上なく、眠いから行くのは止そうとか、次に回そうといった素振りが微塵もありません。

 フィールド・ワーカーとして朝日新聞の記者としての習性のなせる業でしょうが、満を持して訪問の機会を得ました。


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駒宮神社 カーナビ検索 宮崎県日南市平山1095 ℡0987-23-8520

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今回のテーマはこの三社です。鹿児島、宮崎は、ほぼ、明治期の改竄によってインチキ神社と考えていますが、高原町の狭野神社と併せ、この三社には何らかの真実が閉じ込められている様に思います。

 その理由は、本物の神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)は日向におられた時に、阿多の小椅君の妹で、阿比良比売(アヒラヒメ)をお妃としておられ、我々百嶋神社考古学の者は、第4代とされる懿徳天皇(オオヤマトヒコスギトモノスメラミコト)を身ごもったことから神武巡幸に随行しなかったのではないかと考えていますが、「古事記」では多芸志美美命(タギシミミ)と岐須美美命(キスミミ)の二柱の神が生まれたとしています。

 この多芸志美美命は阿蘇の健磐龍の事であり、阿蘇氏をルーツとする藤原による改竄の可能性が極めて高いのです。

 岐須美美命も耳という称号とも尊称とも思える名称が付いており、阿蘇氏の格上げを狙った仕掛けが見えるのです。

 阿蘇のカムヤイミミ、ヒコヤイミミ(阿蘇高森の草部吉見=春日大神=鹿島大神=健甕槌命…)、カムヌナカワミミ…と阿蘇系の神々にはミミが付されるのです。

 ともあれ、吾平津姫命という本当のお妃が祀られている吾平津神社があり、ハツクニシラススメラミコト=神武僭称贈)崇神天皇ではなく本物の神武天皇や神武巡行伝承(美々津からの東征伝承は九州王朝の指示による贈る崇神によるもの)が残る駒宮神社には何がしかの真実が封印されている様に思えるのです。

 この問題は重要なテーマですので、もう少し詳しく調べて別稿とするつもりですのでここで止めておきます。大嘘つきの「日本書紀」は媛蹈鞴五十鈴媛命(ヒメタタライスズヒメ)…と。

 ただ、駒宮神社には吾田(ワガタ)神社の吾田を「ワガタ」ではなく、やはり「アタ」と読んでいる事が確認でき、阿多隼人の阿多との関連が確認でき、薩摩半島の南端の阿多と油津の吾田との対抗を確認したのです。


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研究目的で百嶋由一郎氏の資料を必要とされる方は09062983254までご連絡ください


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