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240 山陰土産 ③ 夏の終わりの長門、石見、出雲、因幡の神社実見 “佐毘賣山神社”

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240 山陰土産 ③ 夏の終わりの長門、石見、出雲、因幡の神社実見 “佐毘賣山神社”

20150828

久留米地名研究会 古川 清久


惣郷と尾無で祀られる御山神社発見の興奮もさめやらぬまま、須佐を抜け、萩を抜け山陰自動車道の無料区間を利用し一気に益田まで移動しました。

いよいよ、島根県でも石見の山間部を中心に神社を見ることにします。

海岸部の神社は粗方見ていますが、まだまだ見ていない神社がゴロゴロ転がっています。

益田の市街地で、山口から入って来た幹線国道の9号線は海岸線を走り浜田に向かいますが、長門から東へと向かう191号線は、逆に山間部に入って行きます。

とりあえず目的地を決めず美都温泉方面に向かい気になった所を随時潰して行くことにします。

191号線を走っていると、益田の市街地から5キロも走った辺りで、佐毘賣山神社の看板が目に入りました。しかも、カーナビを見れば背後の神体山と思しき山の名は比礼振山で、その中腹に同社は鎮座しているようなのです。

近年、佐賀県の唐津市の鏡山の東に比礼振山があり、松浦佐代姫と領巾山の話があることは知られています。


松浦佐用姫(まつらさよひめ)は、現在の唐津市厳木町にいたとされる豪族の娘。単に佐用姫(さよひめ)とも呼ばれる。弁財天のモデルであり、日本全国にある同様な伝説の本家である。

伝承[編集]

537新羅に出征するためこの地を訪れた大伴狭手彦と佐用姫は恋仲となったが、ついに出征のため別れる日が訪れた。佐用姫は鏡山の頂上から領巾(ひれ)を振りながら舟を見送っていたが、別離に耐えられなくなり舟を追って呼子まで行き、加部島で七日七晩泣きはらした末に石になってしまった、という言い伝えがある。万葉集には、この伝説に因んで詠まれた山上憶良の和歌が収録されている。

また肥前国風土記には、同様に狭手彦(さでひこ)と領巾を振りながら別れた弟日姫子(おとひめこ)という娘の話が収録されている。こちらでは、別れた後、狭手彦によく似た男が家に通うようになり、これ が沼の蛇の化身であると正体がわかると沼に引き入れられ死んでしまうという話になっているが、この弟日姫子を佐用姫と同一視し、もう一つの佐用姫伝説とさ れることもある。

201508291630)ウィキペディアによる


万葉集にも佐用姫は登場します。


海原の沖ゆく舟を帰れとか領巾(ヒレ)振らしけむ 松浦(マツラ)佐用姫 (万葉集 巻5874


「弁天様のモデル」とウィキペディア氏も書いていますが、百嶋神社考古学では、佐代姫は時代も含め置き換えられた話で、実は宗像大社の市杵島姫を佐代姫とします。

兵庫県姫路市の北西に鎮座する旧佐用町の佐用姫も実は市杵島姫なのです。


佐用都比賣神社さよつひめじんじゃ 兵庫県佐用郡佐用町本位田甲261 

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式内社 播磨國佐用郡 佐用都比賣神社 旧県社
御祭神 
市杵嶋姫命(狭依毘売命)配祀 素盞嗚尊大國主命誉田別命天児屋根命

兵庫県の佐用町にある。通称は、佐用姫さん。
式内社・佐用都比賣神社に比定されている古社


敬愛するHP「玄松子」による


まずは、社殿をご覧ください。


240-2


始めは比礼振山から播磨の佐用神社と市杵島姫を繋ぐものと考えたのですが、大きな間違いでした。

恐らく天台系の山岳修験が関わっている事は蔵王権現の名からも明らかですが、佐毘賣とは、三姫の事で、金山姫、埴山姫、木花咲耶姫の三柱の意味だったのです。

製鉄の国、石見、出雲、因幡、伯耆の事ですから当然ではありますが、何でも八幡神のような権力に尾を振る神社が多い中、歴史の化石の様な、燻銀のような鋭い神社と言うか秘密結社的神社を発見したようです。


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「古事記」で波邇夜須毘売神、「日本書紀」で埴山姫(ハニヤマヒメ)、埴山媛、埴安神(ハニヤスノカミ)と記されていることから、埴山姫とは大山祇のお妃の草野姫の事で良いでしょう

木花咲耶姫も大山祇の次女で大国主の妹になります。

問題は金山姫です。百嶋神代最終系譜によれば、金山彦は埴安媛も越智ノ姫もお妃にされていますので、判別が難しくなります

ただ、埴安媛では重複しますので、大山祇の妹の越智ノ姫で良いのではないでしょうか。

して見ると、製鉄を絡めて越智族、白族、瀛族がガッチリスクラムを組んだ初期の九州王朝を支えた有力民族(氏族)集団を表現する神社であることが分かるのです。


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蔵王権現とも称している事から、その点にも触れておきましょう。


さて、イスラエルの神様は、まず、愛宕地蔵:京都、奈良蔵王権現:奈良・吉野、秋葉権現:浜松、そして八天宮、こういう修験道は全部イスラエル系が握っています。そのようなところにはダビデ王の星が残っています。


牛島稔太のHP神社伝承から見る古代史 百嶋由一郎先生の世界
もう一つの神々の系譜より


始めは比礼振山から播磨の佐用神社と市 杵島姫を繋ぐものと考えたのですが、大きな間違いでした。と前述しましたが、この一帯には、比礼振という地名ばかりではなく、朝倉集落(朝倉市)があり、 四ツ山(荒尾市にも)城、飯盛山(福岡市にも)…といった地名が拾え、その意味でも九州からの植民、避退、移住…を考える余地が十分あるでしょう。


240-5


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