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588 九州王朝研究者の人的資質について

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588 九州王朝研究者の人的資質について

20180310

太宰府地名研究会 古川 清久


最近つくづく思うのですが、九州王朝を軸として古代史の研究に踏み込むとすれば、「古事記」「日本書紀」を金科玉条として力説する教育委員会や学芸員それに追従する既存の郷土史会や史談会といった既成勢力と学会通説の障害を回避しなければなりません。

 情けない事に、九州王朝論者の中にさえ村興し町興し、果ては世界遺産登録などと言った官製文化運動に尾を振るさもしい者までいるのですが、権力が千数百年の永きに亘って隠し続けて来た秘密や、封印されてきた古代史の扉を開けるには、行政権力の主張やその広報機関でしかないようなNHKなどの古代史番組などに対して寛容な姿勢を取るような思考では何の発見もできないのは道理であって、報酬はおろか何の見返りも援助も得られず、本質的には僅かな理解者しかいないし、多くの聴衆がえられるなどあり得ないといった孤独な境遇に耐えられる強靭な精神性が要求されるはずなのです。

 つまり、武士道に根差したようなストイックな性格を維持し続けられる人でなければ、調査研究などできないのであって、「教育委員会とか行政との関係は無視できない…」とか「学芸員とか通説の学者などの協力も得なければならない…」などといったさもしい姿勢ではいずれ権力に懐柔されるのがおちであって、どこにでも存在するNHK、大手マスコミ御推奨の聞いた風な話に墜ちてしまうのです。

 では、どうすべきなのでしょうか?


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勿論、国家による情報操作や洗脳など全く意識もされないようなただののんびりした古代史ファンもおられるかも知れません。九州王朝論どころか他愛もない邪馬台国九州説さえもが学会や考古学協会などから無視され敵視されることの背景には、発掘調査の予算を畿内で独占したいとの思惑がある事については以前にも何度か書いてきました(以下直近のブログ)。

 安本ナニガシの「邪馬台国東遷説」なども、始めは『「邪馬台国」はなかった』以降脚光を浴びて飛ぶ鳥を落とす勢いだった古田に擦り寄ったものの袖にされた腹いせに通説に寝返っただけのさもしい連中でしかなく、その背景にも権力に対して“私どもにも目を掛けて下さいとの薄汚い思いがあった”だろう事はある程度想像が着きそうです。


ひぼろぎ逍遥 スポット137 

緊急リポート全国の九州王朝論者に告ぐ! “予算に群がる古代史研究会には研究者はいない”

 ほか

 何故、そういう現象が起こっているかは、再度、上記のブログをお読み頂きたいと思います。

 ただ、そういった社会の仕組みとか経済的背景にも左右されない孤高の研究者の一群はいつの時代でも登場するものです。

 つまり、研究者とは普通の人とは異なった感性と情熱をもった群れない人々の事であり、何時の時代でも電信柱の様に存在するものなのです。

 そもそも、古代の真実とは絶えず隠されているのであって、57年光武帝の金印(漢委奴國王印)とは別の卑弥呼が貰った方の親魏倭王の金印でさえも、発掘後某所に保管されているものの、畿内とは異なる領域だった事から隠されているという噂もありますし、九州王朝系の「記」「紀」以前の文書も保管されているとの話も伝わってきます。

 これらは、ある筋からの未確認情報ではあるのですが、それなりに権威ある人々の組織からの情報であって無視する事はできないのです。

 つまり、権力は知っていて隠しているのであって、それを暴くには国家の転覆や崩壊や革命や外国勢力からの占領といったものを待つしかないのです。

 結局、権力が意図的に隠している古代が何であるかを科学的調査よって日々新たに発見されているなどといった平和な話などでは全く無いのです。

現在、 太宰府地名研究会は熊本、大分も含め、現地のフィールド・ワークを続けていますが、同会のHPには多くのblogがリンクされています。当方が運営するもの
588-2は、古代史、地名研究、民俗学を対象とする「ひぼろぎ逍遥」と神社研究に特化した「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)という二本立のblogによって月間2030本程度を配信し始めて5年目に入りましたが、既にネット上には1200本(6,0008,000p)程度の記事が踊っています。勿論、主要なテーマは九州王朝の探究ですが、現在、二本立てのblogだけでも日量1,0001,200件(=年間45万件)程度のアクセスがあり、当面は年間50万件を目標としています。それ以上に連携するサイトの規模を考えてもグループ全体としては凡そ年間150200万件を軽く超えているものと考えています。この点、質が全く異なるハイ・レベルこの上ない格調高い古田史学の会の「新古代学の扉」が凡そ年間10万件=累計150万件程度であることを考える時、我々の下世話なサイトもそれなりに健闘している事がお分かり頂けるでしょう。当方の場合その背骨を支えてきたものは大学時代から読み始めた古田武彦3部作でしたが、後期三部作も含め、徐々に非古田、反古田系の九州王朝論にも目を向けるようになり、今や、佃収、内倉武久、米田良三…から神代史研究の第一人者であった百嶋由一郎神社考古学に焦点を絞った九州王朝論をも取り込み、blog連携を全国化しつつあります(次葉参照)。現在、当方のHP「太宰府地名研究会」「ひぼろぎ逍遥」、「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)には25に近づくblogHPがリンクされています。このほとんどが多少の差こそあれ、久留米の高良大社に残された「高良玉垂宮神秘書」(コウラタマタレグウジンヒショ)をベースとした百嶋神代史研究の影響を受けており、今のところ中心は北部九州にありますが、北は青森~東関東、北関東、愛知、南は四国の高知県に百嶋九州王朝研究の立場から神社、古墳…を調べる文献史学派も含めた研究者、記録者、伝承回収者、映像収集家…のネット・ワークが急速に広がりつつあります。最低でも25人の研究者(只のブロガーじゃねいか…と言われそうですが、それでも恥をかかないようにと皆さん頑張って書かれておられるのです)が集まっておられるのであって、自らは何も調べようともせずに、他人の話を右から聴いて左に貫けて行くような只の「邪馬台国本」読みの愛好者ではないのです。勿論、最近スタートしたばかりの方もおられますし、休眠中だったものを復活させた方もおられます。しかし、最低、日量300件のアクセスでも年間では10万件にはなるのです。当然、全体では楽に年間150万件になると申し上げたのも極めて控えめな推計です。当方の二本立てと「常陸の国探検隊」に連動する「宮古の縁側日記」が先行していますが、この4本だけでも軽く7080万件のアクセスにはなるのですから、実際には年間200万件超えでも決しておかしくはないのです。ブロガーとは自分で調べ記録を残し後世に残そうとしているのですから、若者が目も向けない本を出したり、100部程度、多くても500部程の会報を出すよりも余程効率の良い媒体となっているのです。ところが、○○研究会とか○○地名研究会などと名乗っていても、所謂「邪馬台国本」を齧っているだけとか、研究会とか称する団体に入って仲間内の研究と称する講演でも学会通説派が作成したパンフレットをコメントなしで無批判に配り、インターネットから引っ張り出した資料の継ぎ接ぎによるコピーで熱弁を振るう仲間内の講演も右から聴いて左に貫け、貰った資料さえもいつしか置いた場所も分からなくなってしまうようなものを研究会と思うかどうかの問題でしかないのです。凡そこのような団体では10年を待たずして何の成果も残すことなく潰え去る事になるでしょう。ましてや、会計報告はやっても編集会議はおろか会報も出さないような団体では研究会でもなければ、外部にしか研究者もいない事になるのです。つまりカラオケ・クラブ同様の仲良しクラブの親睦会でしかないのです。今時本も出さずblogHPも持たない者とは研究者としては存在していない事と同義であり、研究者亡き研究会でしかないのです。そもそも九州王朝論とは国家権力が封印
588-3した禁断の研究であって真実であるが故に隠されたものなのです。そんなものを行政が認めるはずはないのです。

このような方々は行政主導の村興し町興し果ては世界遺産登録などといった学会通説派の尻押し団体に堕落するか、教育委員会や学芸員との連携を取り組むどこにでもある通説派の団体に成り下がり、その一部が“私にも講演させてください”とばかりに卑しくもさもしい擦り寄りを見せることになるでしょう。

しかしそれでも研究者とはいるものです。ただ、彼らは群れないからこそ研究者なのであって、孤立しているからこそ独自の研究や発見ができるのです。このように研究者とは、親睦会紛いの何々研究会の傘の中の裾野に産まれ成長するのではなくあたかも電信柱の様に散らばっているのです。してみると、その電信柱のネット・ワークにこそ価値があるのです。

ましてや、私達は百嶋由一郎という稀代の神社研究者の存在を知ったのですから、それを何とか後世に引き継ぎ、嘘で固められた「古事記」「日本書紀」、それを批判するとしてその延長上に組み立てられ登場した九州王朝論も通説の臍の緒を引き摺っている事に警鐘を鳴らすものです。

その意味で百嶋研究は本当の意味での九州王朝論に近接する強力なレーザー・メスなのかも知れません。

このため、どのような障害も抵抗も排除し後世に引き継ぐ任務まさにミッションを帯びているのです。

古田武彦を失い何の情念も持たない既存の九州王朝論では、いずれ、たあいもない「邪馬台国九州説」に後退し、ほどなく通説派に取り込まれていくことになってしまう事でしょう。

あくまでも、研究会とは研究者とそれをサポートする人々による団体なのであって、ただの「邪馬台国本」愛好会では一生を賭して切り開いた古田武彦九州王朝論を継承する事は決してできないのです。


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なお、「肥後翁のblog」」(百嶋テープおこし資料)民俗・古代史及び地名研究の愛好家 グループ・メンバーではありませんがご了解頂いています。百嶋神社考古学の拡散に役立っており非常に感謝しています。

青森~東関東に掛けて4件、愛知県1件、高知県1件、大阪府1件、大分県5件、福岡県10件の22

この外にも、鹿児島県、宮崎県、山梨県…も新規に参加する方向で検討しています。

現在、ネット上に継続して発信できない組織は事実上存在していない事と同義なのです。

将来を引き継ぐ人材を残す必要性からテーブルに着いた神代史研究会も残しますが、多くの研究者の連携を拡げ、独立した研究者のネット・ワークを創り現場に足を運んで自らの頭で考えるメンバーを集めたいと考えています。そのためには少々の雨も寒さも厭わぬ意志を持ったメンバーこそが必要になるのです。勿論、当会にはこのブロガーばかりではなく、著書を持つ人、準備中の人は元より、映像を記録する人、神社のパンフレットを集める人、伝承を書き留める人、blogは書かないものの、徹底してネット検索を行い裏取りを行う人、ただひたすら探訪を続ける人と多くのメンバーが連携しているのです。    関心をお持ちの方は09062983254まで


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