744 宇佐の金屋の南姓は難升米の後裔氏族か?(下)“金屋地区は廻船業者の街”
20190327
太宰府地名研究会 古川 清久
金屋界隈 川上神社周辺グラフィティ
廻船業者は米だか麦だか豆だかを大量に詰め込み、ある種密閉した空間(船倉)で搬送を繰り返しますので、列島周辺では必ず発酵が始まり、腐りかけたものを何とか商品にできないかと考えいつしか倉庫業者、廻船業者は醸造業者になって行ったのです。
海水や塩はふんだんに確保できますし、大分でも臼杵のフンドーキン、フンドーダイの醤油メーカーを持ち出すまでもなく、多くの醸造業者が港湾に立地している事を考えれば良くお分かりになるでしょう。
ただ、普通は「金屋」と言う地名から鍛冶屋なり製鉄業の存在をを考えそうですがその痕跡を感じさせません。これについては別の地名起源を考えています。
驚かれるでしょうが、ひぼろぎ逍遥 695~698 田ノ浦 ①~④で取り上げているポリネシア語のタウルア、カウルア、タウルアヌイ、カウルアヌイ…というカタマラン:外洋性の大型アウトリガーカヌーのカウルアヌイ(カヌー)の寄港地としての鹿屋(カノヤ)や金屋(カナヤ)ではないかと考えています(元東海大学の茂在教授が提案した仮説です)。これについては佛教大学の黄 當時(「悲劇の好字」)も専門分野から再提案されている地名仮説に従いたいと考えています。
745 宇佐の金屋の南姓は難升米の後裔氏族か?(補足)に続く