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565 クマリの団扇に六芒星が…

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565 クマリの団扇に六芒星が…

20180111

太宰府地名研究会 古川 清久


 NHKの正月番組(BSスペシャル)の二時間番組でネパールの生神様「クマリ」のドキュメントが放映されました。


565-1


百嶋先生からの話として聴いていましたが、芸人とオカマと外人とハーフに化け物 で仕立てられる馬鹿番組や手抜き番組ばかりが怠惰に流される中でしたので、これは良い機会を得た見せて頂きました。

 ネパールの「クマリ」とは何か…と不信に思われる方は多いと思いますので、まずは、一般的な解説から見て見ましょう。


クマリKumariKumari Devi)は、ネパールに住む生きた女神である。密教女神ヴァジラ・デーヴィー、ヒンドゥー教の女神ドゥルガーが宿り、ネパール王国の守護神である女神タレージュやアルナプルナの生まれ変わりとされており、国内から選ばれた満月生まれの仏教徒の少女が初潮を迎えるまでクマリとして役割を果たす。中には初潮が来ず、50歳を過ぎてもクマリを務めているケースもある。

カトマンドゥのクマリの館に住む国王もひれ伏すロイヤル・クマリが最も有名であり、国の運命を占う予言者でもある。クマリという場合、概ねロイヤル・クマリを表す(ネパール国内の村や町にも多数存在するクマリはローカル・クマリと呼ばれている)。

先先代のロイヤル・クマリは2001710日に当時4歳で選ばれたPreeti Shakya、先代のロイヤル・クマリは2008107日に当時3歳で選ばれたMatina Shakyaであった。2017929日にTrishna Shakyaが3歳で新しいロイヤル・クマリに選ばれた。

9月に行われるインドラ・ジャートラーの大祭ではクマリが主役となり、王がクマリの元を訪ね跪き祝福のティラカ(Tilaka)を受ける。 顔は額から鼻筋にかけて赤い化粧が施されている。

ウィキペディア(20180111 23:18による


 一応、主だったメンバーに「クマリ」を見る様に連絡したのですが、それほど見て頂いた訳でもないでしょうが、ユーチューブでもある程度は把握できるため、そちらを見て頂ければそれで良いのかも知れません。


釈迦族(しゃかぞく、Śākyaシャーキャ)とは、古代北インドの一部族・小国である。釋迦族シャーキャ族とも。

インドではサンスクリット語शाक्य (śakya, シャーキャ) パーリ語 sākiya(サーキヤ)と言い、「有能」という単語に由来する。

概説[編集]

仏教の開祖ガウタマ・シッダールタが属していたことで有名である。

前6前5世紀ころ、インドの地には大小さまざまな国がひしめいていた。シャーキャはカピラヴァストゥに都を置き、ヒマラヤ山麓にあった。(場所は現在のインドネパールの国境地帯にあたる)。そして西隣のコーサラ国の支配下にあった。

シャーキヤ族は、政治形態としてはサンガを採用していた。つまり専制的な王を持たず、部族民の代表たちが集会堂に集まって政策を決定していたという。

系統[編集]

伝説では、アーリヤ人クシャトリヤ王統に属すると言われる。

一説には、日種英語版 (: sūryavaśa, : ādiccagotta) に属し、甘庶王英語版)(かんしょおう、オッカーカ)系といわれる[2][3]

漢書張騫伝の「塞王」について、顔師古による注は「即ち仏経に釈種と謂う所の者。塞・釈は声(発音)近く、もと一姓なるのみ。」とあり、塞(そく)と呼ばれる種族(サカ)と釈迦族がもとは同じ民族であったとしている。サンスクリット文法上は śākya(シャーキヤ)を śaka(シャカ(=サカの梵語形))の派生語とするのは自然であるが[4]、サカ族がインドに到達したのは紀元前2世紀で、仏陀の時代よりはるかに後であるという問題がある。

歴史家の中には、チベット・ビルマ系だと見なす人もいる。

釈迦族

釈迦族の家系は、経典によって内容に差異があるが、『佛本行集経』賢劫王種品・第三などによると、

衆許大転輪王 - 27- 大須弥小轉輪王 - 18 - 真生王 - 31 - 茅草王 - 甘庶王 - 別成王 - 拘盧王 - 瞿拘盧王子 - 獅子頬王

と続いている。この獅子頬王に四男一女(浄飯王・白飯王・斛飯王・甘露飯王・甘露味女)がいたとされる。

『起生経』では次のとおり。

甘庶種王(不善長) - 足瞿 - 天城 - 牛城 - 広車 - 別車 - 堅車 - 住車 - 十車 - 百車 - 九(十)車 - 雑(色)車 - 智車 - 広弓 - 多弓 - 兼弓 - 住弓 - 十弓 - 百弓 - 九(十)弓 - 雑(色)弓 - 智弓 - 獅子頬 - 浄飯

なお浄飯(シュッドーダナ)を父としてゴウタマ・シッダールタは生まれた、とされる。

逸話[編集]

律蔵』の「小品」には、釈迦族の青年たちの出家について述べている箇所があり、パッディヤ、アヌルッダがそろって出家したときの逸話なども書かれている。

釈迦族は自尊心が非常に強い民族だった、といわれる。釈迦が成道後、カピラ城に帰った際にクシャトリアである諸王子を差し置いてシュードラ出身の優波離が先ず弟子となった後に、諸王子が仏教の教団の伝統に基づき、阿難など諸王子達が優波離に礼拝して末席に連なったことから、釈迦仏が「よくぞシャカ族の高慢な心を打ち破った」と讃嘆したという。

シャカ族がコーサラ国の毘瑠璃王によって滅ぼされたのも、もとを正せば、この自尊心の強さによる高慢心が原因だったといわれる。

コーサラ国のヴィドゥーダバ王子は、コーサラ国のプラセーナジット王とシャカ族の女性との間に生まれた子であった。ヴィドゥーダバ王子は、ある時シャーキャ国の都カピラヴァストゥを旅していたが、その時シャカ族のなかに心ない陰口を言う者がいたという[6]。「ヴィドゥーダバ王子の母親というのは、シャカ族指導者マハーナーマンが召使に生ませた娘だ」などとシャカ族の者が馬鹿にするように話すのがヴィドゥーダバ王子に聞こえ、それをきっかけにしてヴィドゥーダバは母親・父親・シャカ族を憎み、いつかシャカ族に復讐してやると心に決めた、という。やがてヴィドゥーダバは父であるコーサラ王プラセーナジットから王位を奪い、プラセーナジットは失意のうちに死去。王になったヴィドゥーダバは大軍を率いてカピラヴァストゥに攻め込んだとされる。

釈迦族のその後[編集]

仏教文献等によると、釈迦族は釈迦の晩年の時期、隣国コーサラ国毘瑠璃王(びるりおう、ヴィドゥーダバ)の大軍に攻められ滅亡したとされる。

異説も有り、滅亡したのではなく、生き残った四人の王族がヒンドゥー教に改宗して釈迦族は存続したという伝承も存在する。

シャカ族で生き残った4人の男子は、それぞれ他の国へ行って、みなその国の王になったと伝える説も。

インドのウッタル・プラデーシュ州南部には釈迦族を自称する一族が現在も住んでいる。

ネパールのパタンネワール族のサキヤ・カーストという職人たちが存在している。このサキヤ・カーストは、コーサラ国によって滅ぼされたサーキャ族の末裔だと信じられている。パタンではネパールの他の街にくらべて仏教徒の割合が高い、という。そしてこのサキヤ・カーストは仏像や彫刻を彫ることで、古代仏教の伝統を今に伝えている、という。

ウィキペディア(20180111 23:18による


565-2

ネパールでもインド国境に近いルンビニにいた非アーリア系氏族(釈迦族=決して多数派と言う意味ではないのですが)の釈迦族王子ゴウタマが釈迦牟尼、釈尊(まあ「仏陀」でも良いでしょうが)が仏様、御釈迦様になるのですが、一般にはネパール王国(現在では王制は廃止)から仏教が始まったと考えられています。

 実は、この釈迦族の中から今回取り上げた生き仏のクマリも選ばれる事になっているのです。

 ただ、この「生仏」(活仏)は何故か女の子であって、月経の始まりによってクマリではなくなるのです(閉経が無かったり異常に遅れた場合はどうするのかと心配しますが、それは下種の勘繰りになるでしょう)。

それはともかく、彼らが太陰暦(「ヴィクラム暦」ネパールの公式の暦)使っている事とも関係がありそうです。

 この仏陀を生み出した釈迦族を紛れもないイスラエル系氏族であると言ったのも故)百嶋由一郎氏でした。

 その話が今も耳に残っていますが、今回NHKのBS放送を見て確信を持つに至りました。

 恐らく、百嶋先生は直接カトマンズにも足を延ばしその感触を得ておられたのだと思います。


 今回報道に関して

関東の565-3565-4の二氏にもご連絡したところ、私はblogを書きながら好い加減に見ていたのですが、お二人は丁寧に見ておられたのでしょう。

常陸の国探検隊のK氏は、傍らに於いた携帯で直ぐに撮られたと見えて、クマリの団扇に刺繍された六芒星を見逃さず、テレビの映像を撮影されたのでした。それを送って頂いたのが以下の写真です。

 一方、宮古の縁側日記女史は 早々と Gautama Siddhartha を最新版としてオンエアされています。

 宮古の縁側日記最新版 №65 Gautama Siddhartha も併せお読み頂きたいと思います。


565-5

お分かり頂けると思いますが六芒星がはっきりと映っていたのです


 少なくともクマリを釈迦族から選ぶ習慣(戒律)が残っている事から考えて見ても、この釈迦族が紛れもないイスラエル12氏族の一つであろうことは疑い得ないのです。


565-6

ネパール人=釈迦族とは言えないが…日本人にも良く似ていますね


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