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222  永牟田さんからのお尋ねにお答えして

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222  永牟田さんからのお尋ねにお答えして

20150626

久留米地名研究会 古川 清久

 最近、久留米地名研究会はかなり知られるようになってきているようです。

 それは、一般の読者や新聞、放送局、行政機関なども含め、問い合わせや意見の照会などが来るようになっているからです。

 そのような中、宮崎県にお住まいの永牟田(ナガムタ)という姓の方から問い合わせを受けました。

 内容は、“永牟田という姓はどのようなものか?”“牟田は湿地で良いのか?”“新田原:ニュータバルは丹生地名か?”…といった多少バラつきのある問い合わせだったのですが、要は自らの「永牟田姓」の起源に関する問い合わせだったようです。

電話を頂いた当時は、某役場の教育長との面会も控えていた事から、とりあえず簡単なお答えをして、再度、お話をする事にしました。

 “永牟田姓はそれほど多いものではない…”という認識はありましたが、いつも使わせて頂いている「姓名分布&ランキング」を見ると、


222-1

確かに全国でも21件と非常に少ない姓で、ほとんど、宮崎、鹿児島が発信源と言った分布を示していました(東京は集団就職かも知れませんし、明治期に進出した士族の可能性もあります)。

宮崎県が最大の5件となっていますが、その内の4件が宮崎市、残りも高原町に分布していました。

隣の鹿児島県も全体で4件と多くはないのですが、同県の分布を見ると、考えた通り宮崎に近い大隅半島にはなく、ほとんど薩摩川内市などにピークがあり、同地域に発信源があるという様な分布を示していました。“考えた通り”としたのは、○○牟田地名が甑島の茅牟田や薩摩川内市となった旧祁答院町に藺牟田(イムタ)温泉など拾える事を知っていた(温泉に入っていた)からでした。

 連絡してこられた永牟田さんのお話にも“元は高原町に住んでいた”とありましたし、その高原町の位置からも、この永牟田姓は川内川を遡上し東の宮崎県に入って行った人々の様に見えるのです。

 一般的にはサンプル=個体数(絶対数)が少ないものは決め手に掛けるとも言われそうです。確かに生物学的にはそうかも知れませんが、人名、姓氏となると人為的要素がほとんどで、まずは、人々、家族、氏族の動きをそのまま表しているはずであり、むしろ分かり易い事例の様に思えます。

 逆に、ファクターが多過ぎるものは、かえって特徴が見えてこないのです。

222-2

まず、「牟田」についてですが、「牟田」という概念や地名が、ほぼ、九州限定といった分布を示しています。これは、「牟田」姓の分布からある程度推定ができます。

それは姓名だからだろうと思われる方は、試しにヤフーでもグーグルでも「牟田」と「郵便番号」をスペースを入れダブル検索を試みて下さい。検索結果は最初の百件でも九州関係のものしか出てこないはずです。


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これは「牟田」姓の分布ですが牟田さんが九州西岸域の人である事は明瞭ですね

東日本の方などにはなかなかお分かりになりにくいと思いますが、まず、「永牟田」姓の「牟田」とは九州で湿地を意味します。

一般的に、湿地帯をどのように表現するかを考えると、多くの地方名があります。九州の「ムタ」(なぜか高千穂では「ニタ」)から東に向かって、日本海側の「ニタ」、瀬戸内海側の「ヌタ」、四国から東海の「フケ」…、そして、東日本の「ヤツ」へと繋がっているようです。また、九州では食べ物に「酢ヌタ」があります。この各々に、多少のバリエーションがあり、例えば関東の世田谷、千駄ヶ谷、渋谷の「ヤツ」についても「ヤ」「ヤッ」「ヤチ」「ヤト」…があるようです。

この他にも、ケミ、アクド、シロ、シラ、オゼ、ジル、ジッタ、フケ、ヤジッタ(栃木)など、かなり拾えるのですが、アイヌ語(東北)のニタッ、トマムも考えるべきでしょうか。あくまでも一般的に言えばと言う程度で、実際には多くの言葉、地名があるのかも知れません。一例ですが、ご紹介しておきます。


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「お電話の中ではアイヌ語でしょうか?」とも尋ねられました。

九州のアイヌ語地名については、「九州の先住民はアイヌ」根中 治 葦書房 (1983年刊)外がありますし、根中さんの説にしばらく嵌った事もあるため一概に否定するつもりはありませんが、「ムタ」が九州西岸起源の言葉であることは良いのではないかと思います。

アイヌ語かどうかの粗い検証はネットでもできますが、ご質問の根拠は、四万十川の「シマント」「シマムタ」が、アイヌ語の「とても美しい」と対応するという説があるからかと思います。

 「牟田口」(インパール作戦の牟田口蓮也…)という姓もありますが、「菅牟田」「茅牟田」「蒲牟田」「藺牟田」…と湿地と湿地に関係の深い植物との複合語の一つの永牟田(細長い湿地)で、牟田は地名の語尾としてとりあえずは理解できるのではないでしょうか。

 お電話を頂いたのは奥様からでしたので、ついでに、そちらの旧姓もお尋ねすると、「○○」との事でした。これについても非常に面白い話がありますが、ご迷惑をお掛けしますので公開する事を控えます。

 今回は、姓名と地名とが、どのような関係、配置になっているかを表す面白いケースであったことから公開する事にしました。

 この判断で良いかは責任持てませんが、さらに、ご両家の家紋や家伝などと併せ調べて行けば、ある程度の推定はできるのではないでしょうか?

 両方ともたまたま二百件前後の判断し易い姓であった事から分かり易かったのですが、そういつも上手く分かる場合ばかりがある訳ではないでしょう。


222-5

お話では元は高原町におられたとのことです。実はこの高原には極めて重要な神社として狭野神社があります。

 そして、その狭野神社の鎮座地が、「蒲牟田」(カマムタ:宮崎県西諸県郡 高原町蒲牟田117)なのです。

そもそも、初代神武天皇(カムヤマトイワレヒコ)は幼名をサノノミコトと言いました。

 まだ、疑っていますが、この神社はやはりにせ神武こと崇神ではなく本物の神武の神社のように思います。

 これについては、さらに驚く地名の意味があるのですが、それは、「ひぼろぎ逍遥」211「釜蓋」とは何か?“民俗学者 谷川健一の永尾地名から”⑧ で書いていますので、興味をお持ちの方はそちらと併せてお読み頂ければ面白いと思います。




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