597 2018年に頂いたある年賀状から「壊国」の日本を思う
597 2018年に頂いたある年賀状から「壊国」の日本を思う20180329太宰府地名研究会 古川 清久 個人的には年賀状、暑中見舞い共に一切出さない事にしています。ただ、賀状は頂きます。しかし、返状も出さない事にしていますので、それを分かった上で出される方しか年賀状は頂くこともありません。あらためて、アルゼンチン・タンゴをこよなく愛する者としてFELIZ AÑO NUEVO フェリース アーニョ...
View Articleスポット199(前) 赤村の超巨大古墳 ⑫ によって通説から離脱し始めた方々に出雲神話も再考を!
スポット199(前) 赤村の超巨大古墳 ⑫ によって通説から離脱し始めた方々に出雲神話も再考を!20180828太宰府地名研究会 古川 清久 先に、スポット151 赤村の超巨大古墳発見の背景について...
View Articleスポット199(後) 赤村の超巨大古墳 ⑫ によって通説から離脱し始めた方々に出雲神話も再考を!
スポット199(後) 赤村の超巨大古墳 ⑫ によって通説から離脱し始めた方々に出雲神話も再考を!20180828太宰府地名研究会 古川 清久朝倉郡では平地に田神社、山手に山神社(大山祗神社)が数多く分布しています。そこで、「福岡県神社誌」で朝倉郡内の神社を調べると60社近い田神社が拾えます。ところが、何故か一社を除き、残り全てが無格社に落とされているのです。...
View Article598 遠い古代に佐賀県東部と筑後から琵琶湖周辺に移動した人々について (縮刷版)
598 遠い古代に佐賀県東部と筑後から琵琶湖周辺に移動した人々について (縮刷版)20180331 太宰府地名研究会 古川 清久 今回の話は、これまでスポット版で数本書いてきたものの概略を分かり易くまとめたものです。後段の数本をお読み頂ければそれで済むのですが、さらに概略をまとめてみると鮮明に見えて来るのではないかと思うものです。事の発端は野波神社の発見でした。五年ほど前に太宰府地名研究会の中島...
View Article599 花に浮かぶ八幡神社 “山口県山口市阿東の徳佐神社”
599 花に浮かぶ八幡神社 “山口県山口市阿東の徳佐神社”20180403太宰府地名研究会 古川 清久 このところ北部九州から近江に移動した人々の具体的な姿を描く作業に追われています。既に、以下のブログを公開していますのでご覧になった方もおられるでしょう。ひぼろぎ逍遥(跡宮)489 神功皇后は佐賀県の脊振山中で産まれた! “宮原誠一の「神社見聞諜」からの転載”ひぼろぎ逍遥スポット144...
View Article600 花の舞鎮の先に鎮座する式内社 “京都府舞鶴市の阿良須神社”
600 花の舞鎮の先に鎮座する式内社 “京都府舞鶴市の阿良須神社”20180404 太宰府地名研究会 古川 清久前ブログ 599 花に浮かぶ八幡神社 “山口県山口市阿東の徳佐神社”ではこのように書きました。 このところ北部九州から近江に移動した人々の具体的な姿を描く作業に追われています。既に、以下のブログを公開していますのでご覧になった方もおられるでしょう。ひぼろぎ逍遥(跡宮)489...
View Articleスポット200(前) 赤村の超巨大古墳 ⑬ 神功皇后は佐賀県の三瀬村で産まれた
スポット200(前) 赤村の超巨大古墳 ⑬ 神功皇后は佐賀県の三瀬村で産まれた20180530 太宰府地名研究会 古川 清久先に、スポット151 赤村の超巨大古墳発見の背景について...
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スポット200(後) 赤村の超巨大古墳 ⑬ 神功皇后は佐賀県の三瀬村で産まれた20180530 太宰府地名研究会 古川 清久2.野波神社の吉田藤雄氏の神社案内板について吉田藤雄氏の神社案内板の最後の部分の1月7日の「ドンド焼き」の記述では、仲哀天皇は神功皇后と武内宿弥の間に生まれた子と思わせるような記述であり、仲哀天皇が野波の里で生まれたかのようなっている。...
View Articleスポット207(後) アクセスへの露骨な操作をしているとしか思えないアメーバ・ブログから離脱しま
スポット207(後) アクセスへの露骨な操作をしているとしか思えないアメーバ・ブログから離脱します!20181111 太宰府地名研究会 古川...
View Articleスポット207(前) アクセスへの露骨な操作をしているとしか思えないアメーバ・ブログから離脱しま
スポット207(前) アクセスへの露骨な操作をしているとしか思えないアメーバ・ブログから離脱します!20181111 太宰府地名研究会 古川 清久 現在、アメーバ・ブログでblogひぼろぎ逍遥を、桜ブログでblogひぼろぎ逍遥(跡宮)をと、二本立てで発信しています。...
View Article851 高千穂町の一角で神社を再建する運動が始まった “ひのみこ社のご由緒について”
851 高千穂町の一角で神社を再建する運動が始まった “ひのみこ社のご由緒について”20200906 太宰府地名研究会 古川 清久 全国の神社の建物が劣化し、それを支えるべきはずの氏子の組織までが壊滅しつつある今、宮崎県高千穂町の一角において、売りに出されていた神社の敷地と社殿を買い取り再建する運動が始まっています。...
View Articleスポット261 2021年夏の取り組みをご紹介します
スポット261 2021年夏の取り組みをご紹介します20210830太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久妙な肺炎ウイルスの世界的拡散によってこのウイルスの製造と蔓延に関わったと考えられるフランス、アメリカ、中国…自体も自ら大きな被害を被っている中、これを新たなビジネスとばかり様々な動きが認められるこの頃ですが、何時しか今夏も終わろうとしています。...
View Articleビアヘロ069 続)タシクルガン(石頭城、石城山)Ta Shi Ku Er
ビアヘロ069 続)タシクルガン(石頭城、石城山)Ta Shi Ku Er Gan Lu 20180728太宰府地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久現在は中国領ですが、アフガニスタン、パキスタンとの国境地帯、言いかえれば、アフガニスタンのカブール回廊入口の要衝にTa Shi Ku Er Gan...
View Articleビアヘロ079 人吉盆地に奥深く鎮座する熊野神社の正体を見たか?“熊本県あさぎり町岡留熊野坐神社
ビアヘロ079 人吉盆地に奥深く鎮座する熊野神社の正体を見たか?“熊本県あさぎり町岡留熊野坐神社”20181120 太宰府地名研究会 古川...
View Article邪馬壹国ってどこにあった? 正しい邪馬台国への理解の為に
邪馬壹国ってどこにあった?正しい邪馬台国への理解の為にはじめに 筆者はここ数年、鹿児島県大隅半島の歴史季刊誌「大隅」(大隅史談会発刊)に論考を掲載させていただいている。このところブログの執筆をさぼっていたので、この5月に発刊されたお「大隅」に掲載された「卑弥呼」「邪馬壹国」に関する論考を二回に分けて読者に届けたい。特に新しいことは書いていないが、まとまった形なので参考になれば幸いだ。...
View Article600 花の舞鎮の先に鎮座する式内社 “京都府舞鶴市の阿良須神社”
600 花の舞鎮の先に鎮座する式内社 “京都府舞鶴市の阿良須神社”20180404 太宰府地名研究会 古川 清久前ブログ 599 花に浮かぶ八幡神社 “山口県山口市阿東の徳佐神社”ではこのように書きました。 このところ北部九州から近江に移動した人々の具体的な姿を描く作業に追われています。既に、以下のブログを公開していますのでご覧になった方もおられるでしょう。ひぼろぎ逍遥(跡宮)489...
View Article742 宇佐の金屋の南姓は難升米の後裔氏族か?(上)“駅館川河口を見下ろす川上神社”
742 宇佐の金屋の南姓は難升米の後裔氏族か?(上)“駅館川河口を見下ろす川上神社”20190327太宰府地名研究会 古川 清久...
View Article743 宇佐の金屋の南姓は難升米の後裔氏族か?(中)“金屋の南さんとは何か”
743 宇佐の金屋の南姓は難升米の後裔氏族か?(中)“金屋の南さんとは何か”20190327 太宰府地名研究会 古川...
View Article744 宇佐の金屋の南姓は難升米の後裔氏族か?(下)“金屋地区は廻船業者の街”
744 宇佐の金屋の南姓は難升米の後裔氏族か?(下)“金屋地区は廻船業者の街”20190327太宰府地名研究会 古川 清久金屋界隈...
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