589 四国から山陰へ9車中泊10日の神社調査で見た最も印象深い一社
20180311
太宰府地名研究会 古川 清久
2月28日から3月9日に掛けて高知県香美市別役神社の例大祭(毎年3月3日)と将棋の王将戦第五局(島根県大田市国民宿舎さんべ荘)を目的とした神社調査半分将棋観戦半分往復1500キロの旅に出ました。
2月28日はフェリーで豊予海峡を横断したのですが、本物の春一番に遭遇し、70分の予定が90分となる大波に船酔いまで起こしたのですが、何とか佐賀関から三崎港に辿り着き、その夜は伊方原発に近い亀ヶ池温泉で休憩し、遅くまで休憩室で大風の中ブログを書いていました。
翌早朝から檮原街道を坂本竜馬とは逆向きに東の土佐を目指しました。
国境いには、最後の雪が残っていましたが、好天に恵まれ一路土佐を目指す事になりました。
ここで、高知の西の須崎市の手前辺りになるのですが、津野町で立派な神社を見掛けたために休憩も兼ねて参拝させて頂きました。
多くの神社を見てきましたが、その正面のたたずまいというものはそれだけで神社の顔を表します。
その気品、雰囲気、街並み、家並一切が魅力的であると言う事は、まだ何とか、地域経済、氏子組織が健在で、神社への尊崇の念が衰えていない事を意味しているようです。
それは、境内や社殿の清掃にまで認められますが、多くの神社の地域組織が解体、絶滅へと向かっている中、これほど元気な神社もなかなか見られなくなりました。
「鎮守の森は今」竹内荘市 1482 249p
これは二の鳥居
「鎮守の森は今」の竹内荘市 によれば三島神社は19社カウントされています。
言うまでもなく愛媛県はしまなみ海道の大三島の大山祗神社(我々はこれを熊襲の本体トルコ系匈奴と考えています)であることは言うまでもありません。
神殿入口の上部には三ツ矢風の神紋が打たれていました。これは山内家の家紋の変形と見て良いのでしょうか?
実は、この紋章もユダヤのメノラー=燭台のデフォルメなのですが、理解して頂けるでしょうか?
原型は左の丸に三つ柏紋でありユダヤの燭台である事がお分かり頂けるでしょう。
この三島神社に山内家の家紋が打たれている意味は土佐全域を支配した事の意味でしかありませんが、これが瀬戸内側ばかりではなく土佐にまで大山祗の神威が及んでいる事が分かればそれはそれで良いでしょう。
四国はこれからですのであまり迂闊な事は言えません。
大山祗は山の神として知られていますが、何故、瀬戸内海におられるのでしょうか、それについても徐々にお話しする事にしましょう。