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239 山陰土産 ② 夏の終わりの長門、石見、出雲、因幡の神社実見 “阿武町惣郷の御山神社”

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239 山陰土産 ② 夏の終わりの長門、石見、出雲、因幡の神社実見 “阿武町惣郷の御山神社”

20150828

久留米地名研究会 古川 清久

 

過去何度となく入っている山陰地方ですが、長い海岸線を踏破する事に追われ、なかなか山間深部に入る事が出来ない事から、最近といってもここ五年程度の事ですが、極力枝葉の山間地域に入る事に努めています。

長門から萩に掛けての海岸線もコンクリートが放り込まれていない地域が比較的多く、まだ気分が悪くならないで走れる貴重な沿岸域ですが、そうは言っても、集落周辺を中心に大量のコンクリート構造物が不必要に放り込まれているのが現状です。

国道191号線と山陰本線(と言っても単線です)が並走するこの地域は人口も少なく、信号など皆無のため快適なドライブができるのです。

萩を過ぎ阿武町に入ると、駅名も奈古=ナゴ、木与=キヨ、宇田郷=ウタ(ごう)、須佐=スサ…と、海士族が付した地名と言うより符合でしかない二音地名が続きます。

 その宇田郷を過ぎ惣(ソウ)郷に入ると、尾無(オナシ)という妙な地名の海岸集落に出くわします。

 カーナビとは有難いもので、走っていると神宮山御山神社という組合せを発見し、これは尋常ではないと、急いで引き返すことにしました。

 何故とならば、神宮という社号は、余程の大社でなければ付される事はない訳で、現在、神宮を名乗れるものは数社しかない事でも明らかでしょう。

 もっとも、それは九州王朝を葬った近畿大和朝廷が仕組んだことで、宇佐神宮であっても、本来は九州王朝の神宮であった事を見逃してはならないのです。

 しかし、滅んだ九州王朝の神宮も移動しているのであり、それが、変質したとは言え、大江山を始めとして伊勢神宮に投影されているのです。

 しかし、その移動にも中継地はあるはずで、九州王朝は但馬に避退したというテーマで長文を書いてはいるのですが、まだ、公開には至っていません(来年には何とか実現すると思っていますが…)。

 しかし、「この辺鄙な…」と言えば失礼ですが、僻陬の地に何故このようなどえらい名の神社、神体山が鎮座しているのか驚くばかりです。

 今回は、その驚きだけで書いているため、周辺調査はこれからになります。

 まずは、ご覧いただきましょう。


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非常に手入れの行き届いた御山神社の参道です


 この神社が九州に縁のある神社である事は、この鳥居に掛けられた三つの蛇型の下がりがあるのを見ただけでも直ぐに分かります。

 相当古い時代、この地に北部九州のどこからか移動した人々によってこの神社が祀られた事だけは間違いないでしょう。

 今回の神社調査でも、最も驚いた一社でした。

今後とも何回か足を運ぶことになりそうな気がしています。

 境内には大きな神楽殿が置かれていますので、早くも、来年の神楽の時期に訪問し直に地元の方にお話をお聴きしたいと思っています。

 国道から数百メートル登ると、直ぐに鳥居が見えてきました。


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同社参拝殿(上)、同社神殿(下)


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驚いたのは、神殿に付された五七の桐の神紋でした。

 既に、自らの経験からも、百嶋由一郎先生の話からも確信しているのですが、何度もお話して来たように、五七の桐は第9代開化天皇の、三五の桐はお妃の(仲哀は短期間でしかない)神紋だからです。

 ただ、注意すべきは、この神紋は、頂いているものであり、直接、両神が祀られている場合と、その傘下で別の神霊が祀られている場合があり、軽々には結論を出すことはできません。

 今後とも、丁寧にお話をお聴きしたいと考えているところです。



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どう見ても五七の桐の神紋ですね


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神殿には五所神社とも、まさか御所のカモフラージュではないでしょうね…


カーナビ検索 山口県阿武町大字惣郷93番地 堀宮司様


どう見ても、7世紀前後に北部九州から入った人々が奉祭った神社に思えるのですが、神殿内部を見せて頂ければ多少見当が着くかも知れません。

 この惣郷、尾無の付近には弁天崎(弁天様は勿論宗像大社の市杵島姫ですね)、黒崎岬(これも宗像周辺にも、北九州の黒崎窯業の黒崎でも)、 さらに、一つ西の宇田郷には平原(これがヒラバルと呼ばれているなら凄いのですが、バル地名は九州限定ですのでそううまくは行かないでしょう)という地名 が、その沖には姫島という小島(岩礁)が浮かんでいます。

 国東半島沖の姫島かそれとも糸島半島沖の姫島かは判別できませんが、いずれにせよ九州の地名が直ぐに拾えます。東の須佐まで広げれば、沖ノ島、地ノ島という無人島(岩礁)が浮かんでいます。

 これが、北九州市の沖に浮かぶ島の名であることは北部九州の方なら直ぐにお分かりになるでしょう。

 “同じ地名は全国に幾らもある…”と反論される方は多々おられますが、これだけ多くの地名が対応するという事は、組織的移動が行われた証拠であり、50世代ぐらい前まで遡る御先祖様は九州から新天地を求めておいでになったのではないでしょうか?


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参拝殿には三五の桐が…これは神功皇后の神紋であることは既に書きました


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あまりに立派な参道のため再度、正面から見て頂きます


お盆過ぎに訪問させて頂いたからかも知れませんが、立派に手入れされた参道は、それだけで、集落のお心持ちとお力とが垣間見られる気がします。

 始めてお読みの方はびっくりされると思いますが、久留米の高良大社の「高良玉垂宮神秘書」には、神功皇后と高良玉垂命とは夫婦であるとはっきり書かれています。

 詳しくお知りになりたい方は、まず、「ひぼろぎ逍遥」(跡宮)の方で、宮地嶽神社に関して書いた12本のブログなどをお読みください。


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