Quantcast
Channel: ひぼろぎ逍遥
Viewing all articles
Browse latest Browse all 723

551(前) 淀 姫 ① 

$
0
0

551(前) 淀 姫 ① 

20190723

 太宰府地名研究会(神社考古学研究班)古川 清久


本稿は、既に太宰府地名研究会のHPから発信しているものですが、安全性を考え複数の発信媒体からオンエアすべきと考え、また、現時点で再度読み易く加工したうえでオンエアに至ったものです。

このため、多少の改変を加えています。長文ですので関心をお持ちの方のみお読み頂きたいと思います。

 ただ、文体は元のデアル調で、デスマス調に変えてはいません。


551-1

淀 姫(ヨドヒメ)                 太宰府地名研究会(日田市)古川 清久

2013112220171227再編集)


 肥前国(ここでは東の佐賀県を念頭に置いている)の神社と言えば、まず、淀姫神社が頭に浮かぶ。

格式から言えば、大正十五年発行の「佐賀県神社誌要」でも筆頭に書かれる國幣中社田島神社(呼子町加部島)があるが、県南を中心にその拡がりと浸透力からか「淀姫」はより強い印象を与えている。


551-2

佐賀県佐賀市富士町上無津呂の淀姫神社      同社正面を洗う 神水(オシオイ)川

この淀姫神社が何であるかを考えずして九州の古代を云々できないとの思いを深くしたのは、佐賀市に編入されたが古湯温泉のさらに奥深く鎮座する古社、上無津呂の淀姫神社に遭遇し、下無津呂の乳母神社の氏子でもある某産婦人科医師と知り合ったからであった。                  

“医は算術”とばかりに蓄財に走るものが多い中、福岡市内で産婦人科(麻酔科)医として水の問題を取り上げ、妊娠から出産そして育児までを水から考えるという正に良医の名に値する町医(開業医)であるが、その良医から「この淀姫神社の前に流れる川は、何故、神水川と書かれ、おしおい川と呼ばれるのか?また、下無津呂には乳母(めのと)神社が有るのか?・・・」と問われ、それに回答を与えねばならぬとの使命感から取組んだのが今回の小稿である。

まず、淀姫神社と言えば佐賀川上峡の淀姫神社(河上神社)が著名であるが、実はその創起のみを見れば上無津呂の淀姫の方がさらに五十年も古い縁起を持つのである。


551-3

551-4

上無津呂の淀姫神社 は下無津呂の乳母神社


一般的には佐賀市大和町(旧大和町川上)の淀姫神社が著名であり、これ以外にはないと思っておられる方さえも多いのであるが、実際には有明海沿岸を中心に肥前(佐賀県下~長崎県下)にとどまらず、一部には福岡県みやま市(旧高田町)の一社を含め、かなりの祭祀領域を形成している。

まずは、次を見てもらおう。

これは、とりあえず把握できるものを中心に主なものだけを拾い出したのであり、全ての神社の拾い出しを行なったものであって、その範囲内でご理解を得たい。

事実、福岡県糸島市の桜井神社も元は淀姫を祀っていたようであり、事実それ伝える痕跡が残されている(後述)。

熊本県熊本市大津付近の淀姫神社も何故かの地に在るのかは未だに解決していない。

このため、今後も思わぬところで淀姫祭祀を確認する時が来るかも知れない。


淀姫神社の分布について


 河上神社(肥前一宮・與止日女神社)県社          (佐賀県神社誌要)10p

佐賀市大和町川上(旧河上村)

祭神:與止日女命神 大明神

神功皇后の御妹、また肥前風土記に世田姫海神と云う、年常(曰く鰐魚、鯰?)神名帳に豊姫、世田姫は蓋し豊玉姫命ならんか。(竜宮城の乙姫様)
創起:30代欽明天皇二十五年(564年)

※ 一宮記に曰く與止日女神 八幡叔母神功皇后の妹なりと(佐賀県神社誌要)。

※ 風土記に此川上に有石神名曰世田姫海神云々淀の訓、世止と世田と相通

 与賀神社(與賀神社)県社                (佐賀県神社誌要)7p
佐賀市与賀町
祭神:豊玉姫命(与止日女神)、彦火々出見命、沖津島姫命、市杵島姫命、綿津見命、応神天皇ほか
創起:30代欽明天皇二十五年(564年)勅願創立 川上の淀姫神社に同じ

 淀姫神社(上無津呂)郷社                (佐賀県神社誌要)68p

  小城郡北山村大字上無津呂(佐賀市)

  祭神:豊玉姫命 玉依姫 外7神 九郎社あり

  創起: 文久二年(1862)九月に千三百五十年祭の執行ありし記録(神社誌要)→512年?

  継体天皇御宇の勧請なり(どこからか書かれていない?)と察せられる 通常 継体は450から534

※神代勝利、長良親子を嘉村一族が匿う「北肥戦誌」

※九州年号の継体は517年から521年 神殿には高良大社の神紋左三つ巴と木瓜紋が確認できる

 淀姫神社(大川) 郷社                 (佐賀県神社誌要)80p

西松浦郡大川村大川野(伊万里市)

祭神:淀姫命 外16

創起:一千年以前・・・長久二年 

※十四神合祀

⑤ 豊姫神社(松浦町)村社                (佐賀県神社誌要)244P

西松浦郡松浦村大字山形(伊万里市)

祭神:豊姫神

豊姫又の御名は淀姫玉妃命とも唱へ、神功皇后の妹にして・・・(佐賀県神社誌要)

創起:記載なし

 淀姫神社(中野)村社                 (佐賀県神社誌要)248P

  朝日村中野(武雄市)

  祭神:淀姫命 外6

創起:天治元年四月勧請

※「がばいばあちゃん」の撮影ポイント

 淀姫神社(福富)村社                 (佐賀県神社誌要)116P

中川副村福富(白石町)

祭神:豊玉姫命 外3

創起:記載なし

 川上神社(多良)村社                 (佐賀県神社誌要)291P

  多良町多良(太良町)

祭神:淀姫命2

創起:記載なし 

 淀姫神社(古湯)村社                 (佐賀県神社誌要)184P

  南山村古湯(佐賀市)

祭神:豊玉姫命 海津見神 外11

創起:記載なし

※百嶋系図の安曇礒良と豊姫に対応か?

 松浦市淀姫神社 以下長崎県神社誌など未確認
長崎県松浦市志佐町浦免
祭神:12代景行天皇・淀姫命(神功皇后の妹)・豊玉姫命
創起:欽明天皇癸未二十四年(563年)

※ここでは神功皇后の妹「淀姫命」と豊玉姫命を別々祀っていることから当然にも別々の神と解釈されている。

⑪ 矢峰淀姫神社(佐世保市)現地未踏査

佐世保市松原町と矢峰町の鎮守神、祭神は海神大綿津見神の娘豊玉姫命とされる。「北松浦神社明細帳」に、創建は平安期で、長和二年(1013)とある。相浦谷一帯の開拓が進み、竹辺大宮姫神社の分霊を祀ったとの説もある(鹿児島の大宮姫伝承と関連か?)。

⑫ 平川淀姫神社(大津町平川)

祭神:淀姫神、竹内宿禰神、比咩御子神

以前、偶然に発見し宮司からお話をお聴きしたことがある(大津町平川236)。

「大津町史」にも以下の記載がある。


淀姫神社は佐賀県に多く分布し、淀姫(=与止日女・世田姫・豊玉姫)を祭神とする神社です。ここの淀姫神社は『菊池郡神社誌』によると、戦国時代に創建されたそうです。当時、この地域一帯は広く肥前の龍造寺勢力と豊後の大友勢力との対決の舞台となりました。伝説も、ここを舞台に肥前の勢力と豊後・阿蘇との関わりを示しています。9月の「願成祭」で子供相撲の奉納があります。11月の秋祭りには、平川合志神楽と浦安の舞が奉納されます。現在、地域の5つの地区が、交替で祭りのお世話をしています。また、一宇太鼓

がここを拠点に活動しています。

⑬ 與杼神社
京都市伏見区淀
豊玉姫命、高皇産霊神(タカミムスビノカミ)、速秋津姫命(ハヤアキツヒメノミコト)

淀姫と言えば、直ぐに淀川が頭に浮かぶかもしれないが、淀川は佐賀からの地名移動と考えてまず間違いない。

與杼神社(淀姫さん) 京都市伏見区淀本町167

山城国乙訓郡の式内社。元は桂川の対岸の水垂町に鎮座していたが、淀川改宗工事に際して淀城跡北の現在地に移転。淀姫社、水垂社、大荒木神社とも呼ばれていた。『三代実録』に、貞観元年(859)に、正六位上与度神を従五位下の叙したとある。
 『寺院神社大事典山城編』には、旧鎮座地は『和名抄』の乙訓郡榎本郷の地であったと云われ、従って豪族榎本連の居住地と思われ、一族の祖神として祀られたとの説があるとしている。『姓氏録』によれば、左京神別に榎本連があり、道臣命十世孫佐弖彦之後也とある。大伴氏の系統だと高皇産靈神より発していることになる。社伝によれば、応和年中(961964)千観内供が肥前国佐賀郡の河上神を勧請したことに始まるとされている。祭神の一の豊玉姫の説明であろう。        
HP「神奈備」による


以上、各神社の祭神をみると、與止日女命には「豊玉姫命とする説」「神功皇后の妹とする説」、その他がある。この外にも淀姫らしきものを見掛ける。興味深い例として糸島市の桜井神社には「淀姫大明神」の神額が掛けられているが祭神にはないことから、元は淀姫を祀っていたのではないかと考えている。

桜井神社(糸島市桜井) 

祭神:神直日、大直日、八十枉津日


この里の藍園という所に與土姫明神の社がある。與土姫は社号で、神直日、大直日、八十枉津日の三神を祭っている所だ。社殿の後ろの小高い所に岩窟がある。・・・中略・・・この辺りにしては、壮麗を極めた造りだったので、数年かかって、寛永9年完成して、京都から吉田兵部少輔中臣治忠を招請して、社号を與土姫大明神として、あがめ奉った。                    

貝原益軒


551-5

桜井神社


※百嶋神代系図では神直日、大直日の二神は鴨玉依姫と大山咋命(の別名)としている。

かなり前に参詣したことはあるものの実質未確認であり判断ができないが、この三神は淀姫ではない。これに関して連携ブログ「ひもろぎ逍遥」の綾杉るな女史は、


楼門の扁額が表は「與土姫大明神」で、裏が「桜井神社」となっている件については、もともと、與土姫大明神だったのが明治二年に桜井神社に改称されているのが分かりました。與土姫大明神について考えました。この神社の名前がかつては與土姫大明神という事から、新左衛門の妻に懸かられた神が與土姫大明神ではないかと思いました。


551-6

昭文社 県別道路地図(福岡県)


としているが、なお不明瞭極まりない。

さらに、福岡市西区の今宿駅の東には鯰川が流れている。鯰は竜王からの遣いであることからして、淀姫神社の社家はもとより、氏子も、一切、鯰を食さないと言われることから、熊本市周辺など、鯰、鯰橋・・・と言った地名、また、淀姫神社とされていないものにも鯰の置物が置かれているところもあることから、西区今宿上ノ原叶町周辺にも淀姫を祀る人々がいた可能性はあるであろう。

今宿駅の東の鯰川の奥に叶町があり叶神社がある。叶、加納地名は外洋性(南方系)海洋民の付す地名と考えていることから(太宰府地名研究会HPの「田ノ浦」を参照されたし)、叶神社は淀姫を祀っているのかも知れない。なお、叶姓が最も集中するのが奄美大島であることも興味深い(「姓名分布&ランキング」)。

この外、志式神社などにも豊姫として淀姫と思われるものが祀られているものがあり、鯰に関連する神社を拾い出すと、阿蘇神社を筆頭に、星野町の麻生神社、久留米市田主丸の阿蘇神社、福岡市早良区の賀茂神社、那珂川町の伏見神社など淀姫神社だったのではないか思えるものがあるなど分り難い。このため、さらに簡略化した表を見て頂く。


淀姫神社


551-7

豊玉姫を中心に祭神にバラつきがあることは明らかで、佐賀県嬉野市の豊玉姫神社ほかにも白なまずの置物があるなど、淀姫神社の主神が何かが確定できない中で神社の分布を云々するなど危険ではあるが、ここまで見てくると、淀姫神社が佐賀県の中部から長崎県本土の北半に分布が集中していることが分かる。

一般的に佐賀県の東西は弥生と縄文、北馬系と南船系、半島と江南の対抗が認められると言われるが、印象だけで言えば、このことが淀姫の分布に多少は関係しているかも知れない。また、その中枢域が嘉瀬川の川上、古湯、上無津呂の淀姫神社であったことは明らかで、上無津呂の淀姫から長野峠を越え糸島半島の淀姫の痕跡への繋がりも推察できる。




Viewing all articles
Browse latest Browse all 723

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>