258 再び山陰土産 ⑤ 秋本番、石見、周防の神社探訪から! “寂地峡の宇佐八幡宮”
20151103
久留米地名研究会(神社考古学研究班) 古川 清久
山口、広島、島根の県境が迫る山間の僻地に寂地峡(山口県岩国市錦町)があります。
秘境の地ながらその水は宇佐川となり錦川となり、岩国は錦帯橋が跨ぐ景勝地の源流をなしています。
実は、ここに岩国市宇佐があり、宇佐八幡宮(岩国市錦町宇佐1542)があるのですが、今回は秘境の宇佐八幡宮をご紹介したいと思います。
景勝地錦帯橋の最奥部に静かに鎮座する宇佐八幡宮の起源については、縁起を読めば一応は理解できるのですが、画像を調整しても判読しにくいため、ネット上の縁起をお読みください。
十ニ世紀、宇佐神宮の権勢が振るった時代、豊後の宇佐神宮から勧請し、宇佐地名も成立した事は分かりますが、この地に住み着いた人々がいかなる背景を持っていたのかは今後の課題です。
ただ、この地にも「ひぼろぎ逍遥」 255 再び山陰土産 ③ 秋本番、石見、周防の神社探訪から! “山口県徳地町の「夏焼」地名“で取上げた「夏焼」地名を発見し、神功皇后に歯向かったはずの熊襲と思われる 夏羽 絡みの地名があり、そこに豊前国の宇佐八幡宮から分霊が勧請されている事に、大きな謎を思わざるを得ません。
その意味でも、この岩国の宇佐地名と、宇佐八幡宮には心を魅かれてしまいます。
由緒(現地案内板より)
総鎮守の宇佐八幡宮は、第74代鳥羽天皇の御世天仁元(1108)年、常国太郎右衛門尉が豊前国宇佐八幡宮から御分霊を勧請し、当初日和開きに鎮座したのが起こりで、其の後夏焼中ノ御前社附近に奉遷し、
第95代花園天皇の御宇正和元(1312)年に現今の地に奉遷したものである。宇佐の郷名は八幡宮勧請の宇佐八幡宮より賜ったものである。
縁起をそのまま受ければ、豊後の宇佐神宮が勧請され宇佐地名までも頂いたという事で、それ自体に謎は無いのですが、もしかしたら、九百年前の宇佐神宮のスタイルがそのまま凍結保存されているのではないかとの新たな関心も出てきました。
ここでは、何故、ここに宇佐地名が存在し、宇佐八幡宮があるのかはとりあえず解決したものの、新たな謎として、何故、この僻陬の地に筑豊は田川市の特殊な古地名である「夏焼」があるのかが湧きあがって来たのでした。境内社として、厳島大明神夏焼社なる謎の社までがあるのです。