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189 阿蘇の大蛇伝説と祖母山 “大分県竹田市の穴森神社”

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189 阿蘇の大蛇伝説と祖母山 “大分県竹田市の穴森神社”

20150325


久留米地名研究会 古川 清久

 久留米地名研究会の日田市天ケ瀬温泉五馬高原研修所に居続けブログを書く毎日が続くと、さすがに内陸部から離れ海を見たくなります。と、ここまでは前ブログ188 佐伯市釜江楠本浦の王子神社とは何か?

と同じですが、その前に、高峰「祖母山」の裾野のパワー・スポット中のパワー・スポット、竹田市の穴森神社に向かいました。 

今回は当方の写真撮影と同行者のN氏に見せるのが主たる目的でしたが、既に過去三度ほど訪れています。

この神社が重要なのは、祖母山という山の名前に関わる事、阿蘇の大神一族の出自の根拠とされる阿蘇大蛇伝説の舞台だからです。



189-1

竹田市神原穴森神社

189-2

上記の「平家物語」云々は(260)「しずの緒環(おだまき)」の事ですので関心をお持ちの方はお読みください。当方はCDで一度聴いただけです。



ル-ツ大蛇伝説   テーマ日本人である事 2012-08-09 09:42:58

九州で英雄視され12世紀末頃の源平争乱期の武将である。中世豊後国大野荘緒方郷を拠点として活躍した。源頼朝に追われた源義経を迎える為に岡城を城築する。難攻不落の城でもある。(豊薩合戦)で志賀親次が島津義弘の大軍を撃退した。滝廉太郎は子供の頃に岡城で良く遊び荒城の月を作った。緒方三郎惟栄とは大神氏(おおみわ)の流れを引き豊後国の37氏の姓祖である。源平盛衰気・平家物語・・両方の大太(惟基の幼名)より五代の孫とされる。

大蛇伝説で大神惟基が嫗嶽伝説の神孫として生まれる。緒方惟栄は、その孫です。では大蛇伝説とは、いかなるものか紹介いたしましょう。大神豪族の姫片山里に、たいそう綺麗な娘がおり親からは身分の高い位のつりあう男でないと結婚させないと言われ虫がつかぬように監視されておった。ところがいつの頃からか何処誰とも知れぬ素性の知れぬ不思議な男が夜な夜な娘の元に通い詰めるようになり、やがて娘は心と身体をゆるして・・・しもうたそうな。のちのことは~誰にでもわかるように身ごもってしもうた。母に分る事になり母は娘に説い尋ねると名前も何も知らずしまい。すべて闇であり夢の中朝になると気ずかないうちに姿は何処にも見えない。と語った。母は娘に言い放つ男が帰るときに針で緒環(おだまき)を通し男の襟に刺しなさい。と教えた。娘は言われた通り・・その夜・・母の教えに従い針を刺した・男は何も知らずに帰った。跡をたどると日向国嫗岳の大きな岩屋の中に糸が続いていた岩屋の奥から異様な唸る声が辺りに響き渡っていた。娘は姿を見せてくれと言うが・・中より、わしは人にわ合わぬ、見ない方がよい。お願いです一目でいいのでと娘が叫び男は知らぬぞ声を響かせる。
 声の主が姿を見せた嫗岳の主と思われる巨大な大蛇で喉に針が刺さりいまにも息絶えようとして入る状態で言い放った腹の子は男の子じゃ刀を持てば、九州九国二島の大将とになるぞその子に並ぶものはいない。
 子孫は末代まで守ってあげよう。(息絶えた)お告げのとおり・・男の子が生まれ大太と名付け高千穂大明神となった。その大太五大の孫が惟栄であり、恐ろしいとされる末裔である緒方三郎惟栄は人望ありこの時代の中心的勢力で源平合戦等の功労者であります。
阿蘇千里のブログ 「阿蘇千里のブログ」から




189-2

奥行き二百メートルはある巨大洞穴入口の入口(抜けた人を数人知っています)



大神(おおが)一族について話してくれないかという依頼を受けましたので、ちょっと話してみます。一番古い大神、大枝(おおえ)、大家(おおえ)この二つはいずれも大江(おおえ)に当て字が変わります。  

瀬高の大江に古い管公のお宮がある。そして瀬高の大江はどこにあるかというと太神(おおが)の内の大江にあります。だから、太神(おおが)のほうがスケールが大きくなっている。大神(おおが)はこれも太神(おおが)ですよ。のちのち、阿蘇の暴れん坊たちが、大蛇の一族たちが、暴れたときの総称が大神(おおが)一族として暴れたのです。

従って、現在では大神(おおが)が有名になっています。そして、これを大神(おおみわ)なんて読んだら価値ががたんと下がりますよ。オオミワと勝手に呼んだのはエビスさんです。自分たちの格式ががたんと低いもんだから、エビスさんの最初の格式は曹長、軍曹、伍長、要するに尉官、佐官、将官ではないんです。それぐらい低かったんです。後で出世なさいましたけれども最初は低かった。そういうことで、とにかく大神(おおがと)読んだら、阿蘇の暴れん坊を連想なさったら○、オオミワと読んだら、これは後の話、エビスを中心とした後の話、だから、オオミワなんていわないで大神(おおが)とお読みになったらいい。これがいわゆる阿蘇を中心とした暴れん坊集団の総称です。そして、その中心人物はだれか、さっき書きました三つ鱗、イツクシマ姫です。

決して、イツクシマ姫は自分から望んで中心人物になりたかったわけではありません。

あくまでも勝手に下っ端の連中がイツクシマ姫を担ぎ出して、大神一族と名乗ったんです。大神一族は九州を制覇しましたので、恵良、賀来とか、各地の地名をとって大神一族が分布してます。

1000年昔を頭に描いてください。満州から蒙古にかけて相当の広域を支配した遼という国がありました。現在もたくさん残っていますね、遼の国が中国には、遼東半島、遼寧省、それから蒙古にもたくさんございます。赤峰(せきほう)、あかいみね、いっぱい遼の支配地があちこちになります。この遼の皇族、貴族の名前が大賀(おおが)です。だから、大賀(おおが)は遼・蒙古系です。そして大神(おおが)は阿蘇の暴れん坊系です。『が』を一字間違いますと、阿蘇の暴れん坊系と遼の国とまったく離れたところにすっ飛んでしまいます。

それで、福岡に、臨済宗の栄西(ようさい)が源の頼朝の応援で建てられた聖福寺(しょうふくじ)の裏に、大賀宗九・大賀宗伯という親子の宗伯が玄住庵を建立した。この大賀(おおが)は賀正の賀で、まがいもなく蒙古()系統です。大賀の本家に仲人をやりまして、嫁は小野の東風の子孫です。小野の東風の小野の場合は本当はヘブライ人なんですが、東風のほうには天皇の血が入っています。

牛島稔太のHPより


189-4 パワー・スポット巡りなどという金の掛からないある種健康的な小規模探検が流行っているようですが、ほほえましく思いながら見ています。

 このような中から多少とも本気で歴史や古代史を考える人が出てくれば良い訳ですから目くじら立てる必要もないでしょう。

 勿論、昔の感覚で言えば、「何の金にもならない無駄な事」「ちゃんと働け」と言う感覚も我々の世代には理解できるのですが、その分耐えがたい糞面白くも無い労働で精神をすり減らしているのですからそれくらいは息抜きとして許すべきではないでしょうか。

 ただ、どう考えても大したものとは言えない所もかなりあることから、少しは納得できる所をお知らせしたつもりです。

 それはともかくとして、このパワー・スポットは「平家物語」にも名を馳せた緒方三郎惟栄(コレヨシ)の話の元となった場所で、それなりの凄みのあるところです(皮靴やサンダルでは絶対無理)。


189-5 一時期、大神(オオガ)氏は宇佐神宮の創起(高良大社から実権を奪うのは八世紀)に関わった
大神比義に始まる一族で、彼らには古くから大蛇伝説が存在していたのでしょう。

 彼らは宗像大社の一族を担ぎ大きな力を持ち、一時、義経を担いで頼朝と戦う事も考え、平家方についていた宇佐神宮大宮司家の宇佐氏と対立し宇佐神宮焼き討ちなどを行ってもいるのです。

 その力の源泉の一つにあるのがこの大蛇伝説であり、彼らは大蛇の鱗を意味する三つ鱗をシンボルとしていました(戦国期は疎いので解りませんが、北条氏も同族なのでしょうか?)。

 さて、百嶋先生は、結局、大神一族はモンゴル系とされているのでしょうか?大賀は遼の一族で蒙古系だが、大神は違うと考えておられたのでしょうか?

 聴きそこなっていて判然としませんが、はっきりとトルコ系匈奴と言われた大山祗の一族(愛媛大三島)の一派である河野氏も「三つ鱗」を使いますし、多分北条氏もその流れを汲むのではないでしょうか?

 事実、愛媛には河野水軍の根拠地が在り、北条市まであったのですから(現在は松山市に編入)。

 ついでに、ウインブルドン化(本国の選手は一向に勝てない)したと言われる大相撲の横綱白鳳も三つ鱗紋にご執心という話を聴いた事があります。調べて見るといとも簡単にそれらしき答えが得られました。


189-6 横綱・白鵬の紋所が三つ鱗なのをご存知だろうか。3 2 2008 2 Comments

実はこの紋は、13世紀にモンゴル来襲を撃退した北条時宗を輩出した北条家の家紋として知られている。ところが、その紋所をモンゴル出身の横綱が身に付けているということ、これは如何に。俺なりに二つほど邪推してみた。一つは横綱になったことで、日本を制圧したことの印として元寇の復讐を果し、念願の相手の大将の家紋を奪い取ったという説。(実際に戦国時代には、竜造寺氏が戦に勝った、大友氏の杏葉紋を奪ったという事例がある)もう一つは、白鵬がこの三つ鱗を身に付けることによって、日本側に着き、もう一人の横綱・朝青龍を迎え撃つ覚悟の印としたという説だ。」 

 竜造寺の家紋の話はその通りですが、やはり、モンゴル本国の実家(そう言うかは不明)の家紋が三ツ鱗なのでしょう。また、弁財天は三ツ鱗紋を使います。これも大神比義の時代に担いだ宗像の市杵島姫が弁財天とされるからです。大相撲の白鳳が三ツ鱗とは面白い話です。先生は蒙古高原にも何度も足を運ばれていました。やはり、百嶋先生のフィールド・ワークと知識には頭が下がる思いがします。
















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