224 雨に濡れながらの6.27太宰府地名研究会トレッキンング “長田大塚古墳=継体陵説を探る”
「ひぼろぎ逍遥」「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)奥の院 共同掲載
20150627
久留米地名研究会 古川 清久
6月27日、梅雨の切れ間を狙った太宰府地名研究会トレッキング“長田大塚古墳=継体陵説を探る”を決行しました。
当日午前11時大分自動車道山田パーキング南の福岡県朝倉市杷木町の三連水車の里あさくら に30人ほどの人間が集まりました。
前日の天気予報(朝倉市)で降水確率10パーセントで最低でも昼からは曇りという事で、トレッキングに支障はないものと判断していましたが、逆に10時半ぐらいから雨が降り出し、結局、終了まで雨に打たれっぱなしのトレッキングとなってしまいました。
とりあえずは目と鼻の先の長田大塚古墳の見学を行い、三連水車の里あさくらで昼食を取る間に天気が回復するのを待つ事にしましたが、昼から雨足が多少収まったことから、結局、皆さんの続行の希望を入れ決行し、雨に打たれ続ける中でのトレッキングとなりました。
そもそも、地震、火山爆発同様、予測などできないものを予測できるとして金をせしめているのが、予報屋とその手の学者と役人どもなのですが、前日の天気予報は完全な丸外れで、“ざまあない”と言いたいところですが、逆に“そんなものを信じたおまえらこそざまあない“と言われるのがオチでしょう。
当然ながら、天気予報を信じる事自体が全くの間違いであり、どうかしているのですが、結論的には開始30分前に振り出したところで中止(延期)すべきだったのでしょう。
ともあれ、30人もの人が最後までトレッキングに参加され、皆さんの熱意に押し流されたといったところでした。
写真は、山田パーキング・エリアと農協の大型販売拠点である三連水車の里あさくらの間にある長田大塚古墳の遥拝所もしくは、古代の祭礼所が置かれた場所ではないかと思えるところです。
地名研究会の考古学関係の顧問である内倉武久氏が言われていましたが、古墳として登録はされているものの、まだ、測量もされていないことから図面も何もない、三段築成かも知れないが今のところは分からない、ただ、埼玉県行田市の稲荷山古墳に次ぐ大型円墳であることは間違いないようです。
何よりも、高速道路建設に際して宮内庁からストップが掛った事は重要で、どうやら私達も古代史の重要な部分に踏み込み始めた様です。
まず、あれほどの巨大円墳ですから、古代においても必ず祭礼が行われた場所があるはずなのです。
もしも祭礼を行うとすれば、皆さんだったらどこに場所を求めますか?
前方後円墳の場合は造り出しがあるのですが、ここは円墳なのです。
古代においても、朝から昼にかけて準備をして宴は夕方から夜に掛けて行われたはずです。
そう考えれば、分かるはずですが、日が陰ってもできるだけ永く明るさが得られる西側に祭りの場所が置かれるはずなのです。
そう考えて現地を見ると、その地にどのように考えても古代から続く豪族、それも相当上のクラスの名家と思える一族の墓地があるのです。
これについては、予め一族の御了解を得て入ったものではありませんし、先方とも全く接触していない事から軽々にはお話をできません。
しかも、磐井の乱の継体天皇に関わる一族と考えられる○○家のものであるだけに、以後は、はっきりした事が分かりご許可を得られるまで公開しないことに致します。
内々ではメンバー内部からも色々な意見が飛び出してきており、記録にとどめ、皆さんにもお知らせしたいいところなのですが、当面の間凍結する事とします。
そうした中、豊の国古代史研究会のN氏から、あれは円墳に見えるが前方後円墳ではないかとの情報が寄せられました。
とにかく長田大塚古墳との名称だけ付され、全く調査も手つかずの上に図面さえも作られていないのですから言わば凍結されているのです(ただしその意味は未盗掘であるとも古墳であるとも確定している訳ではありませんのでご注意を…古墳型地形でしかありません)。
車8台30人の雨中行軍でしたが、なんとか事故も無く5ポイントを巡るトレッキングは終わりました。