586 別役神社祭礼の日の前に見た心惹かれる一社“孝元天皇を祀る高知県香美市香北町の聖神社”
20180308
太宰府地名研究会 古川 清久
別役神社の例大祭の前々日から前日に掛けてかなりの神社を見て廻ったのですが、夕方の哀愁もあってか心惹かれる神社を何社も見かけました。
まず、立派な道路の傍にありながら、進入路が全く未整備な隘路で、どう見ても良い扱いを受けなかった神社といった印象を持ったのでした(当然古代からの因縁を感じさせます)。
別役神社の例大祭に参加するためにB氏と待ち合わせしたのが香美市の「アンパンマン…」などという安直な箱物施設でしたが、その傍らに著名な大川美良布神社があり、その向かいの聖神社が非常に気になりました。
ご覧の通り付近には多くの神社があります。かなり狭い範囲ですが聖神社が3社拾えます。
しかし、これほど多くの神社が集中している場所も珍しいもので、何らかの宗教都市的な意味合いも持っているような気がします。
大山祗、三宝荒神に聖神社が幾つもありますので、何やら金山彦を中心とする物部系の強面の神様ばかりがおられる様な印象を持ちます。
まず、鳥居の神額は元より神名も由緒もほとんど見えない神社でしたが、かろうじて参拝殿内の軒下にようやく聖神社と書かれた神額がある事に気付きました。
「鎮守の森は今」竹内荘市 55pによれば、祭神は天照皇大神とされているのですが、これは明治期に行政に対して通りが良いものを祭神としたものとしか思えませんでした。が、…。
境内の一角には宮司家だか氏子総代だかの立派な墓が置かれていました 神紋は丸に三階松です
始めは、この祭神が何かは直ぐには見当が着きませんでした。
神殿の造りは階段と言い屋根と言い覆い屋と言い物部を思わせます
決め手を欠きますが、仮に丸に三階松の家紋を使う武内様が奉斎氏族とすれば多少は思い当たるものがあります。
確か鳥取県で聖神社に遭遇しましたが、祭神は国魂命、稲脊脛命、大日霊命…とされていました。
ニギハヤヒの可能性が高いようにも思えますが、それも違います。
しかし、故)百嶋由一郎氏は答を残しておられました。やはり、切掛けとなったのは「“宮司家だか氏子総代だかの立派な墓が置かれていました。神紋は丸に三階松です”」とした写真でした。
ようやくこの三階松の家紋を見て思い出しました。
故)百嶋先生は多くの聖神社についてもお調べになっていたのです。
百嶋由一郎「聖」神社神代系譜
欠史8代ともされる孝霊、孝元、開化ですが、学会の権威だった津田○○○は奈良近辺を盛んに探し回り、欠史8代については全く事績も痕跡もないので架空だろうとしてしまったのでした。
それは奈良こそが古代の中心地だったと思い込んだお国自慢、里自慢の早とちりでしかなかったのです。
ただの田舎の山の中の奈良如きに古代の中心地があるはずはないのであって、良く調べもせずに、奈良近辺だけを調べて事績が無いから全て架空とし、その後に続く追従学者どもは受け売り宜しく通説、定説としてしまったのでした。大陸や半島から遠く掛け離れた奈良みたいな山中の田舎が古代史の舞台であるなどとは…少なくとも神代史の舞台だったはずはないのです。この一事をもってしても邪馬台国近畿説などといったものが信用できないまやかしでしかない事は明らかなのですが、まるで愚か者ばかりが揃っているかのようです。実にお粗末な限りです。ただ、武内家と聖神社とには濃厚な関係があるのです。
故)百嶋先生の神代系譜をご覧ください。聖神社とは第8代孝元天皇を祀る神社だったのです。天照ではない事は言うまでもありません。
百嶋神社考古学に関する資料を必要とされる方は09062983254までご連絡ください