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568 南阿蘇村色見の熊野坐神社 “新たに作られたパワー・スポット上色見の熊野坐神社とは別の一社

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568 南阿蘇村色見の熊野坐神社 “新たに作られたパワー・スポット上色見の熊野坐神社とは別の一社”

20180117

太宰府地名研究会 古川 清久


 極寒20181月でも、束の間暖かい好天に誘われ、熊本の女性メンバー数名と懸案だった岩戸神社に行く事にしました。これについては以下をご覧ください。

ひぼろぎ逍遥 549 岩戸神社に行かねばならない “阿蘇は立野大峡谷の南崖に鎮座する重要な一社”

 ところが、現地に行くと神社の駐車場への橋は熊本地震によって崩れており、現在、災害復旧が行われていました。

 おまけに、岩戸神社直下の鳥居も壊れており、現場の工事業者に話を聴くと岩戸神社への参道も崩れており入る事はできませんよ…とのことでした。

 

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岩戸神社参道階段直下の崩れた鳥居


 そこで、急遽、西原村の鳥子三之宮神社を見て南阿蘇に入る事にしました。

 現在、南阿蘇に入るルートはある程度復旧しています。

 立野から栃ノ木へと立野穴あきダムのダム建設道路を拡充した道路が急遽整備され通行できますし、西原村経由で俵山トンネル・ルートも復旧しています。

 このため、往路は西原村から俵山ルートを、復路は立野ルートで南阿蘇に入る事にしました。

 いずれにせよ、雲一つない極寒の晴れ間を美女数名と神社調査に入れるのですから、これ以上の喜びはありません。

 さて、今回足を踏み入れるのは、色見の熊野坐神社です。

 最近、パワー・スポット・ブームが仕掛けられたのか、高森町を貫通する国道265号線沿いの上色見郵便局の正面に鎮座する上色見の熊野坐神社への参拝客が急増しています。

しかし、今回訪問するのはこの神社とは別の熊野坐神社です。

 一度、入って発見できずに戻ってきた事があるのですが、今回、新たに入る事ができたのでした。

 前述のパワー・スポット・ブームについては、以下をお読み下さい。

ひぼろぎ逍遥 540 南阿蘇に急造された新興パワー・スポット “高森町上色見の熊野坐神社”

 今回の調査目的は一体どちらが古い権威ある元宮なのかを把握することでした。

 以前は失敗している事から下調べをしていますので、井上という地区にあることだけは把握しています。

以前、失敗した辺りまでは難なく入りました。好天の上、付近にはところどころに雪が残っています。

同行者は3050代ながら雪の降らない熊本市内在住者のこと、これくらいの残雪にはしゃいで雪だるまを作る次第でなんとも和やかです。カーナビで井上地区は直ぐに分かりました。

しかし、谷あいの隘地の事、普通は見つからないのは致し方なく、これじゃ見つからないのは致し方ないと合点したのでした。それでも探していると、谷あいの一角の雪が残る木立の合間に社を発見しその荘厳さに心を打たれた思いがしました。

何を大袈裟な…とお考えの方もおられるでしょうが、そもそも、何故、この地に熊野系神社が鎮座している理由がお分かりになるでしょうか?


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では、神社をご覧ください。


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色見の熊野坐神社 カーナビ検索 熊本県高森町色見2649


熊野坐神社 『延喜式神名帳』には熊野坐神社という名前の神社が2社記載されている。

紀伊国牟婁郡の熊野坐神社 - 和歌山県田辺市本宮町本宮にある熊野本宮大社。明治時代から第二次世界大戦終了まで再び熊野坐神社を名乗っていた。

島根県意宇郡の熊野坐神社 - 島根県松江市八雲町熊野にある熊野大社。

ウィキペディア(20180118 10:11による


 熊本県内にも氷川の立神峡谷の一角に熊野坐神社がありますし、他にも嘉島町浮島、人吉市、球磨川流域、天草などで見たことがありますので、もしかしたら県内には十社は存在しているかも知れません。

 しかし、中央の研究者は熊本県下にこれほど熊野坐神社があることは知らないのです。

それは熊野の起源を和歌山県だと思い込まれているからなのですが、私達百嶋神社考古学のものには別の世界が見えているのです。

一般的に熊野神社と言えば、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の熊野三山の意味ですが、熊野坐神社と言えば、熊野本宮を意味しているものと理解しています。

ただ、上色見の熊野坐神社もそうですが、熊野三山を祀っているようです。

熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社と言っても誰を祀っているのかご存じない向きが熊野多いと思いますので、改めてご説明しておきます。

百嶋神社考古学では熊野本宮大社とは、スサノウが追ってきた磐長姫=アカルヒメ(細石神社の主神)=ヤタガラスの姉であり、熊野速玉大社は大幡主、熊野那智大社はイザナギと別れた後、大幡主と一緒になった元イザナミ=金山彦の妹=後にクマノフスミ命と呼ばれた瀛氏と白川伯王系の神社群なのです。


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百嶋由一郎最終神代系譜(部分)


 分かり難いのは、アカルヒメですが、スサノウの妃となったものの豊の姫島に戻ってきた女神様であり(スサノウが追ってきたのであってそれなりの女性なのです)、同時にヤタガラスの姉なのですから白族でも最高格式の女神様なのです。

 良く言われる話ですが、大山祗がニニギの妃として磐長姫とコノハナノサクヤを送るのですが醜いとして返されたのが磐長姫とされます。

 実はこの磐長姫が細石神社の主神なのですが、百嶋神代系譜を良くご覧になって下さい。

 磐長姫とコノハナノサクヤはもちろん姉妹ではありませんが、大幡主と大山祗とが義理の兄弟(犠神体)を形成しています。

この事から考えれば、コノハナノサクヤと磐長姫とが共に娘同志なのですから互いに姉妹と言えない事もないのです。

従って、醜かったから返されたというのは近畿大和朝廷が熊襲(大山祗系)を貶めるための宣伝工作であって、スサノウが追ってくる女性であった事を考えれば、彼らのデマ宣伝が見えて来るのです。

熊野本宮大社の祭神を巡って、神社庁や通説の追従の学者どもが如何なるものかが見えて来ると言うものです。なお、擬神体については、以下を参照して下さい。

ひぼろぎ逍遥 367 甘木朝倉の田神社からタノカンサーが擬神体である可能性について を参照の事。

 いずれにしても、熊野神社の神々がどのようなものかはお分かり頂けるのではないでしょうか?

 問題は前述したとおり、どちらが根源的な神社なのかです。

 付近の敬愛する某神社の宮司からは、「色見の熊野坐神社の方が古いんですよ…」とはお聴きしているのですが、白川が上色見から流れ出している事から、白川伯王系である熊野神社の本流は上色見にも思えるのです。

ここからはそのお話に入りましょう。

「熊本県神社誌」によれば、色見の熊野坐神社は上色見のそれから分離された事になっています。

 これは、前述した白川の源流がこの上色見である事からそちらが元ではないかとした事とも符合するのですが、前述の宮司はそれよりも古層を伝承などから拾っておられるのかも知れません。


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熊本市のど真ん中を流れる白川が何故白川と呼ばれているかは、白川伯王 白山姫~大幡主~豊玉彦=ヤタガラスの系統が祀られる源流が白川と呼ばれていたからであり、だからこそ旧白水村もあったのです(白川も古くは中国風に「白水」と呼ばれていた痕跡地名です)。


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境内を見た時、やはり、上色見からの分離ではないかと考えた理由は、摂社として愛宕神社(金山彦)と上山鳥菅原神社があった事です。

これは合祀ではないようですので、これらを奉斎する人々こそが、この地の先住者だったと根理解できたのでした

 どちらにしても、熊本県に熊野坐神社がこれほど確認できる事は、南朝方として熊野と繋がっていた事に起源を求めるべきか、それとも、熊本(八代から氷川の一帯)こそ雲南省昆明から海南島を経由して列島に移動して来た白族の本拠地であり、それが東に移動したのが忌部の讃岐、阿波であり、白川伯王 白山姫~大幡主の本拠地が西から東に移動したからと見るべきかは今後の課題です。


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塩釜宮(塩土翁)は大幡主、愛宕大権現は金山彦、金刀比羅宮は大山咋上=日吉=松尾=日枝神社…


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