スポット184 赤村の超巨大古墳 ⑥ から 朝倉市山田の長田大塚古墳「継体天皇陵説」の周辺 (上)
20180525
太宰府地名研究会 古川 清久
先に、スポット151 赤村の超巨大古墳発見の背景について “福岡県赤村内田の前方後円墳?”外をオンエアしています。今回は、九州王朝論者の大御所のお一人である内倉武久氏が提案されている朝倉市山田の長田大塚古墳(継体天皇陵説)について当時行った太宰府地名研究会主催のトレッキングのお話をするとともに、継体天皇が如何なる人物であったのかについて迫ってみたいと思います。
赤村の超巨大古墳?はともかくも、九州にも大王クラスの古墳が存在するという事について考えて頂きたいと思うものです。
再掲
現在、グーグル・アースでも容易に見いだせる古墳にしか見えない福岡県赤村の巨大丘陵が、(あくまでも)仁徳陵とされる大山(大仙山)古墳に次ぐとか匹敵する超大型古墳ではないかとの話が持ち上がり、地域を揚げて盛り上がっています。
赤村に巨大な前方後円墳-。こんな話が、地元住民の間やインターネット上でささやかれ始めている。地元の古代史研究グループによると、現場の航空写真から鍵穴型丘陵の全長は約450メートル。日本最大の前方後円墳「大山(だいせん)古墳」(堺市)の墳丘長に迫る大きさとあって、古代史ファンからは「卑弥呼の墓では?」といった期待の声も聞かれる。
丘陵は同村の西端、内田小柳地区の雑木と竹に覆われた民有地で、東側を平成筑豊鉄道と県道418号が南北に走る。数年前から丘陵の形に着目してきた田川地域住民などでつくる「豊の国古代史研究会」の調査では、後円部に当たる部分は直径約150メートル。魏志倭人伝にある邪馬台国女王卑弥呼の墓の直径「径百余歩」とほぼ一致するという。
また、丘陵沿いの住民によると、東側にある後円部と前方部のくびれのような場所では、タケノコ掘り中に土器片が多数発見。周濠(しゅうごう)の部分に当たる丘陵西側脇には、以前から湿地が広がっていたという。現在まで発掘調査はなされておらず、真偽は謎のまま。田川地域の自治体の文化財担当者らは一様に、丘陵を「自然の地形」として、前方後円墳との見方を明確に否定している。
=2018/03/20付 西日本新聞朝刊=
内倉武久氏は「うっちゃん先生の古代史はおもろいで」の初期のブログ
ブログ013 「継体天皇」の御陵は福岡にあった① ―杷木神籠石誕生に一役か―
ブログ014 「継体天皇」の御陵は福岡にあった② ―継体天皇も熊曾於族か―
において、朝倉市杷木町の大分自動車道山田パーキング下の長田大塚古墳継体天皇陵説を提出
されています。
『古事記』『日本書紀』(『記紀』)に記す「継体天皇」と「磐井」の争いは、九州政権内の権力争いであろう、と考えている。 そうであればいより「継体天皇の御陵」も九州のどこかにあるはずだ。というか、なくては筆者の考えは大間違い。「ただの妄想」と受けとられかねないだろう。この 件についてどうしても読者にお知らせしておかなければならないと思う。というのも、「継体天皇の御陵が福岡県朝倉市にあるのを発見した」のだ。「断定」とまではいかないが可能性としては極めて高いと思える。…以下略
継体は三島の藍(アイ)に葬られたのです
ただ、この墳墓はもぬけの殻かも知れません
それは改葬され東に移動されている可能性があるのです それが、仁徳によるの州王朝東遷です。
既にひぼろぎ逍遥223~225において、列島でも最大クラスの円墳である朝倉市杷木町山田の長田大塚古墳について書いています。
225 | 内倉武久氏による朝倉市長田大塚古墳=継体陵説と杷木神社縁起との整合について ② |
224 | 雨に濡れながらの6.27太宰府地名研究会トレッキンング “長田大塚古墳=継体陵説を探る” |
223 | 内倉武久氏による朝倉市長田大塚古墳=継体陵説と杷木神社縁起との整合について ① |
詳細はこれらを読まれるとして、この古墳の概略を再度ご説明したいと思います。
224 雨に濡れながらの6.27太宰府地名研究会トレッキンング “長田大塚古墳=継体陵説を探る”
2015年6月27日、梅雨の切れ間を狙った太宰府地名研究会トレッキング“長田大塚古墳=継体陵説を探る”を決行しました。当日午前11時大分自動車道山田パーキング南の福岡県朝倉市杷木町の三連水車の里あさくら に30人ほどの人間が集まりました。…
…写真は、山田パーキング・エリアと農協の大型販売拠点である三連水車の里あさくらの間にある長田大塚古墳の遥拝所もしくは、古代の祭礼所が置かれた場所ではないかと思えるところです。
地名研究会の考古学関係の顧問である内倉武久氏が言われていましたが、古墳として登録はされているものの、まだ、測量もされていないことから図面も何もない、三段築成かも知れないが今のところは分からない、ただ、埼玉県行田市の稲荷山古墳に次ぐ大型円墳であることは間違いないようです。
何よりも、高速道路建設に際して宮内庁からストップが掛った事は重要で、どうやら私達も古代史の重要な部分に踏み込み始めた様です。
まず、あれほどの巨大円墳ですから、古代においても必ず祭礼が行われた場所があるはずなのです。
もしも祭礼を行うとすれば、皆さんだったらどこに場所を求めますか?前方後円墳の場合は造り出しがあるのですが、ここは円墳なのです。
古代においても、朝から昼にかけて準備をして宴は夕方から夜に掛けて行われたはずです。
そう考えれば、分かるはずですが、日が陰ってもできるだけ永く明るさが得られる西側に祭りの場所が置かれるはずなのです。そう考えて現地を見ると、その地にどのように考えても古代から続く豪族、それも相当上のクラスの名家と思える一族の墓地があるのです。
これについては、予め一族のご了解を得て入ったものではありませんし、先方とも全く接触していない事から軽々にはお話をできません。
しかも、磐井の乱の継体天皇に関わる一族と考えられる○○家のものであるだけに、以後は、はっきりした事が分かりご許可を得られるまで公開しないことに致します。
内々ではメンバー内部からも色々な意見が飛び出してきており、記録にとどめ、皆さんにもお知らせしたいいところなのですが、当面の間凍結する事とします。
車8台30人の雨中行軍でしたが、なんとか事故も無く5ポイントを巡るトレッキングは終わりました。
太宰府地名研究会は2013年3月からトレッキング中心の現地見学会に変更しています。
① 太宰府メンバーで徒歩の参加を希望される方は JR春日駅前のくるま座(西鉄春日原駅から500メートル)に集合し車の集合場所に移動できます。便乗は中島さんに事前に連絡を!
※ 車両の配備が必要になりますので事前に、古川、中島、酒井、大石まで連絡して下さい。
② 車の集合場所は目的地に応じて随時変わりますが、通常は駐車料金が必要ない止めっぱなしできるところ(三連水車の里あさくら、ゆめタウン筑紫野)などを選び車の編成をします。できるだけ台数を減らし四人乗りなどゆったり座れるようにします。
③ 車の便乗については車の提供者に対しその日の行程に併せ応分の謝礼をして下さい。
④ 弁当が必要な方は事前に準備して可能なら車中食で!今回は道の駅みやまで購入可能。
⑤ 原則的に車の集合場所には11時前までにお集まり下さい。 緊急時連絡:09062983254 古川
⑥ 信仰心の有無に関わらず、管理されている方の気持も考慮しお賽銭をご用意ください。
※ 途中の事故などには注意してください!リスクは運転手が負います!お気持ちで謝礼と経費負担をお願いします。
今回の集合場所(11:00~) 福岡県 朝倉市山田 2192-1
① 長田大塚古墳 カーナビ検索
三連水車の里あさくら から北へ数百メートル
まず、この現場をグーグル・マップから見て頂きましょう。
もう何十年も前の話になりますが、大分自動車道の建設当時、現在、山田パーキングの真南にある長田大塚古墳を潰しこの場所に同パーキングを建設する計画だったのですが、ご覧の通りこの場所でS字型にカーブさせ長田大塚古墳を避けて北に振らされているのです。
この高速道路公団の計画を変更させたのは文化庁ではなく宮内庁だったと言うのです。
つまり、知らないふりをしてはいるのですが、宮内庁はこの古墳が継体の墓である(正確にはあった)事を知っていたのだと考えられるのです。
最低でも古代天皇家に関わる(実際には九州王朝系の天皇)重要な古墳である事を知っていた可能性があるのです。
そうでもなければ、このような急カーブによる変更はないはずで、本来はまっすぐに通す予定だったはずなのです。
本当にようやくですが、青森~東関東に掛けて4件、愛知県2件、高知県1件、大阪府2件、大分県5件、福岡県11件の合計25件のグループが形成されました。
この外にも、鹿児島県、福岡県、山梨県…からも新規に参加される方もおられ検討しています。
人材を残す必要から、テーブルに着いた神代史研究会も研究拠点として残す方向で動いていますが、今は多くの研究者の連携を拡げ、独立した研究者のネット・ワークを創り、現場に足を運んで自らの頭で考えるメンバーを集めたいと考えています。そのためには少々の雨も寒さも厭わぬ意志を持ったメンバーこそが必要になるのです。勿論、当会にはこのブロガーばかりではなく、著書を持つ人、準備中の人は元より、映像を記録する人、神社のパンフレットを集める人、伝承を書き留める人、blogは書かないものの、徹底してネット検索を行い裏取りを行う人、ただひたすら探訪を続ける人と多くのメンバーが集まっているのです。全ては95%が嘘だと言いきった故)百嶋由一郎氏による神社考古学のエッセンス残すためです。
なお、「肥後翁のblog」」(百嶋テープおこし資料)氏は民俗学的記録回収者であって民俗・古代史及び地名研究の愛好家 グループ・メンバーではありませんがご了解頂いています。この間、百嶋神社考古学の流布拡散に役立っており非常に感謝しております。
ひぼろぎ逍遥、ひぼろぎ逍遥(跡宮)は現在二本立てブログで日量1100~1200件(年間45万件 来年は50万件だ!)のアクセスがありますが、恐らくグループ全体では最低でも年間200万件のアクセスはあるでしょう。