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238 山陰土産 ① 夏の終わりの長門、石見、出雲、因幡の神社実見 “長門市境川荒神社”

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 238 山陰土産 ① 夏の終わりの長門、石見、出雲、因幡の神社実見 “長門市境川荒神社”

20150828

久留米地名研究会 古川 清久


 

 「暑さ寒さも彼岸まで」とは良く言ったもので、標高450メートルの日田市天ケ瀬温泉五馬高原にある久留米地名研究会研修所でも日中の外気温が30℃を下回るようになってきました。

 朝方には20℃程度まで下がるようになって来ると、いつまでも避暑地に立て籠もっている必要も無くなり、そろそろフィールド・ワークに出たくなりました。

 研究会のスケジュールにもある程度の余裕ができたことから、ブログの取材のためにも日本海と山陰の寒村に足を伸ばしたくなり、研修所に居着いた野良猫にも五日間ほどの餌を置いて、島根県へと出かける事にしました。

 「山陰土産」という奇妙なタイトルにしたのは少し訳ありで、島崎藤村の随筆に「山陰土産」があります。

 志賀直哉の「城崎にて」は知られていますが、島崎藤村も鳥取の三朝温泉に宿を取り「山陰土産」と言う小編を書いています。
238-1 以前、三朝温泉の高級ホテル依山楼岩崎に一泊し、三朝館、
万翆楼、旅館大橋、斎木別館…と名だたる名旅館、名湯の梯子をした経験があるのですが、それだけでは余りにもつまらないと考え、戻ってきて、せめて「山陰土産」ぐらいは読んでおこうと探したのですが(恐らく熱心な藤村ファンとかも読んでいない方がほとんどではないでしょうか…)、普通の全集には全く搭載されておらず、苦労して探し出して読んでみたものの、あまりにも退屈な随筆で拍子抜けしたのでした。  

今考えれば全集に搭載されなかったのも理解できるような気がするのです。

御迷惑でしょうが、その二番煎じをやろうと言うのが今回の思い立ちです。


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売店「山陰土産」は、昭和2年、山陰・三朝温泉を舞台に書かれた、島崎藤村著の「山陰土産」から命名いたしました。この紀行文の一節に当時の様子が描写されており、当旅館、依山楼岩崎で過ごした話も描かれております。          ご迷惑かも知れませんが、同ホテルのHPから


 依山楼岩崎のような高級ホテルに泊まっていた頃を懐かしく思いますが、今は、自由気ままなホンダ・フィット・シャトルHBを頼りに車中泊で多くの神社を見て回る方が遥かに楽しい事に気付いているのです。

 昼食を済ませ、にっくき国土交通省、高速道路公団の売国奴どもにビタ銭一枚払いたくないと普通道(150円の関門トンネルは例外)でのんびり神社調査に出かけたのでした。

夕方6時半には山口県長門市の中心部に入っており、普通は長門湯本温泉の御湯か礼湯の共同浴場に入るのですが、今回は長門市の中心部から西5キロの黄波戸温泉交流センターに入り、そのまま車中泊する事にしました。既に外気温は25度前後で、涼しい風が吹いていましたので、暑さは全く気になりません。 

深川湾と言うか仙崎湾の西の山影のような場所で、露天風呂からは沖合に青海島の島影が浮かび、仙崎港、長門市の夜景が映えていました。


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翌朝、8時にはある神社に足を踏み入れていました。

 長門市を貫く国道191号線の黄波戸温泉入口の道を挟んだ反対側に鎮座しているのが荒神社です。

 山陰に多い荒神神社ですが、実はカグツチの神金山彦の一族を祀る神社である事はほとんど知られていません。


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社殿は最近改築されたようで小さいものの立派なものでした。

黄波戸は北西風が当たらぬ日本海側では天然の良港であり、海士族が住み着いた所である事は明らかですが、所在地が旧日置町、現長門市日置上にあたります。

この荒神社が日置町だったかまでは確認していませんが(カーナビを詳しく見れば良かったのですが…)、今のところ境川と言う社名からして、旧日置町と旧長門市の日置側だったと考えています。

概して山陰の神社はどこに行っても祭神が表示されていない事が多く、おらずほとんど顔が見えないのですが、ここも、荒神社という社名以外手掛かりがないのです。

その前に、朝一番嬉しく感じた事がありました。

それは、参拝道の階段が古い束石をそのまま再利用し修復されていた事です。

社殿の改築はやむを得ないとしても、コンクリートで固めた施工が目立つ中、きちんと古材を利用し昔の雰囲気がそのまま残されていた事でした。

石が一番強い!と言ったのは司馬遼太郎でしたが、まさにその通りで、風雨にも地震にも道路の振動にも一番強いのは実は不規則な形状の石を並べた施工方法なのです。

もちろん、その背後には石を使う技術があり、裏繰りをきちんとやれる技術があるのです。

一見、強固に見えるコンクリートは、酸性雨にも、ひび割れにも、凍結にも弱く、しばらくすれば割れが入り、数十年を待たずして崩れてしまうのです。

まさに、今だに赤い石州瓦を使う和風建築が多数派を占める山陰と感心したばかりです。


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真新しい石段修復工事の名残

 

まず、カグツチの神=金山彦としましたが、但馬から周防、長門まで山陰にはかなりの数の三宝荒神、荒神神社が数えられます。

一般的に、荒神は神社庁が管理しない(神社扱いしない)神仏混淆の神社が多いとされています。

 しかし、熊本市西里の三宝荒神のように、神社庁の管理(庇護)を受けないからこそ流行っている神社もあり、単なる民間信仰と馬鹿に出来ない部分もあるのです。

 さて、我が宮地嶽神社にも三宝荒神がありますが、この祭神についても百嶋先生はコメントを残しておられました。

 以下をご覧ください。写真は本物中の本物、宮崎の白髭神社の祭神です。荒神様とはカグツチ神=金山彦の事なのです。実は、日置、疋野…という地名からも金山彦の御一族の本願地と言えるのですが、少なくとも三宝荒神とは、金山彦とスサノウの孫と大幡主の孫の大山咋神=佐田大神夫婦の事になるのです。


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