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256 再び山陰土産 ④ 秋本番、石見、周防の神社探訪から! “石見周防国境の深谷峡谷の奥”

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256 再び山陰土産 ④ 秋本番、石見、周防の神社探訪から! “石見周防国境の深谷峡谷の奥”

20151008

久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久


ご覧の写真は向かって左が島根県吉鹿町(旧六日市町)、右が山口県岩国市(旧錦町)という石見と周防の国境(くにざかい)を成す大峡谷ですが、県道16号六日市錦線の深谷大橋の上から深谷川上流を写したものです。


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以前から何度となく足を運び、この文句なしの秘境を憧れの目で見続けてきましたが、今回は時間的にも余裕があったことから、源流部に向けて足を運ぶことにしました。

 まず、境界は山の尾根を持って形成される事が多いのですが、熊本、宮崎の県境に五ヶ瀬川の大峡谷があるように峡谷が境界とされることもかなりあるようです。

 しかし、この大峡谷の奥にも集落があるのです。

 民俗学に思いを寄せる学徒の一人として、人の住まないただの自然、人跡未踏地というものは仮に清浄であり美しかったとしても興味がありません。

 人が自然に育まれ、人が自然を守り敬い共存できている環境こそが美しいのであって、間違ってもエベレストの頂上などを美しいと考えるべきではないのです。

 そこが、誰ひとりとして人の住まない美しい自然の景観を好みゴミを捨てて帰ってくる登山家という不見識な人々を好まないという自分の心の基層を形成しているのかも知れません。

 本来、山とは神と同様に遠避けて崇め、遠避けて敬うべきものなのです。

 ただし、神社調査を続けている理由は、偽りの歴史の元となっている偽りの神が横行している事から、それを探り、正し、崇め敬うために近づいているのですが、それについてだけは一時的にお許しを得たいと思います。

 その意味で、この大峡谷の奥に息づく小集落を確認する機会を得た事は人生の宝とも言うべきものでした。

 今回、改めて確信を深めた事の一つに川の位置がありました。


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たとえどんなに水量の多い大きな川が流れていたとしても、大きく深い川は利用し難く集落は形成されず、逆に、たとえどんなに人里離れた山奥であっても、自らの土地に水を引き込みやすい川がある場所にこそ集落ができるという事が確認できたのでした。


この集落は、金山谷と名付けられています。当然ながら、銅か鉄か採られているから付く地名ですから、その面でも探っていると、両県を跨ぐ橋に驚くべき名が付けられていたのです。

 「甲羅ガ谷橋」です。

 民俗学の感覚で訪問していたら、「甲羅」というとんでもない高貴な地名に遭遇した事から、急遽、古代史探訪に切り替えようかと思ったほどでした。

  ただ、あまりにも唐突だったため、島根県側の方にお尋ねすると、このプレートを作られたのは山口県側の家の御主人とかで、さっそくお尋ねすると、この集落 は古くは蓑傘の蓑を作っていたことから、甲羅(カッパの甲羅)の意味で「甲羅ガ谷」と言うとのお話であり、納得し安心したのでした。


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仲良しになったYさんから色々お話を聴いていると、「この小五郎山には銅山があって五つの坑道穴が残っている。」「教育委員会にも言ったが誰も調べに来ない…」今なら歩いて案内できるのだが、もうしばらくしたら歳も上がるし案内もできなくなる…とのお考えのようでした。

 じっさいのところ、今の教育委員会の職員は、高級を求めて公務員になることが目的で入って来た人間が大半で、学術研究に関心を持って入って来た専門家などいないに等しく、テーマを持って研究を続けている人などほとんどいないのが実情です。

これが九州ならば、当方の研究会には地質や文献や穴掘り考古学、民俗、言語学に明るい人を直ぐに動員できるのですが、あまりにも遠いため、おいそれとは対応できません。

教育委員会や文化課などといったところには全く期待ができないため、山口県、島根県、広島県の心ある民間研究者の方でこのご老人の願いを聴いて上げられる方がおられれば直接ご連絡して頂きたいと思うものです。橋のたもとの家にお住まいのYさんです。



小五郎山登山道入り口にはYさんが多くの鉱石の欠片や金糞などをいっぱいおいておられました


 また、近いうちに訪問したいとは思っていますが、自分は民俗学、地名研究、神社研究の者でしかなく、直接お役に立てない事から、昔の風俗、この集落の成り立ち、起源などを回収したいと考えています。

 この鉱山の存在から鉱山集落の可能性も出てきた訳で、国境の鉱山集落とは少し奇妙ですが、拾える話は今のうちに拾っておくしかないでしょう。

 従って、「大きく深い川は利用し難く、たとえ山奥でもこれぐらいの水を引きやすい場所に集落ができるのです」とした事に誤りはないと考えますが、鉱山労働者向けの米の生産から始った可能性もありそうで、まさに金山谷という地名の裏取りができた思いがしています。


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お話をお聴きしたご主人は、しばらく前まで広島で林業関係にお勤めだったようで、今は、農業をしながら、蜂蜜を作り、静かな秘境で余世を過ごしておられます。

スーパーなどでは格安の中国産蜂蜜が売られていますが、水飴を硫酸で加工したようなデタラメナものが大半であることはあまり知られていません。

ちょうど本物の蜂蜜が欲しかったため、交じりっけの無い本物を手に入れ戻る事にした次第です。




256-6地図にはこの金山谷の奥の五キロほど上流の長瀬渓谷沿いに河津という集落があるようで、次回、再度入りたいと考えています。

山口、島根、広島の県境が集中する文字通りの秘境集落です。

帰りにこの金山谷集落の中心地に河内神社があることに気付き参拝させて頂きました。

いずれ、限界集落となり、祀る人のいない神社になるのでしょうが、この錦町(現岩国市)を中心に、河内神社なるものが数多く存在しています。 

この神社がなんであるかはいまだ見当がつかないでいます。    

その意味でも再訪したいと思います。


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